英知と徳
徳は、民衆の中にあってクッションや床に腰をおろす。うぬぼれは、巨大なソファーにすら収まりきれない。うぬぼれが、モスクのドームの形状を持ちさかさまになった井戸に似せられるとすれば、徳は、地平線にまで降り立ったように見える天空に似せることができるだろう。
無知はうぬぼれへ、英知は徳へと導く。うぬぼれは無知の不義の子であり、徳は英知の正当な血筋から生まれる子息である。うぬぼれは暴政の見方であり、徳は自由と平等の見方である。
うぬぼれはいつでも孤独の中でうろつき、同類を探す。徳は仲間を見つけた安らぎの中にあり、いつでも人々と共にある。
「強制によって美はなしえられない。」と言われるが、事実である。偉大さも、強制によってなしえられない。これらは二つとも、集団の良心が定めるものである。
自分たちを気に入る人のことを「楽観的」、気に入らない人のことを「悲観的」だと見なす人々もいる。この人たちは前者を評価し、彼らには心を開くが後者は遠ざける。本当に遠ざけられるべきなのは、まさにこの利己主義なのだ。
楽観主義は全てを善と見なし、悲観主義はすべてを悪と見なす。これらは二つとも有害である。善を善と、悪を悪と見なすことが「真実主義」なのである。
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