正直であること

正 直であることは預言者であることの印である。預言者としての任務は、正直さの軌道に沿って行なわれる。預言者たちの口から出る言葉は、全て正しいと認められる。なぜなら彼らは、真実に対抗するようなことを語ったりしない。聖クルアーンでは、預言者たちの偉大性についての説明で、彼らの特性の一つであるこの点についても触れている。

「またこの経典の中で、イブラーヒームの物語を述べよ。本当に彼は正直者であり預言者であった」(マルヤム章19/41)

つまり「あなたはあの偉大な預言者であるイブラーヒームについて聖クルアーンの中で思い出しなさい、彼は言動も振る舞いもまさに正直な預言者であった」

「またイスマーイールのことをこの経典の中で述べよ。本当に彼は約束したことに忠実で、使徒であり預言者であった」(マルヤム章19/54)

「またイドリースのことをこの経典の中で述べよ。彼は正直な人物であり預言者であった。そしてわれは彼を高い地位に上げた」(マルヤム章19/56~57)

「彼は牢獄に来て言った。「ユースフよ、誠実な人よ、」」(ユースフ章12/46)

彼らはなぜ、正直でないことがあり得ようか。アッラーは、普通の人間でさえ、正直であることを望まれる。そして聖クルアーンでも、正直である者を誉めておられるのである。

「あなた方信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、誠実な者と一緒にいなさい」(悔悟章9/119)

「本当に信者とは、一途にアッラーとその使徒を信じる者たちのことで、疑いを持つことなく、アッラーのために、財産と生命とを捧げて奮闘努力する者である。これらの者こそ真の信者である」(部屋章15)

正直さは称賛に値する

約束を守る人については、聖クルアーンで次のようにほめられている。

「信者の中には、アッラーと結んだ約束に忠実であった人々が多くいたのである。ある者はその誓いを果たし、またある者は待っている。彼らは少しも、祖の信念を変えなかった」(部族連合章33/23)

この最後の節についてもう少し付け加えたい。アナス・ビン・マーリクは、預言者ムハンマドの召使いである。預言者がマディーナへ移住をされた時、彼の母は、まだ10歳のアナスの手を引いて預言者ムハンマドを訪れた。そして預言者に「私の息子に、一生あなたのそばで仕えさせてください」と言い、アナスをそこに残して去った。「この節で取り上げられているのは、私の叔父のアナス・ビン・ナーディルに違いない」[1]と言っていた。

アナス・ビン・ナーディルは、アカバの地で預言者ムハンマドに会い、あたかもまじないか何かにかかったかのようにこのお方にひきつけられ、狂ったように愛した。彼はなぜか、バドルの戦いに参加することはできなかった。バドルの戦いは、特別なものであった。その戦いに参加した教友たちが皆選ばれた者たちであったのと同様、これに参加した天使たちもまた、選ばれた存在であった[2]。

アナス・ビン・ナーディルはこの機会を逃し、非常に苦しんでいた。預言者ムハンマドを訪れて、その苦しみを打ち明け「もし、私が彼らと戦う機会があれば、彼らは私から大きな痛手を受けるでしょう」と言った。アナスの心からのお祈りは聞き届けられ、ウフドの戦いでは、不信心者たちと戦ったのである。

ウフドと聞くと、人の心は痛む。なぜなら、そこで、70人の教友たちが犠牲となったのである。そして、おそらくは、預言者ムハンマドは、その地での辛い記憶のために、その地を中傷する者が現れるかもしれないという考えから、ある手立てをとられた。すなわち、ある日、その地を通る時「ウフドは、あなた方を愛する。我々もこの山を愛そう」[3]とおっしゃられたのである。

ウフドは、険しい山である。しかしウフドの戦いはその山よりもさらに厳しいものであった。教友たちは、時として自分に任された地点を守ることができず、また基地の場所を変えなければいけないことさえあった。その結果として、預言者ムハンマドの示された目標を達することができなかった。これは単に作戦上のことであり、それを即破滅、敗北ということは適当ではない。我々の、教友たちに対する理解は、これほどに、敬意をこめたものである。

この戦いで預言者ムハンマドも怪我を負われた。歯が折れ、そのかぶとが顔に刺さり、全身血だらけになられた。それにも関らず、この慈悲深い預言者は、手を広げられ、このようなお祈りを続けられた「アッラーよ、我が民をお許しください。彼らは知らずにいるのです」。[4]

アナス・ビン・ナーディルも、に走り回っていた。一年前に預言者にした約束を果たそうと努めていた。彼は懸命に戦っていたが、他の多くの者と同様、もはやその最期の時を迎えようとしていた。体中が穴だらけになりながらも、最期の瞬間には、口元に最後の笑みを浮かべ、そばに駆け寄ったサアド・ビン・ムアーズに「預言者によろしく伝えてください。確かに今、ウフドの向こう側から天国の香りを感じている」と言った。

