永遠の道で

永遠の道で

そのお方は崇高なる創造主であり、その存在は私たちの存在の要因であり、その偉大さは万物を包括し、その光はあらゆるものの上に見られる。天と地はそのお方の光の反射の輝きであり、その存在は全てそのお方に従うしもべである。そのお方は心が真実に到達した成熟した魂たちの永遠のミフラブ(モスクで、マッカの方向を示すために設けられた壁の窪み)である。そのお方は自らの思いを翼として飛翔する賢者たちが感じ、認識している唯一の存在であり、唯一のキブラである。そのお方を離れて他の何かへと走ることは一つの狂気であり、そのお方以外の誰かに悩みを伝え思いを訴えることは誤りに陥ることである。そのお方の扉から去る者は永遠の悲しみに遭遇し、道の途中で立ち止まってしまう。そのお方の光によって灯りを得ない心は、蜃気楼を追いかけ、無駄に疲労する。端から端まで世界はそのお方の光によって灯りを得て、一冊の本のようになる。時間はそのお方の道における妙なる息遣いによって束縛から脱し、意義と価値を獲得する。

物事を存在させ、整え、無数の言葉で語らせるのはそのお方である。そのお方が存在させなければ、自力で現れることのできるものは何もない。そのお方が秩序を与えなければ、秩序を知ることができるものは何もない。そのお方の助けによって、万物は一人の人間となり、秩序も一つの言葉となったのである。あらゆるものがそのお方を唱え、そのお方の美しさに陶酔している。被造物がそのお方の鏡とならないのであれば、さびた鉄と何が異なるだろう?人がそのお方を語ろうとしないのであれば、その人を人間と呼ぶことができるだろうか?ああ、暗闇の魂、良心の叫びを聞かない者たちよ。いつまでおもちゃによって慰められ、真実へ目を閉ざし続けるのか。

人類は、あらゆる方面から物質に取り囲まれたこの世界で存在しているが故に、最初には「感覚器官」で確証した事柄を信じる。その後、それらが示す概念、意義によって、自我がその首に巻いた首輪を壊し、良心にある真実を見ようと努める。しかし残念なことに、この細い鎖に絡まったままとなってしまう者、生の最後まで一歩も前進することのかなわないものも少なくない。だからこそ、私たちの周囲を取り囲む物事は手にされるごとに一つの書物のように読まれるべきであり、一つの合唱のように耳を傾けられるべきなのである。読み、聞く際には、その書を記し、そのシンフォニーを作り出す存在に対し不注意であってはいけない。逆に、良心での真実の息遣いを聞くことなく、この世界を傷つけ、様々な論拠によって窒息している愚かな者は決してそのお方を見出すことなく、その御前に至ることもない。同様にそのお方の宣言と書物によって目と耳の覆いを破り良心の真実へと上昇することができない不幸な魂たちもまた、そのお方を知ることができないだろう。

その存在によって私たちの存在を照らし、私たちの目に光を与え、私たちを我欲の闇から救ってくださる無限の慈悲の主であるお方よ!もしあなたの、万物を輝かせるこの終わりなき光がなかったとすれば、私たちは何も正しくみることができず、正しい判断を下すことも決してできなかったでしょう。私たちは皆、あなたの援助によって存在できているのです。-あなたの助けが私たちの王冠となりますように-あなたが知らせてくださったことによって、私たちは真実を学びました。もしお恵みによって存在を私たちの魂に感じさせてくださらなければ、どうやってあなたを知り、どうやって信じることができたでしょうか。

全ての被造物を一つの言葉とし、その言葉の中で人間をナイチンゲールとしたのはあなたです-あなたを語る人々が欠かされずにいますよう-そう、そのようにして、四方へと散りばめたクルアーンの言葉を読ませ、良心にある不滅の真実をもう一度私たちに感じさせて下さったのです。そのおかげで、存在するお方と被造物との間の結びつきを感じ、私たちの心にあるあなたを知るという噴水によってあなたへと上昇します。そしてそのおかげで、我欲の暗い迷宮から、感覚の渦巻く暗闇から救われ、守られるのです。あなたを知ることで知識の本質を得ました。そして物事がその魂においてなしている美を知りました。私たちがもし今、あらゆる被造物の上に見られる英知を知り、世界のあらゆる音の中に、音楽の泉の中に、最も心地よい旋律を聴いているのであればそれは完全にあなたゆえのものなのです。-それを聞かせる存在に私たちの魂を捧げましょう-私たちの前に広げられた驚異的な書物で、比類なきその美しさを示し、心を活気付かせたのです。私たちの舌を自由にし、あなたのこの美を謳いあげるという地位によって私たちに名誉を与えてくださったのです。

比類なき美しさの顕現である世界というこの書物を何百回も読み、学び、何回も何回もあなたの存在を囁く旋律を聞き、そしてこの書物、この旋律を何度も何度もあなたを慕う観客の前に示すことができるよう飛翔したとしても、それでも私たちはやはりこの輝きに満ち足りることなく、なおもあなたを感じあなたを聞こうと駆け出すでしょう。あなたの道を行く、熱情に衝かれた者として、いつでもあなたを唱えているでしょう。

その存在に秘められた美に、私たちの心を友とされる王よ!人々は過去から今日まであなたのことを何千回も語ってきました。何度も何度も、その愛に渇きを覚える心に少しずつ少しずつ潤いを与えてきたのです。道の砂、土となったその輝かしい魂たちの天国からの微風のような旋律のそばで、この途切れ途切れの声、このひび割れた弦楽器、この不器用な手は言葉を持つのでしょうか?・・・しかし、全てのものに言葉を発する権利を与えられたあなたの深い寛容を、恥知らずな私たちの顔の覆いとして、呼びかけの、そしてその扉に存在する言葉の主の雄弁な宣言に囲まれた中で「これは、私たちの憐れでみすぼらしい旋律です」といい、あなたの赦しに庇護を求めるのです。

しかしやはり、真の言葉は彼らのものです。これがこの通りであることをもう一度告白した上で、彼らの滝に等しい宣言の中で新たにあなたを説き、あなたを知るという限りのない大海に至るべく努力するのです。

これまで、あなたのことを説くいくつかの呼びかけを聞いてきました。彼らの声に耳を傾け、そのしるしに注意を払ってきました。今、私たちの心に開かれた小さな穴のそれぞれを窓をして、様々なしるしによってあなたをあらゆるものに求め、あらゆる場所で探し、異なった一つの道を通してあなたのもとへと上昇することを望んでいるのです。

あなたの光で私たちの目を輝かせ、私たちの心に力を与えてください。道の途中で立ち止まってしまった人々を救うために駆け出すこの誠実なしもべたちに、あなたのことをもう一度語る力を恵み、あなたの道にあり、解放されることを求めないしもべたちを終わりのない喜びへと至らせてください。あなたのあられ方には崇高さが、彼らには招く者であることがふさわしいのです。