揺れ動くこと、揺るがずにいること

真実を見出し、心からそれに結びつくことが重要であるように、それを見出した後、それに対し忠実であること、その道を進むことにおいて揺るぎのなさを示すこともまた、重要であり、繊細な注意を払う価値のあるポイントである。真実の輝きに到達した人が簡単に道を変えることはありえないだろう。朝に晩に何度も向かう方向性を変えている人は、真実を見出せていない、ある意味で不幸な人、もしくはその価値を把握できていない、理解力に欠けた人といえよう。

その心を、真実の大海の岸辺とした幸福な人々は、尽きることのない希望や熱意と共に、その大海から打ち寄せられる波を抱きとめる。「もっと、あるだろうか。」という。彼らは『探求』を終え、向かうべき方向を見出し、その魂に揺るぎなくそれを据えた人々である。常に波のように行き来する人々は、探し方を知らない不慣れな人々、もしくは『探求』と『見出すこと』を混同している判断力のない人々である。探し求めた人だけが、見つけることができる。見つけることができた人は、そこで安定している。見つけたと思い込んでいるだけの人は、人生を通してずっと同じ場所を回り続けているだろう。

揺るぎなくその位置を守ることは、敵に勝ち、目標を達成する為の第一の要素である。戦線を放棄して立去る人は、持ち場を離れた瞬間から、喪失への道を歩み始める。

前線からの逃亡者は、まず自分の良心、そして歴史、未来の子孫たちに対して罪を犯したことになり、従ってその意図に反し、一撃を被る結果となる。あらゆる崇高な宣教において、自らの居場所を固辞し続け、前線を守ることは、勇敢さのしるしである。風向きによって揺れ動き、自我を抑制できないしもべは理解しなかったとしても、あるいは理解することを望まなかったとしても、真の人間である人ならば、真実をひとたび理解した以上は、目先の利益は彼を拘束せず、畏れは彼をとどまらせず、性欲が彼を妨げることもない。彼は空を飛ぶように、これら全てを飛び越えて進み続ける。

これらの奉仕において、常に考えや方針を変え続ける人たちは、自分たちに対する信頼を損なってきたのと同様に、宣教の道を行く友たちにとっても、希望を砕く存在であり続けてきた。熱い思いで歩き続ける集団の中から1人が脱落し、離れていってしまう事は、一体化していた行動のリズムを乱し、混乱をもたらす。お互いとしっかり結びついていた理想のコードのうちいくつかが外れてしまうことは、友に衝撃や悲観、失望を与え、敵には喜びを与える。

しばしば約束をたがえ、心を決めずにいる人は、いつか、自分自身への信頼をも失い、少しずつ他人の影響を受けるようになる。時と共に個性を完全に失い、身動きできない状態に陥ったこれらの魂は、自らにとっても、そして集団全体にとっても害を与える要素となってしまう。

こんにち、目先の計算にとらわれてしまった人たち、地位、名声、欲といったものにこだわってしまった人たちは、目先の利益が虹のように私たちの視野を覆い、恐れや疑念が私たちの意志に投げ縄を投げかけるような時代には、一体どうなってしまうだろうか。

人間の歴史は、城や町が何千もの兵士たちの血と汗にまみれた奮闘によって獲得され、また多くの場合、1人の裏切り者、1人の卑怯者の裏切り行為によってそれが永遠に失われたという出来事で満たされている。そういった出来事は、1つの民族の上に起こったものだけを取り上げても、辞典に収まりきらないほど多数である。

人をあやめてしまう名声、信仰心の欠如した欲望、卑怯な貪欲さよ!...どれほどの魂が、あなた方に一度近づいただけで青ざめ、しおれてしまったことか。どれほどの心が、あなた方の冷たい秋の気候に、葉を落として散っていったことか。どれほどの有能な人たちが、あなた方の陽気な高笑いのせいで礼拝所から立去り、酒場へと向かってしまったことか。そう、あなた方の空気に触れてしまった若者たちは、精気を失い、だらしない状態になってしまった。若者たちはあなた方のもとで、老人のようになってしまうのだ!