その日、多くの犠牲者は身元の判明ができない状態であった。ハムザは見つからず、ムスアブ・ビン・ウマイルも判明されなかった。アブドゥッラー・ビン・ジャフスは、ばらばらになった遺体を集めてやっと、彼だということが判明した。アナス・ビン・ナーディルも同じ状態であった。妹が来て、刀をつかんだままの手(おそらくそこだけは傷を受けていなかったのであろう)を見て、泣きながら「預言者よ、これがアナス・ビン・ナーディルです」[5]と言ったのであった。

そして、この聖クルアーンの節は、この勇ましい青年のことをさしているのである。

彼は約束したことを守り、言ったとおり、戦って死んだ。死さえも、彼に約束を破らせることはできなかったのである。

この節が彼を説明しているのは、信仰する者に一つの手本とするためである。そう「ラー・イラーハ・イッラッラー」(アッラーの他に神がない)と言った以上、誰もがこのように、この言葉が含む意味に忠実でなければならない。この教えを荒廃させたり、信心が失われたり、敬意を失ったりすることがあってはならないのである。

アナス・ビン・ナーディルや彼のようである者たちは約束を守った。約束を守り、忠実であることを証明したのである。なぜなら、彼らは、預言者ムハンマドから学んだからである。このお方が忠実で、信頼できる方であるのと同様、その親友たちも、同じように忠実で信頼できる者たちであった。

無知の時代の人々も預言者ムハンマドを信頼した

マッカの住人たちは、預言者ムハンマドのことをただ名前で呼ぶのではなく、その名に「アル・アル・アミーン」、信頼できるという言葉を加えて呼んでいた。彼のこの素質も、よく知られているものである。我々が毎日唱えるお祈りにもそのことが含まれているのは、我々にとって何と幸福なことであろう。預言者ムハンマドのこの人格を常に思い出すことができるからである。

カアバ神殿が工事され、ハージャル・アル・アスワッド[6]が工事前の元の場所に戻されることになった時、皆がその石をそこに置く名誉を求め、揉め事になりかけたことがあった。人々は刀を半分抜いた状態で、自分の名誉を求めた。そのうち、結論が出た。カアバに最初にやって来た人に、決めてもらうことにしたのである。皆が興味深く待っていた。もちろん、預言者ムハンマドはこの出来事について何も御存じなかった。そのお方の、敵であれ味方であれ信頼を与える笑顔がそこに現れて、待っていた者たちは皆喜んだ。「アル・アミーンが来ている!」と彼らは言い、その決定に素直に従ったのである。[7]

なぜなら、彼らはこのお方を完全に信頼していたのである。預言者ムハンマドは、その時まだ預言者としての任務を始められてはいなかった。それにも関らず、そのお方は皆に信頼されていたし、預言者としての素質も十分身につけられていた。

そう、よい素質というものは、敵であれそれを認めるものである。当時、最も手ごわい敵であった、アブー・スフヤーンでさえ、預言者の誠実さを認めていた。

預言者ムハンマドは、周囲の支配者たちに手紙を送っていた。その手紙の一つは、ローマ帝国のヘラクレイオスに届いていた。彼は手紙を全て読んだ。そして当時、ダマスカスにいたアブー・スフヤーンを呼び、二人の間でこのような会話がなされた。

「彼に従う者たちは誰ですか。富める者ですか、貧しい者ですか」

「貧しい者です」

「これまでに、一度彼に従った後彼から去って行った者はいますか」

「今までのところいません」

「信者の数は増えていますか、減っていますか」

「毎日少しずつ増えています」

「彼が嘘を言うのを見ましたか」

「いいえ、私たちの中では、誰も見たものはありません」

ヘラクレイオスは、ムスリムたちの最大の敵であるはずのアブー・スフヤーンがこのように言うのを聞き、こう言わずにはいられなかった。

「人間に対してこれほど長い年月嘘をつかなかった者が、神に対して嘘をつくなどということは考えられない」[8]

ここではこのハディースにはテーマに関連するものとして簡単に触れただけであるが、アッラーの預言者の誠実さについての二つの証拠を示している。一つめはローマ帝国の皇帝ヘラクレイオスの言葉である。二つめは、まだムスリムになってはいなかったアブー・スフヤーンの言葉である。

どういうわけか、ヘラクレイオスは、自分の地位や人気への執着を乗り越え、すぐ手の届くところまできていたこの真の、永遠なる財産を手にすることはできなかった。それにもかかわらず、預言者ムハンマドは預言者であることを認め、そのお方に対して敬意を持った振る舞いをしたことは、ある意味で彼に先見の明があったことを示している。我々にとってもうれしい出来事である。

実際、ヘラクレイオスの述べたことは非常に意味深いことである。40歳になるまで、普通の人間に対してさえもどんな小さな嘘さえついたことのない人間が、死を近くに見るような状態でありながら、神に対して嘘をつくなどということがあり得ようか。

