フルク(良い性質)

フルクは気質、気性、性格といった意味に加えて、被創造物の要素のうち最も重要なものとして、アッラーの道の旅人が切望するゴールです。簡潔に言うと、この状態は人がアッラーの性質や行動の方法を身に付けたということです。たとえば、アッラーは寛大なお方です。そのため、人は寛大でなければいけません。この神聖なゴールに達成した人は、どんな良い行いも容易になすことができます。

ハルク(被創造物)とフルク(性質)という単語は同じ語根からできています。ハルクは外観や外見など、存在するものの要素のうち、目に見える物質的なものと関係があり、フルクは精神的要素や意味、内容と関係があります。人をその外見だけで判断することはできません。その人の本当のアイデンティティは性格や気性、生来の気質にあるからです。どれだけたくさんの異なるイメージが映し出されたとしても、その人の本当の性格や気質といったものがゆくゆくは明らかになっていくのです。前イスラーム時代のアラブの詩人による次の言葉はなんと意味深いものでしょうか。

人が悪い性質を持っていたら、それは遅かれ早かれ明らかになる。
それを隠し続けられると彼には思い続けさせてやれ。

言い換えると、外見というものはごまかしであり、すべてのごまかしを取り除き正すことによって、人の本当の姿が表れるのです。教育や習慣を通して、人は第二の性質というものを得ることがあります。そのため、道徳主義者たちは性質を良いものと悪いものに分けますが、この文脈においては、「性質」という言葉を「良い性質」という意味で使いたいと思います。

スーフィズムにおいて人を描写、修飾するのに用いられる、良い精神的生活の最も正しい基準は、フルクです。フルクにおいて数歩でも進んだ者は、精神的生活において前進したとみなされます。奇跡やまばゆいもの、超人的行為などは、それがフルクから出た時には受け入れられるものですが、それがフルクと結びついていないときには価値のないものなのです。

信仰する者としてどんな人が良いのかを尋ねられたとき、預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)は答えられました。「行為や性質において良い人である。」これは、『本当にあなたは、崇高な徳性を備えている(聖クルアーン68:4)』で述べられているように、アッラーがご自身の最も優れたしもべである預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)を、並外れた特別なものをもってではなく、素晴らしい美徳と性質によって賞賛され慰められたことからも、当然のことと言えます。彼の性質は、彼という創造の目的であり成果でした。預言者の行いはイスラームとクルアーンを具現化したものでありました。そのため、預言者の妻アーイシャ(彼女にアッラーのお喜びがありますように)はサイード・イブン・ヒシャームに預言者の行いについて聞かれたとき、次のように答えたのです。「あなたはクルアーンを読んでいないのですか?彼の行いはクルアーン(を具現化したもの)です。」

『本当にあなたは、崇高な徳性を備えている(68:4)』という節は、預言者(彼に平安と祝福あれ)の類い稀なる行いはクルアーンに基づいていたということを示しています。彼の外面的及び内面的能力と感覚、彼の存在自体や性格の有形無形の側面に加えて、預言者(彼に平安と祝福あれ)は人間の美徳の最も有名かつ最も偉大な見本となるのに必要な潜在力を生まれながらにして持たれていました。これらの潜在力を最大限の可能性にまで伸ばすことで、彼は人間の素晴らしさを最大限に実現したのです。

このような状態に満足することなく、『本当にアッラーの使徒は、アッラーと終末の日を熱望する者、アッラーを多く唱念する者にとって、立派な模範であった。(33:21)』と述べられているように、彼は彼に続く者たちの完璧な見本を確立し、それによって次第に彼らをあらゆる時代の中で最も徳の高い共同体へと変化させていったのです。「信仰する者たちの中で最も素晴らしい者は行いにおいて最も素晴らしい者だ」や「人は崇拝行為では渡れない距離を、良い行いで横断することができる」「(来世の)天秤で測られる最初の美徳は、良い行いである」というような諺や、彼が人類にもたらした完璧で有益な原理を用いることによって、彼は彼に続く者たちを天使たちのいる王国へと導いたのです。

フルクのしるしは次のように要約されています。この性質を持つ人は言葉でも行動でも誰のことも傷つけることはなく、自分を傷つける者は許し、なされた悪行は忘れ、悪行に対して善行で返す。『本当にあなたは、崇高な徳性を備えている(68:4)』で賞賛された預言者(彼に平安と祝福あれ)はこれらの美徳の最も素晴らしい見本です。彼は彼の前に立ち、公正にするようにと言った人に対しても、彼の頭に砂を投げ彼を侮辱した人に対しても、彼の潔白で最愛の妻アーイシャを中傷した人に対しても、気分を害されることはありませんでした。事実、彼はその人々が病気になった時にはお見舞いされ、彼らの葬式の行列にも加わられました。フルクがアッラーの恩恵を受けた彼の存在自体の要素だったため、彼はそうされたのです。

良い性質を持ち、温和な態度で博愛主義のように見える人は多くいますが、良い行いや温和さは見せ掛けに過ぎないことが少なくありません。少しの苛立ちや怒り、不快な扱いを感じると、彼らの本当の性質が明らかになるでしょう。フルクを持つ人は大変不快な時にでもその態度を変えず、温和さを保ち不快感を表しません。フルクに開かれた心は、まるで怒りや激情を埋めることができる広い場所のようです。悪い行いを示す不寛容で我慢ない人々は、まるでカインのように、大ガラスよりも愚かで、怒りや激情、敵意を埋める場所を見つけることができないのです。

次の対句でこの議論を終えることにしましょう。
人が素晴らしくなれるのは、フルクによってである。
世界の秩序が保たれるのは、フルクによってである。

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