正しさと偽りのもたらす結果

「あなた方には正しさがふさわしい。正しさは人をよいものにし、そのよさは人を天国に導く。人は一度正しく生きる決意をし、その道を進み始めれば、常に正しいことを話し、正しいことを探し求める。このようにして、人はアッラーによって正直な者、と記されるだろう。偽りから遠ざかっていなさい。偽りは人を罪に、泥沼に導く。それは地獄へと続くものである。人は一度自分を偽りの中に陥れれば、常に嘘を話し、結果としてアッラーによって嘘をつく者、と記される」[1]

正しさは預言者たちのしるしであり、偽りは不信心者や多神教徒たちの特徴である。正しさは、重要な基本であり、偽りは黒い染みである。偽りの中で幸せに暮らし、そして永遠の幸福を得た者は誰もいない。正しさの、永遠の幸福の方向へと続く輝く道では、現世と来世を獲得できなかった不運な者は全く存在しない。

偽りは憎悪の基本であり、偽信者の最も明らかな印である。特に今日、偽りは完全に道徳を破壊し、この世界を嘘つきたちの飼育場と化してしまう非常に恐ろしい社会的疾病となっている。人生の扉をそれに開放し、国で、市場で、議会で、兵舎で、それを「自由に行動する」権利だと思い込む人々が増え続けている。改善されることもないだろう。これに対するイスラームの最も重要な基本であり、信心の最も明らかな特徴であり、預言者ムハンマドの道徳の礎石であり、預言者たちの特性であり、肉体的精神的進歩の唯一の軸であるものが、正しさである。

一方は天使たちの、もう一方は悪魔のものである。片方はアッラーのしもべたちの、もう片方は悪い魂のもの、一つは預言者ムハンマドの、もう一つは教えを破壊しようとする者たちの特性である。

アラビア語の原文で繰り返されている「正しさ」〔ビッルン〕という語は、全ての善を包括し、教えに忠実な存在に開放された非常に広い意味を持つ。正しい考え、正しい言葉、正しい意志、正しい行動、正しい生き方、といった多くの事項をこの前置詞の元にまとめることが可能であり、全ての善をその言葉に訳すことができる。

二番めに良く使われている「偽り」〔フジュールン〕という語は、前の語の逆で、全ての悪を包括し、教えに忠実な存在に対しては完全に閉ざされた言葉である。異常な考え、異常な言葉、異常な行動、といった言葉の前置詞になり得る特徴を持ち、あたかも地獄の種のような言葉である。

ハディースの原文で、「正直な者」〔スィッディーグン〕と「嘘をつく者」〔カッザーブン〕という語の間にも対立する事項がある。一つめは「非常に正しい人」と訳すことができ、二つめは「嘘によって形成されているような嘘つきの人間」と訳すことができよう。自分自身を正しさに捧げ、正しく考え、正しいことを話し、正しく行動し、正しく振る舞う人は、今日でなかったとしても明日は必ず、天で、地で、正しさとアッラーへの親しさの印となり、一方自らを偽りに投げ込み、偽りの思考を持ち、嘘を話し、偽りの中で振る舞う人は、遅かれ早かれ偽りの象徴となるであろうことが示されている。

この短く、または長く、光に満ち信頼できる、あるいは途方もなく危険な二つの道は、それぞれの行き先は天国であり地獄である。一方の道では、それぞれの停留所で前払い金が与えられ、また奨励金が与えられる。この道は天国に続き、そこを行く旅人は天国に到達する。もう一方の道では、道中障害物が続いたあげく、最後には永遠の挫折に到達するのである。

このハディースは、預言者ムハンマドの誠実さを説明したところでも取り上げたものである。ここで特に強調したかったのは、正しさが現世と来世にもたらす結果、偽りが個人的、社会的な生活に与える害を、これほどの短いまとまった文で説明するという点において、預言者ムハンマドが見事に成功されているという点である。このハディースを研究する者は、これほど意味深長な問題をこれほど簡潔な形で説明することは、ただ預言者ムハンマドにのみ与えられた力であることを理解するであろう。他の者がこのことをこのように説明することは不可能である。

 


[1] Bukhari, Adab 69; Muslim, Birr 105; Abu Dawud, Adab 80

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