まだムスリムになっていなかった頃のヤーシルは、息子のアッマルに尋ねた。

「どこに行っていたのか」

「預言者ムハンマドのところに」この返事は、ヤーシルにとって十分なものであった。

「彼は信頼できる人だ。マッカの人たちはそう知っている。もし彼が預言者だと言うのならそれは本当だろう。なぜなら誰も、彼が嘘をついたのを聞いていないのだから......」

このような言葉、承認は、数人に見られたことではない。光の時代と、それに続く長い期間に、預言者ムハンマドを知る者たちのほとんど全てに見られたことである。

常に正しい道を勧められた

預言者ムハンマドは、御自身が常に正しい道を生きられたように、そのウンマにも、正しく生きることを勧められた。ここでそのいくつかを取り上げてみたい。

「私に、この六つの事を守ると約束してほしい。私はあなた方に天国を約束しよう。

1.何かを話す時は正しいことを話しなさい。

2.約束した時はそれを守りなさい。

3.預かり物について信頼に答えなさい。

4.性的な行動は確かな意志に基づいて行いなさい。

5.あなたにとってハラーム(宗教上禁じられているもの)であるものに目を閉じなさい。

6.手をハラームであるものから遠ざけなさい」[9]

預言者ムハンマドは常に、矢のようにまっすぐ生きられ、その生き方を勧められ、御自身のその正しさは、最も高い段階に達していた。預言者ムハンマドにはただ、アッラーへの忠実さがあったのである。それはある意味では限界に達しているほどであり、ある意味では限界を超えていたと言えるほどである。ミアラージュ(昇天)によって極めて上がって、カーディ・イヤズが述べているように、足をどこに置いたらいいかわからないような場所に達した。彼に「片方の足をもう片方の足の上に乗せなさい」と言われた。当然のことだが、預言者ムハンマドはあらゆる意味で、一人の人間である。しかし、その正しさが、そのお方をこのような段階にまで引き上げたのである。そして我々にもそのように生きることを勧められ「正しいことを話すと約束しなさい。一生の間嘘をつかないようにしなさい。私もあなた方に天国を約束しよう」とおっしゃられているのである。他のハディースでも、次のように述べられている。

「疑念を抱かせるようなものは放棄しなさい。正しく生きることは人間に信頼をもたらす。嘘は心を痛め、苦しめるものである」[10]

「常に真実を探し求めなさい。そのために損をしたように見えたとしても、それはあなた方に救いとなるものである」[11]

「正しい道から離れてはいけない。それはあなた方を清らかにし、清らかさはあなた方を天国に導くだろう。誰であれ正しい道を生き、常に真実を探し求めていれば、アッラーは彼を忠実な者とされるであろう。嘘をつくことは絶対にいけない。嘘は人間を罪に、そして地獄に導く。誰であれ、いつでも嘘をつき、嘘を探求していれば、アッラーは彼を嘘つきとされる」[12]

救いは、正しく生きることにある。人間は正直に生きたなら、その死は一度だけである。しかし、嘘は一つ一つが一つの死である。

カアブ・ビン・マーリクは「私は正直に振る舞ったことによって救われた」と述べている。正直に生きることという点で、彼を思い出さないことは難しい。彼は言葉も剣も鋭い人であった。詩人であった。彼の詩は、信仰しない者たちの世界をかき乱すことができた。

彼はアカバで、預言者に忠誠を誓った。従って、マディーナの最初期の人たちの一人であった。しかし、タブークの遠征に加わることができなかった。それは苦しい戦いであり、ほんの一握りの者のみで、強大なローマ帝国軍に対しなければならなかった。しかも砂漠の全てを焼き尽くすような暑さの中での戦いになるはずだった。彼は考えとしてはそこに参加し、勇敢さをみせるはずだった。しかしそれは考えのままでとどまった。預言者ムハンマドは、普段は軍事行動を機密にされるのにも関らず、この戦いではそうされず、公に自らも参加され、また召集された。それなのに、カアブ・ビン・マーリクは参加することができなかった。

ここでは、彼自身の書物の中から、彼が体験したことについて、彼の言葉を引用しよう。

「皆が、遠征に召集された。戦いは困難なものになると見られていたからである。しかし、アッラーはそれを実現されなかった。ただ作戦に沿った進軍は行なわれたが。

皆と同じように、私も準備を終えた。さらに言うなら、それまであれほどいい形で準備を整えたことはなかったのである。預言者ムハンマドは行動に移るよう命じられ、軍隊は動き始めた。私は『どうせ彼らに追いつくだろう』と考え、一緒に出発しなかったのである。他にするべきことがあったわけでもなく、ただ自分自身に対する信用が私を引き止めていたのであった。今日、明日、明後日、と言っているうちに何日も過ぎ、もはや預言者ムハンマドに追いつくことは不可能となっていた。待つしかしょうがない状態になったのである。それで私は待った。一時間が何日にも感じられる思いで、私は待ったのである。

ついに、預言者の帰還の知らせが聞かれるようになった。いつもそうであるように、マディーナは彼の帰還を前に新たな命を得たようであった。皆の顔に笑みが見られた。預言者ムハンマドが戻られるのである......

