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魂に耳を傾ける時:3ヶ月

作者: M.F.ギュレン オン . で掲示される こわれた壷

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質問:ラジャブ、シャアバーン、ラマダーンの3ヶ月間の高揚感を我々の奥深くで感じ、その霊的な雰囲気を最大限生かすために勧められることは何ですか?

答え:まずこの3ヶ月間は、信者にとってアッラーに最も近づくことができ、かれの限りない慈悲に対して相応しくなり、罪を放棄して心と魂の地平線へと旅立つことができる、非常に重要な祝福された時の一片であることに言及しなければなりません。自我を清め、魂を律し、そして心を清めるという観点から、信者には毎年、神聖なリハビリを受けることが必要となります。この3ヶ月間はそうしたリハビリを実現するための非常に重要な機会となっているのです。

人が身体に関わる重荷を取り除き、ある種の地平に上昇し、ある程度のレベルの精神性を保つには、ズィクルや熟考に真剣に勤しむ必要があります。ただしこれに取り組む間も人は心と魂を宗教と精神性に対して開かれているようにしなければなりません。つまり、理性の力を用い考察しながら信仰やクルアーンについて理解しようとする一方で、降り注ぐ天の恵みや光の雨をすすりながら吸収しようとすべきです。

神意を大切にする者は大切にされる

今までに多くの人々がそれぞれの観点や視野に応じてこの特別な時のひとこまについて美しい言葉で表したり、この祝福された3ヶ月が信者の人生に獲得させるこの上ない美しさに目を向けさせてきました。こうした掛け替えのない作品を互いに読み合わせながら一語ずつ分析し、その意味を消化し吸収することは、この3ヶ月が人に獲得させる精神的な恵みを理解し感じさせるという点で非常に重要です。3ヶ月について書かれたものからしっかりと恩恵を受けるためには、適当に読むことを放棄し、問題の深部まで深く掘り下げていくことが必要です。そうではなく、そうした感情、ものの考え方を高めることができなければ、この3ヶ月について読み聞きしたものを十分に役立てることはできないでしょう。

加えて、この聖なる時のひとこまが持つ独特の美しさや、人の心に反射される歓び、風味を完全に感じとり味わうためにはまず最初にそれが「アッラーからの予期せぬ贈り物や助けがいっぱい詰まった月」であることを正しく認識し、一秒たりとも無駄にせず、この間、昼夜を問わず勤行に励んで最大限に生かせるよう真剣に取り組むことが必要となります。例えば、タハッジュドの礼拝をささげるために意を決して真夜中に起きアッラーに向かい合って祈ることをせず、夜の恵みを少しずつ飲もうとしない者にとって、これらの月について語られてきた精神的な美しさを深く感じとり、味わい、その喜びを享受することは不可能です。形而上的な緊張感を持って3ヶ月を迎え、僕としての真剣な意識を持ちながら崇拝行為に打ち込まないのなら、これらの月が告げている意味を、たとえその恵みがふんだんに降り注がれ続けたとしても、その人は理解し感じることができないでしょう。さらには、この時のひとこまに関して他の人たちが述べたものについて己の限られた視野で判断し、こうした経験を単なるファンタジーだと見なす場合もあります。

この神聖な日々にザーザーと降りかかる豊富な恵みから恩恵を受けるにはまず最初にかれを信じ、大切にすることです。注意を向けることは相互に作用します。もしあなたが3ヶ月に見出される精神や意味合いに注意を向けないのであれば、それらはあなたに対してその扉を解き放ってはくれないでしょう。さらには3ヶ月についての鮮烈で輝きを放つ言葉の数々も、あなたの目にはぼんやりとしか映らないでしょう。イブン・ラジャブ・アル=ハンバリーの感動的な表現やイマーム・ガザーリーの熱意によって心を動かすような言葉もあなたにとっては何の意味もなさないでしょう。なぜならその言葉の及ぼす影響力は、言葉そのものの価値のみならず、その事柄に対して聞き手に備わる理性的・精神的受容力、さらにはものの見方や意図といったものにも関わってくるからです。

