インビサート(拡張)

インビサートの字義は大きくなり深まっていくこと、拡大し膨張することですが、イスラーム神秘主義者たちは、全ての人々を受け入れ、優しい言葉や快い振る舞いによって他の人々を喜び満足させられるようにシャリーア(イスラーム法)で許された範囲内で心を緩めることを指して言います。全能の神と人間の関係という文脈においては、それは畏怖と希望が混ざり合った精神的状態を意味します。この状態を獲得した人々は神の臨在の前に恐れおののき、そして神の臨在からもたらされる歓喜のそよ風に吹かれて活気を得るのです。彼らは息を吸いながら畏敬の念を抱き、息を吐きながら歓喜に包まれるのです。

以上のごく短い記述で指摘したように拡張は、我々と被造物との関係、そして我々と創造者との関係の二つの平成明朝体はんちゅう),範疇)に分けて扱うことができます。

被造物と我々の関係という点に関して、拡張は我々が神そして真理と結ぶ関係に注意深くあることを意味します。すなわち我々は社会の一住民として生活し、周りのすべての人々に対して率直に接し敬意を表明することを意味します。そして理解力の度合いに応じて人々に接することをも意味します。

高貴なる預言者(彼に祝福と平安あれ)は周囲の人々に対して率直かつ誠実に振る舞い、作法や形式ばったことは避けるようにしていました。聞き手の理解度に応じて話し、時には賢明で意味のある冗談を交えたりもしていました。不信仰や不当行為、罪を目にすると心の内では苦しみを感じ、皆の行く着く先や来世を平成明朝体ゆうりょ),憂慮)したものでしたが、常に微笑をたたえ快活に振舞っていたのでした。ミンハージュで述べられているように、心は鏡のようです。あまりに厳粛すぎたりいつもまじめくさっていては曇ってしまうもの、その曇りを取り除くには愉快な心地よい言葉をかけることです。

万能の神と我々の関係という点に関して言えば、拡張とは魂において畏怖と希望とを同時に感じることを意味します。畏怖と希望は魂の状態であるので、たいていは神への道のりを進み始めたばかりの者たちの中に見出すことができます。他方で拡張は神の知識がある者の状態であり、さらに心の生き方という次元であります。拡張のこのレベルに達しようと奮闘中の者が有する拡張に似た状態とは神の知識から来る高揚感です。この状態によって神との関係において心を広げることにつながり、ひいては自制や冷静さを失っていくことになるかもしれません。

神の道における旅人が現世的な欲望や愛着から完全に解放され、神の御名や属性を映し出す輝く「鏡」になったときに拡張は出現します。結合の段階(旅人が神の臨在と統合を感じる段階)であれ消滅(旅人の自我が消滅することによって、神への愛に酔いしれ神の臨在や統合を意識している真っ最中に自己を忘却してしまうこと)であれ、この段階は旅人が、もたらされた天来の霊感にしたがって自分自身を方向付け、他の誰にも知ることのできない「色彩」を帯びるようになる神秘的な地点なのです。そのような境地の人々が自分自身の拡張を隠すことは不可能ですが、そこに達していない人々がそれを語るのは平成明朝体ごうまん),傲慢)というものです。このことについてルーミーが非常に適切に表現しています。

宮廷人が国王の注意を引こうとして気取った態度を取ったとしても、あなたはそのように試みるべきではない。なぜならあなたは(その行為を正当化する)文書を携えていないからである。はかないこの世の制約から逃れられない者よ、消滅、平成明朝体めいてい),酩酊)、そして拡張(といった段階)が意味するものをどうやって知ることができるだろうか?

実に、体に仕える者は精神の状態に気付くことなどできないのです。体の中に囚われている人々が精神性を認識することは不可能なのです。裂けて穴の開いた心の痛みや、拡張、収縮について、神への愛という炎に幾度となく焼き焦がれた人々の魂に尋ねる必要があるのです。