ついに、待たれていた時が来た。軍はマディーナに戻った。預言者も、習慣として、まずモスクに行かれ、2ラカートの祈りを行なわれた。それから民衆にお会いになられた。皆それぞれモスクへ行き、礼拝をし、そのお方の元を訪れ、そしてこの遠征に参加しなかった者たちは赦しを乞い始めた。私のような形で参加しなかった者は、多くが正当な理由があったように訴え、また預言者もそれを認められておられるようであった。私も、彼らと同じように振る舞うことはできた。なぜなら、私は最も説得力のある言葉を用いることのできる人間の一人であったのだ。しかし、全く何の正当な理由もないのに、そうして預言者に嘘を言うことができようか。私はそんなことはしなかったし、できなかった。預言者ムハンマドは、私の心臓に穴をあけるような苦い笑顔で私を迎えられた。そして『どこにいたのだ』と聞かれた。私は何も包み隠さずに話した。預言者ムハンマドは顔を背けられ、舌の先で『行きなさい』と言われた。

私は外に出た。皆が私を取り囲み、『あなたも何か理由を見つけなさい、それで助かる』と言った。彼らの言ったことは一瞬私の心を捉えた。しかしすぐに我に帰って、私は尋ねた。『誰か他に、私のような状態の人はいますか』彼らはいる、と言い、二人の名前を挙げた。二人ともバドルの戦いに参加した、有名な名誉ある教友に数えられる人たちであった。ムラーレ・ビン・レビとヒラール・ビン・ウマイヤであった。彼らも、理由をこじつけたりすることなく、真実を話し、私と同じような状態になっていた。待つことしかできない状態になったのである。私にとって、二人とも、従うべき存在の人たちであった。私は彼らがしたようにすることを決めた。正当な理由があると弁解することを断念したのである。

我々三人についての指示が出された。もはや、ムスリムは誰も、我々と会い、話をしないということになった。他の二人は家に閉じこもって昼も夜も泣き続けていた。私は三人の中では最も若く力があった。通りに、市場に、バザールに出かけていた。礼拝の時間にはモスクにも出かけた。ただ、誰も私と話をしなかった。私は時間の多くをモスクで過ごしていた。預言者の笑顔を一目でも見るために長時間待ったこともあった。しかし、いつも、家に悲しみにくれて戻った。そのお顔から笑みを消されることのないお方が、私に対しては一度として笑顔を見せられることはなかった。私は挨拶をした。その唇にわずかでも動きがあればと私の目は唇に釘付けになっていた。しかし、ほんのかすかな動きさえも見られなかった。

私は何度も、礼拝する時に目の隅で預言者を見ていた。私が礼拝をしている時そのお方は私をご覧になっておられた。しかし礼拝が終わるとすぐに私から目をそらされた。50日これが続くことになっていた。全ての人やその土地が私には見知らぬもののように感じられた。自分が別の国にいるかのようであった。

私の従兄弟にアブー・カターデがいた。私は彼をとても愛していたし、彼も私を自分の命のように愛していた。ある日、私は彼の庭の塀を乗り越えて、彼のそばに行った。私は挨拶をした。しかし彼はそれに答えなかった。『アッラーのために、どうか答えてほしい、私が預言者を愛していることを信じないのか』と私は言ったが、彼は何も答えなかった。私は同じ言葉を三回繰り返した。三回目に、彼は『預言者のみが知ることだ』と言い、私のそばから離れた。私はこの世界が私の上に崩れ落ちたかのように感じた。彼のこのような言葉や振る舞いを全く予想していなかった。私の目に涙がたまり、私は声を上げて泣き始めた。

またある日、私はマディーナのある通りを一人きりでうろうろしている時に、通りである男が私を尋ねているのを聞いた。聞かれた人は私をしぐさで指し示していた。男は私のそばにやって来た。その手に手紙があった。それは私宛のもので、ガッサン王からのものであった。王は、私を自分の国に招待していた。『聞いたところによると、あなたの支配者はあなたを孤独に陥れたらしい。我々のところに来てほしい。あなたのような人は我々にとって有益である』というような言葉が並んでいた。これは試練であると私は思い、その手紙を破り、火の中に捨てた。

40日目のことだった。預言者は一人の使いを寄越された。彼は我々が妻からも離れていなけらばならないと伝えた。『どうすればいいのですか。離婚するのですか』と私は尋ねた。『ただ離れていればいいのだ』と彼は言った。私は妻に、実家に戻るように言った。この時、ヒラールの妻は、年老いて自分一人では用が足せない夫のために、夫のところへ手伝いに行くことの許可を求めた。預言者も許可を与えられた。私も同じように許可を得るように言う者もいたが、私はそれを認めなかった。そのようなことを言い出したら、預言者ムハンマドがどのように対応されるか私にはわからなかったからである。

