ハール(Hal「状態」)とマカーム(Maqam「階梯」)

「ハール」とは自分の内面で世界の彼方にある王国から吹いてくる「そよぎ」を感じること、心の「夜」と「昼」の違いや「夕方」と「朝」の違いを感じることを意味します。ハールを喜びと悲しみや、個人の努力などと関係なく心の中に入ってくる収縮と拡張の波だと理解する人々は、その波の安定的な連続を「マカーム」と呼び、それがない状態を「欲望主義」と説く。

それぞれのハールを、アッラーからの贈り物であり、心で感じるアッラーに近いことのそよ風であると言い、それぞれのマカームをこのそよ風を連続的、かつ安定的に感じ、またそこから第2の性質を得るということだと言っても間違いではないでしょう。生命や光、恩恵といったものと同様に、ハールはアッラーからの贈り物であり、アッラーの唯一性への確信へと導いてくれるものです。それと表裏の関係にあるマカームは自分の目的を持った努力によるものなので、信仰する者の心の中で起きる出来事を感じることや、信仰する者が心でその存在を認識しているアッラーへの新しい道を常に心の中で開くことは、そのような出来事の源アッラーへの深い感謝をもたらします。これらのことを個人の能力や性格などによるものだと考えると自惚れや誇示ということにつながってしまうことにもなりかねません。

最も誠実で敬虔な人預言者ムハンマド(彼の上に平安と祝福あれ)は次のように言われました。『アッラーはあなた方の体(外見)ではなく心の中を見られる。』[1]この言葉は私たちの注意をアッラーが重要だと考えていらっしゃるものへと導き、私たちにどうしたら最大の目的を達成できるのかを示しています。比較的信頼性の落ちるハディースでは『アッラーはあなた方の心と行為に価値を見られる。』[2]とあります。これはハールの循環の後に辿り着くマカームについてのことを述べています。

ハールは(アッラーの)絶対意志によって定められた時のみに起きるアッラーの(本質と属性の)顕現である。また、アッラこれらの顕現が起こる心のこともハールと言います。換言すれば、ーの出現は心や認識・意識に反映されます。そのため、マカームはハールの波のあとの安定や鎮静を意味するのに対して、ハルは絶対的支配意志によって現れたり消えたりする、太陽からの長さや色の異なる波の束に例えられるのです。

魂の敏感な人やアッラーに対して意識が向いている人は、自分の心の上のハールの波を、まるで水面の泡に反射する太陽を見るように認識します。そして、彼らの認識のレベルや方法に応じてこれらの波に反応します。すべてを真実の光に照らして見る人々は、それらをアッラーの出現と捉えて、現実として体験するのに対して、自分の心の不均衡を正していない人々や、そのためにアッラーから断たれた生活をおくる人々は、これらのハールの波を幻想や空想だと考えることがあります。

ハールを最も受けた存在預言者ムハンマド(彼の上に平安と祝福あれ)は、それまでに受け取った恩恵はその後のものには勝らないと考えていましたが―彼が小さいと考えていた恩恵でアッラーが私たちの心を照らしてくださいますように―次のように述べられています。『私は日に70回アッラーに許しを請う。』[3]無限の存在アッラーへと向かう終わりのない旅の中で、永遠の山と光の必要性を感じた完全に純粋な魂にとって、そうしないわけにはいかなかったのです。


[1] ムスリム

[2] ムスリム

[3] ブハーリー

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