このことから、人は聖なるラジャブ、シャアバーン、ラマダーンの色合いに染まるほどにこの事柄を自分のものとするべきです。そこまで一体化して初めて、人はこれらの祝福された月が人間の魂に囁きかけるものを耳にし感じることができるようになるのです。自らの浅薄さを捨て、現世的な型から抜け出せないのであれば、そしてこれらの月の真実に対して理解を深めようとしないのであれば、3ヶ月について述べられた最高に美しい言葉であっても気にも留めず右の耳から左の耳となってしまうでしょう。のんきに過ごすのを好み、こうした恵み豊かな季節に自己再生を図る努力をしない人、振る舞いに真面目さが見られない人がこの月の恩恵を得ようとすることはかなり厳しいと言わざるを得ません。

神聖な時のひとこまに相応しい集まり

この事柄に関する別の側面として社会的な精神や一般社会からの支持といった側面もあります。これら神聖な月が告げる本当の奥深さや広がりを感じることは心と魂の領域で深みを持つ人々が特に獲得できるものです。しかしムスリムたちがこれらの月の価値に気づき始め、モスクへと赴きアッラーに向かい合うようになってきたのも事実です。この価値ある機会を利用し、様々なイベントや活動を通じて、人々が何かしら真実について学んだりそれを魂で感じたりする助けとすることも可能です。同様にこの3ヶ月の間に位置するラガーイブ、ミゥラージュ(夜の旅、昇天)、ライラトゥルバラー(赦しの夜)、ライラトゥルカドゥル(みいつの夜)といった神聖な夜に、宗教の精神に相応しいやり方を保ちながら、現代の信仰者に訴えかけるような精神的な集いを催すことも可能です。こうして人々をアッラーに近づけ宗教の本質を心で感じさせるためにこの機会を役立てることができます。モスクを訪れる人々の心にこの方向である種の真実を感じさせることができるのと同様に、様々な集まりとして一同に集い、本を読みあったり、宗教的な講話を聞くなどしても有意義に過ごすことができるでしょう。こうして3ヶ月が自分たちにとって意味あるものだと信じる人々がその期待に対して正しい返答を得る機会ともなるのです。

催し物に関して私が気づいたもう一つ重要な点にも注目してもらいたいと思います。こうした活動のすべては、人々が思考や感情の世界でさらに一歩アッラーへと近づく助けになることが目的とされるべきです。イベントや活動によって我々が自らのアイデンティティーへと向かわず、自らを見出す方向へと導かれないのであれば、単なる時間の無駄となってしまいます。アッラーに関する真実について声を発していけないのであれば、そして預言者様(彼に祝福と平安あれ)への愛を掻き立てることができないのであれば、果ては人々の空想や欲望をそそるようなただ楽しい内容のものになるとすれば、時間の無駄になるばかりか罪を犯すことにもなりかねません。人々をアッラーに向かわせず、預言者様(彼に祝福あれ)に近づかせない道はすべて欺きです。いずれにしても人々を楽しませることは真実の通詞たらんとする信仰する魂の持ち主が行う任務ではありません。

加えてこれも知っておく必要がありますが、現代を生きる人々は一般的に、享楽を好むライフスタイルをとっています。ですからポジティブな反応が返ってきても当てになりません。人々が喜んでいるのを見て、やったことが上手くいったと考えてしまうかもしれませんが・・。ここで重要なのは、あなたの行ったことがクルアーンとスンナの基準に当てはめて正しかったかどうかであり、人々が気に入ったかどうかではありません。ですからプログラムに大々的な参加が得られなかったとしても、正しい行いを追求するべきです。言い換えれば心と精神生活にとってそのプログラムが何かしら意義あることを示せたかどうかが本当に大切なのです。

天空に神聖な光が満ち溢れ、大地が天の食卓で飾り立てられたこの実り多き時期、我々は常に人々を導いて心と魂の生の深化を図れるようにすべきです。また取り組むことすべてに関して高い目標を掲げるべきです。そして毎回、その人々の心に新しい意味と精神を伝え、飽くことなく求め続ける精神の旅路に出帆する手助けをすべきです。

これを実現するためには昔から伝わる宗教的な歌や祈り、預言者を讃える詩、もしくは新しい作品などを披露することもできるでしょう。どのような集いや活動であれ、我々は人々に永遠の至福への切望を呼び起こし、ひいては宗教の真髄へと目覚めさせるように努力すべきなのです。