そうこうする内に時が過ぎて、ちょうど50日になった。もはや私は限界に達していた。世界は闇に包まれ墓場のように狭く感じられた。いつものように朝の礼拝をして、座っていた。誰かが大声で私の名前を呼んでいるのを聞いた。声は『良い知らせだ、カアブ』と言っていた。私は何が起こったのか理解した。すぐにスジュード(叩頭)をした。その日、朝の礼拝の後で預言者ムハンマドは我々を許されることを宣言されたのだ。すぐにモスクへ走った。皆が立ち上がって私を祝福し、抱きついてキスをした。まるでまた別の新しいアカバの街を見るようだった。私は預言者に近づきその手をとった。預言者も私の手をとられた。あの瞬間は、天国の知らせがもたらされたとしても、おそらくこれほどには喜ばれなかったであろう。預言者ムハンマドは、『アッラーは、あなた方をお許しになられた』と言われた。そしてこの節を詠まれた。

「後に残った3人に対しても、また彼は憐れみをかけられた。大地はこのように広いのだが彼らには狭く感じられ、その魂も彼ら自身を狭めるようになった。そして彼らは、アッラーにすがる他にはアッラーから逃れるすべがないことを悟った。すると主は憐れみをかけられ、彼らは悔悟して彼に返った。本当にアッラーは慈悲深い方、たびたび許される方であられる」(悔悟章9/118)

預言者ムハンマドがこれを詠まれてから、私は預言者に、『預言者よ、私は正直さによって救われました。これからも、生きている限り、正しいこと以外話さないと約束します』と言った」[13]

そう、預言者の真実、忠実さは正直さという根本的な土台の上にあるものである。全ての預言者は本当のことを話す。そして、そのようにあることは絶対条件でもある。なぜなら、まだ知られていない世界から、その知らせを携えてきてそれを人間たちに知らせる者に、どんな小さなことであれ間違いなどがあれば、何もかもがめちゃくちゃになってしまうであろうからである。人間として我々が学ばなければならない全ての真実は、我々に彼らを通してもたらされるのである。だからこそ、アッラーはこのようにも述べておられる。

「もし彼(使徒)が、われに関して何らかの言葉を捏造するのであれば、われはきっと彼の右手をとらえ、彼の頚動脈を必ず切るであろう。あなた方のうち、誰一人、彼を守ってやれないのである」(真実章44~47)

預言者ムハンマドは、アッラーの命の前に全く従順であられた。アッラーは彼を望まれる方向へと送られ、また彼もそれに従われた。最高の地点に達した後でもなお、彼はこの点においての厳格さを失われなかった。失われなかっただけではなく、それはさらに増していったのである。

彼は自分の言葉に忠実であられた

40歳まで、預言者ムハンマドが真実ではないことを言ったり、約束を守らなかったのを見たり聞いたりした者は誰もいない。後に、教友となる名誉を得たある者はこのように語っている。「まだイスラームを知る以前の時代に、預言者ムハンマドとあるところで会う約束をした」。当時はジャーヒリーヤ(無明時代)ではあったが、御自身は無明の時代などというものは経験されなかった。彼は常に、預言者としての生き方をされていた。この教友は続ける。「私は自分の約束を忘れてしまった。三日後に思い出して、急いで待ち合わせの場所に行ってみた。私は預言者がそこで待っておられるのを見た。そのお方は怒ったり、叱ったりはされなかった。ただ、こう言われた。『若者よ。君は私を困らせたよ。私は三日間もここで待っていたのだ』[14]

御自身の話されたことがそのお方自身を評価する

そのお方は、生まれた時から預言者ムハンマド・ムスタファ(純粋で混じり物のない)であった。だからこそ、預言者としての任務を始めると、皆その言うことを心から信用し、認めた。この世界全てがそのお方に「正しいことをおっしゃられています、預言者よ」とその評価に駆け寄った。単に人間だけではなく、全ての種、種族が、それぞれの代表を送った。そしてこのお方に従った。

ここで少し追加として次の点を述べることに価値があると願う。聖クルアーンの、そして預言者の輝かしい宣言は、アッラーの特性とその御名における関係を見事に示しており、哲学者の考えをもってしても、忠実な信徒たちや学者たちの魂をもってしても、それほどまでに理解し明らかにすることは到底不可能であった。そしてこれからも不可能である。

このような高められた魂が天使のような段階に向かって段階を上げていくことは、結果として次のことを明らかにする。つまり、進んで行くにしたがって聖クルアーンや預言者の説明されたことが真実であり、アッラーによるものであるということをさらによく理解し、喜びを得るようになるだろうということである。

今日、預言者ムハンマドが語られたことは全て、その分野の知識人によって認められ、評価されている。さらには、死後の復活と運命について非常に細かく語られており、しかもそれぞれのテーマの間の均衡がうまく守られている。そのため、それ以前の者のみならず、彼以降の時代の者たちも納得している。彼の輝かしい宣言がなかったと仮定するなら、我々はこのテーマについて全く何も語ることができないであろう。

