アッラーの玉座の庇護を受ける七つの集団

「アッラーは七つの人々を、かれ御自身の庇護以外に逃れる場所がない審判の日に、かれの庇護の元に守られるであろう。

(一つめは)公正なイマーム(指導者)、

(二つめは)生涯を宗教行為の喜びの中に過ごす若者、

(三つめは)礼拝所に結びついている人、

(四つめは)アッラーのために愛し合い、アッラーのために一つになり、アッラーのために別離する者、

(五つめは)地位や美の持ち主である女性の網に対して、(欲望に抵抗して)「私はアッラーを畏れる」と言う男、

(六つめは)左側の者に与えた施しを、右側の者に何も気づかせないように行なう者、

(七つめ)孤独な時アッラーを思い起こし、涙を流す者」[1]

このように、人にとってそれぞれ重要性を要求する項目であり、そのうちのいくつかは実行が非常に難しいものであり、いくつかは魂への危険な罠である。

人がこの罠のいくつかから逃れることができたとしても、他の罠にかかってしまう可能性は常にある。ただ、アッラーの庇護によって、この死の罠から逃れること、人を苦しめ場合によってはその能力を超えているこの責任を果たすこと、そしてアッラーの庇護を自らに引き寄せる最も力強く有効な手段と見なすべき者は、命令に従うこと、そしてアッラーにしっかりと結びついていることであるに違いない。

このように、先に取り上げた預言者の言葉は、常に意志と共に存在し、アッラーと結びついていることによる力を明らかにする。聖なる共同体のこのような断面図を示すことによって、ユートピアで探し求められ、しかしなかなか見つけられることのない良心のあり方を示しているのである。そしてそれらを獲得することにおいて我々の心は希望によって満たされ、活気づくである。

太陽が雲をどかして場所を得て、あたり一面を焼き、脳が煮え立つようなその日、利益がことごとく失われ何もかもが人間に敵対するその日、アッラーの庇護と援護の他逃れるべき場所は存在しない。この庇護がアッラーの偉大さによるものであるか、あるいは他の種類のものであるかは重要ではなく、重要なのは、我々が知っているこの秩序が失われ、地と天が全く他のものと化してしまうということである。この恐ろしい日において誰も他の人を助けることはできず、贔屓や引き立ても何の役にも立たないことは確実なのである。声を出すこともできず、気が遠くなり目も霞むようなその日、誰が誰を守ることができるというのか。

そう、このような日において、唯一逃れられる場所がある。それは、アッラーの庇護の下であり、そこで助けを受けることのできる者は、次のとおりなのである。

(ア) この世において、自らの責任を意識し、その責任に託されたことを正義と公正さと正しい方向性を持って成し遂げるリーダー、国家の長。

(イ) 自らの欲望へのこだわりが最も強い年代にあり、その肉体的欲望にも関らず、自らをアッラーへのしもべであることに捧げる若者。

(ウ) しもべであることへの願い、喜びが、肉体的欲求に勝り、その心臓が常に礼拝所で脈打っている者。

(エ) お互いをアッラーのために愛し、アッラーのために共にあり、別れる時はアッラーのために別れる、アッラーの承認とアッラーの愛を最終目的とする愛し合う者。

(オ) その生涯を常にアッラーへの畏れとアッラーへの愛の中で送り、純潔と名誉を守ることにおいて注意深く、快楽への欲望に対しても断固とした態度をとり、欲望がもたらす悪い思考にも「私はアッラーを畏れる」という思いと決意によって拒絶することができる者。

(カ) アッラーへの誠実さと従順さの表明として、苦労してためた上でアッラーの承認のために施しとして与えた財産を、それを惜しむ状態にあったとしても、アッラー以外の誰にも知らせることを望まない者。右隣にいる者に行った施しを、左側にいる者からさえも隠そうとする誠実さと献身さを持つ者。

(キ) 孤独である時間を、思考やアッラーを思い起こすことによって深め、時にはその感情を涙によって示す者、常に意志の力をアッラーから得る者、ごまかしを許さないその素晴らしい特質の力によって罪への欲望を粉砕し、粉々にしてしまえる感情と心を持つ者。

他のハディースでも言及されているように、公正さをもって采配を振るう支配者には、あの世で輝かしい席が与えられ、アッラーのお褒めの言葉を次々に受けることになるであろうこと、若い時代において若者であることを超越した者がアッラーの満足という褒賞を与えられること、人生を礼拝所と家と職場の間に縫われる刺繍のように過ごした、宗教行為を熱心に行なう人がアッラーの庇護を受けること、この世を信者の兄弟愛の場という観点で見て、生涯をアッラーのために愛し、愛され過ごす者が、あの世においてアッラーの愛という褒美を与えられること、この世における命をアッラーへの愛と畏れのうちに生きる者が、あの世においては畏れていたものから安心を見出すことができること、施しを正しい形で行い、約束を守るものが、最も誠実な方から、思いもよらないほどの見返りを受けること、外から見て思慮深く、内面も深みを持ち、人々の前では皆にとってよい手本であり、一人でいる時も涙ながらにアッラーへ自分の感情を打ち明けられる感情と心の持ち主が、全ての困難さを超えて望んでいたことに到達することがここでは述べられている。あの世で褒賞を受けることが語られていると同時に、理想的な社会の断面図と言うべきこれらの例によって、素晴らしい国家となるためのあり方が示され、人々を導く基本的な方針が示されている。

このような、何冊もの本によって語られるべき意味深い事項を数行に濃縮して、あたかも海が滴として説明されているということをここでまた繰り返す必要はあるだろうか。

 


[1] Bukhari, Azan 36; Muslim, Zakat 91; Tirmidhi, Zuhd 53