真実のしずく 6

一人の人にとって最大の不幸は、その行き先について全く何の不安も抱いていないこと、そして予想もしなかった瞬間に、それまで気にかけてもいなかった勘定と共に来世へと移動することである。

私たちの本質に到達するということは、私たちの価値によってもう一度よみがえることを意味する。

どのような種類のうそであろうと、教えへの貢献となることはない。人々に愛情を目覚めさせるためにうそをつくことですら、教えへの奉仕という考えへの裏切りと見なされるべきである。

アッラーを求める人々は、アッラーがご存知であること、そして評価されることで十分としなければならない。他の人々によって知られること、評価されることへの期待から遠ざかっていなければならない。

両替商のような細やかさのうちに、全てがアッラーの望まれるものに適っていることを求めなければならない。

信仰の道の旅人たちについて最も心配していることの一つが、要因と結果の間の均衡を守ることができなくなり、アッラーを信頼する代わりに要因群を信用するようになることである。

皆に愛らしいものと見なされることは到達することのない頂きであり、この頂きに到達することは預言者たちにすら容易なものとはされなかったのだ。

人は何かを仕留めたいと思っているなら、その網を苦しみの斜面に広げ、そこで捕らえるべきである。

自分たちを見る視野を広げるにつれ、アッラーを拝見する視野を狭めていくことになる。

イスラームの教えを広めるという道においてアッラーのご満悦へと歩く者は、思考の意図を論理の手に、その論理は心の命令にゆだねなければならない。

理性をけがす要因の一つは、いつでも他者の振舞いや行動にこだわっていることである。

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