聖ウマルは語っている。

「ある日、預言者は朝の礼拝の後説教台に上がられた。そして長い時間語り続けられた。正午と午後の礼拝があり、その後も再び話し続けられた。それは夜まで続いた。何を語られたか、全てを述べるのは困難であるが、それまでに語られていなかった全てのテーマに触れられたと言える」[15]

そう、預言者ムハンマドは、最初の創造から、宇宙のなりたち、人間の創造に到まで、創造に関する全ての段階について語られた。それから、審判の日まで人間たちに起こるであろうことを説明された。過去の中に忘れ去られていた聖アーダムにまでさかのぼる全ての預言者についても、その特性についてまで説明され、また未来に視線をめぐらせて、死後の世界、天国や地獄についても全て説明された。しかしながら、預言者ムハンマドは本を読まれたり、誰かの授業に加わったりしたことはないのである。それなら、これらのことはどうして知ることができたのであろうか? そう、そのお方に全てを教えられた一人のお方が存在するのである。それは疑う余地もなく、全てを知り給うアッラーである。

預言者ムハンマドが、地上から天上まで、そして地の下についてまで説明された全てのことは、そのお方に、アッラーが教えられたことである。このようなことが他の方法では知り得ないということを今日の人間でさえ承知しており、これも預言者の正しさの一つの証拠である。

預言者ムハンマドは、預言者たちについても語られておられる。彼らを紹介され、顔形についても説明されている。当時の啓典の民たちはこれらを全く否定せず「我々の本でもそのように書かれている」と認めていた[16]。聖書などを読まれたことはない人が、彼らについて本に書かれているとおりに、さらには書かれていないことまで、自分より以前に生きた預言者たちを詳しく語られること、そしてそれを知っている者が評価すること、これらは、預言者ムハンマドの正しさと、その呼びかけが真実であったことの証拠ではないだろうか? 

ここで私が述べたかったこの問題をきちんと紹介することは、私の能力を超えている。そもそも私と同じような状態である読者たちにとっても、このことに違いはないであろう。このようなテーマを理解し、説明できるようになるためには、それを評価できるほどのレベルに達していなければならない。ただ我々は、そのような状態に達していると我々が信じた人の言葉を信じているのである。数多くのそのような人たちが、それぞれの分野の頂点において預言者の説明されたことを評価しているのであり、それは預言者の正しさの更なる一面を構成する。最も優れた人々が彼を認めたことは、預言者は真実ではないことは語らなかったということを意味するのである。そもそもこのお方の語られたことはこのお方自身からのものではない。常にアッラーの言葉を伝えられたのである。言葉の王であられたのもそのためである...[17]

ここで、我々がかなり詳しく掘り下げていきたいテーマがある。それは、14世紀前に彼が未来について語られたいくつもの言葉が時がたつにつれて成就したということは、それぞれが預言者の正当性の証拠であるということである。ただその前に、一つのことを説明しておきたい。それは「ガイブ」(知られていないこと)という言葉のいくつかの意味についてである。これも、注意深く捉えるべき問題なのである。

ガイブという言葉について

「ガイブ」という言葉は、聖クルアーンで、多くの節で異なる意味で使われている。

「幽玄界の鍵は彼の御許にあり、彼のほかは誰もこれを知らない。彼は陸と海にある全てのものを知っておられる。一枚の木の葉でも、彼がそれを知らずに落ちることはなく、また大地の暗闇の中の一粒の穀物も、生気があるのか、枯れているのか、明瞭な天の書の中にないものはないのである」(家畜章59)

この節では、ガイブとはアッラーが知っておられることとされ、アッラー以外は誰も、預言者ムハンマドすらそれを知らないと述べられている。これに関しては、次のような記述もある。

「言ってやるがいい。『アッラーの宝物が私の手にあるとは、あなた方に言わない。また私は幽玄界についても知らない。また私は天使であるとも言わない。私はただ私に啓示されたことに従うだけである』言ってやるがいい。『盲人と正常な目の人とは同じであろうか。それでもあなた方は反省しないのか』」(家畜章6/50)

「言ってやるがいい。『私はアッラーがお好みにならない限り、自分自身の利害すら自由にできない。私がもし幽玄界を知っているならば、私は良いことを増し、また厄災に遭わなかったであろう。私はただ一人の警告者で、信仰する者への吉報を伝える一人の伝達者に過ぎない』」(高壁章7/188)

アル・ジン章では、この件について次のように述べられている。

「彼(だけ)が幽玄界を知っておられ、その秘密を誰にも漏らされはしない。彼のお気に召した使徒以外には。それで、彼は前からも後ろからも護衛して(使徒を)赴かせられた」(アル・ジン章26~27)

ここで、これらの章から次のような分析をすることが可能である。預言者ムハンマドはガイブを知っておられたとすることは行き過ぎであり、ご存知ではなかったとすると過小評価となる。預言者ムハンマドは、ガイブをもともと知っておられたのではない。アッラーが知らされたために、知っておられるのである。そのために、最後の審判の日までに起こる全ての出来事をお知りになり、それを人々に示されたのである。我々がこれから詳しく述べようとしているのはこれらの例である。自分から何かを語られることはなく、預言者ムハンマドが語られたことは全て神の御意志であり、アッラーがお知らせになったことなのである。アッラーによって知らされるものである以上、ただ預言者たちや預言者ムハンマドのみではなく、一部の人たちにも知らされることはあった。預言者も「私のウンマには、一部知らせを受ける者たちがいる」[18]と述べられている。

説教台にあがられて説教をされていた時、何日もかかる遠方で戦っているイスラーム軍が、山側から敵軍に囲まれそうになったのを見たウマルが、軍の司令官であるサーリエに「サーリエよ、山側へ!」と三回叫び、サーリエもこの声を聞いて包囲を突破したことはその例である[19]。ムヒディン・ビン・アラービーのような人たちが、何世紀も後のことをその通りに示したこと、メヴラーナ、イマーム・ラッバーニ、そしてムシュタクのような、何百もの人が将来のことを知りえたということ、その際、預言者ムハンマドに心からの従属を彼らが示していたということ、そして彼らに与えられたその恵みが、全て預言者からもたらされたものであると彼らが述べていることは、預言者ムハンマドが、アッラーの思し召しによって、ガイブをよく御存知であったことを示している。預言者ムハンマドが育てられた者たちがこれほどの名誉を受け、ガイブを知ることすらできるのであれば、全てのウンマを量りの一方に、預言者ムハンマドをもう片方に乗せたら預言者ムハンマドの乗られた方がなお重いとさえ言われる預言者が、そのような奇跡を起こされることをなぜ信じないでいられようか...[20]

信頼できるハディースの本で述べられている、このような預言者の300に近い奇跡がある。これらの多くは実現し、残りもする時を待っている。我々は、ここでこれらの全てに触れることはできない。ただ、説明のためにいくつかの例を示したいと思う。これらは、三つのグループに分けることができる。

第一は預言者ムハンマド御自身の時代についてのこと。

第二は遠い未来、あるいは近い未来についてのこと。

第三は技術の発達などによって、後になってから真実であることが明らかになった説明。

御自分の時代についての言及

1.若者の父親について

ブハーリー、ムスリムをはじめとする全てのハディースでは、共通してこの出来事が伝えられている。ある日、預言者ムハンマドは説教台にあがられ、視線を見えざる世界のほうへめぐらせて、立腹された様子を見せられつつ、聴衆にいろいろなことを語られていた。そして「今日は私に何でも聞きたいことを聞きなさい」と言われた。皆が質問し、預言者ムハンマドも答えられていた。その時、一人の若者が立ち上がって言った。「私の父は誰ですか、預言者よ」おそらく、ほんの少しであれ父親についてのよくないうわさがあって、この若者を苦しませていたのであろう。この時機会を得て、ガイブをもお知りになる(アッラーのお許しによって)預言者ムハンマドに自分の父が誰であるかを尋ねたのであった。預言者は答えられた。「あなたの父はフザーフェである」若者はもはや気が楽になった。なぜならこの答えが彼を満足させたのである。今後は、否定的なことを考える必要もなく、その父親の息子として名乗れるからである。

そして、このように皆が質問している時、預言者の魂の状態を最もよく理解した者、偉大なウマルは、突然立ち上がり「我々は、神としてアッラーに、教えとしてイスラームに、預言者として預言者ムハンマドに承服します」と言った。彼のこの心からの対応に、預言者はその心に満足を感じられた。

この出来事は、この日礼拝所を一杯にしていた教友たちの前で起こった。彼らは皆、預言者が述べられたことを認め、皆声もなく「あなたは正しいことを言っている」と認めていた。[21]

2.アブー・ジャハルの死について

ムスリムでは次のように伝えられている。聖ウマルは言った。

「我々はバドルにいた。預言者ムハンマドは、戦いのための作戦を確定され、戦いの場となるであろう所を見て回られていた。その時、また視線を見えざる世界の方にめぐらされ、未来を見つめられながら、その手で地面を指し示され、言われた。

『ここでアブー・ジャハルが死ぬだろう。ここでウズバが、そこではシャイバが、死ぬだろう。ここはワリドが倒れる場所である』

実際はさらに多くの名を挙げられたのであった」戦いの後、ウマルは神に誓って言った。「預言者が、誰がどこで死ぬと示されたとおり、皆その場所で死体となって見つかった」[22]

そう、人生を通して預言者をその言葉でもって認めなかった者たちは、死体となって結局預言者の正当性の証人となったのである。預言者が前もって知らされたとおり、1センチも違わずにその知らせは現実化したのである。

3.扉から中に入った人について

アハマド・ビン・ハンバルの「ムスナド」に、次のような出来事が述べられている。

「預言者は、教友たちと共にモスクにおられた。その際、

『少ししたら、ここに、一人の人がやって来るだろう。その顔は輝いている。彼はその扉から中に入るだろう。彼はイエメンの最も素晴らしい者たちに含まれる人であり、その額に天使の手が触れた跡がある』

と言われた。少しして、まさに預言者が知らせたような人がやって来て、彼の前にひざをついて、ムスリムになったことを宣言した。輝かしい顔を持ち、礼儀正しいこの人は、ジェリル・ビン・アブダッラー・アル・バジャリーに他ならなかったのであった。[23]

4.「もう一度兵を集めて彼と対決すればどうであろうか?」

ベイハキーの、デラーイルーン・ヌブーベでは、次の出来事が伝えられている。アブー・フスヤーンは、マッカが制圧された際にムスリムになっていた。しかしその心には信仰心が十分に根づいてはいなかった。預言者がカアバ神殿を回られている時、アブー・フスヤーンもそこにいた。一瞬、彼の頭を次の考えがよぎった。「もう一度兵を集めて彼と対決すればどうであろうか?」ちょうどその時、預言者ムハンマドはアブー・フスヤーンのそばに来られ、その耳にささやかれた。「その場合はまた我々があなたを負かすだろう」。アブー・フスヤーンは何が起こったのかを理解した。その瞬間、定まらなかった信仰心が一気に定着した。その場で飛び上がり「アッラーに懺悔し、赦しを請います」と言った。アブー・フスヤーンの脳裏に一瞬よぎっただけのこの考えを、預言者ムハンマドに誰が知らせたと言うのであろうか。アブー・フスヤーンがこの行為によって示しているように、このお方はアッラーの預言者であり、正しいことを語られているのである...[24]

5.「悪魔の男」から「献身的な人」へ

信頼に値するいくつもの本で、次の出来事が説明されている。ウマイル・ビン・バフブは、教友たちの間で「イスラーム教に献身的な人」として思い出される人物であるが、無知の時代において彼の名は「悪魔の男」であった[25]。ある時、彼はサフワーン・ビン・ウマイヤと交渉し、成立した。ウマイルは、ムスリムになったかのように見せかけて、マディーナへ行き、そこで預言者ムハンマドを殺すことになっていた。その見返りに、サフワン・ビン・ウマイヤも彼にラクダを与えることになっていた。

ウマイルは刀を研ぎ、出発した。マディーナへ来ると、ムスリムになったことを告げ、預言者ムハンマドに服従を誓いたいと申し出た。人々は彼をモスクに連れてきた。しかし、教友たちはウマイルを全く信用しなかった。そのため誰も彼を預言者ムハンマドと二人きりにしようとはせず、預言者ムハンマドを取り囲んで守り、彼の動きに注意を払っていた。ウマイルがモスクに入ると、預言者はなぜ来たのかと尋ねられた。ウマイルは嘘を語った。しかしどの言葉も、預言者ムハンマドを信じさせることはできなかった。最後に預言者は言われた。

「あなたは正しいことを言っていない。だから私が言ってみよう。あなたはサフワンとこういう風に話し、私を殺すためにここに来た。サフワンもあなたにこれだけの数のラクダを与えるはずであった」

ウマイルは、頭を殴られたかのようになり、預言者の手にしがみつきながら即座にムスリムとなった[26]。そしてそれ以来イバーダに励み、教友たちから「献身的な人」と言われるようになったのである。

ウマイルとサフワンの間で行なわれた会話を預言者ムハンマドはなぜお知りになったのか? 間にこれほどの距離があるのにも関らず、この知らせを誰がもたらしたのか? 

信じる者も、信じない者も、皆、このような出来事について一言一言読んでほしい。我々はここで次の章に移ろう。

近い将来についての言及

1.反乱についての知らせ

ブハーリーとムスリムでは、ウサーマについての言及がある。ウサーマはザイド・ビン・ハーリサの息子である。預言者はウサーマを非常に愛され、いつもそばにいさせられた。聖ハサンやフセインを片方のひざに座らせられる時は、いつも、ウサーマをもう片方のひざに座らせられた[27]。一度は、彼ら全てについて「アッラーよ、彼らを慈しんでください。私は彼らを憐れんでいるのです」[28]と祈られたこともあった。

その人生の終わり近くに、ビザンツに対して整えられた軍の司令官をウサーマに命じられ、何年も前に彼の父が殉教したその地で、アッラーの敵に対して彼らの身の程をわきまえさせる任務を与えられたのであった。預言者ムハンマドの健康状態が悪化した時、ウサーマは軍を止め、最期を迎えられるまで、軍を進めなかった[29]。このウサーマは次のように述べている。

「ある日、私は預言者と共にいた。その日、預言者は高い建物の上に上られ、周囲を見回されていた。その時『今、あなた方の家の周囲に、雨のように反乱が押し寄せているのが見える』と言われた」[30]

それから、そのお方は我々の元から去って行かれた。その後、通りは暴動で満たされた。そう、聖ウマル、聖ウスマーン、聖アリーは皆、この暴動、反乱によって命を落とし、殉教したのである。あたかも、反乱がその災いの言葉によって、預言者に「あなたの言うことは正しい」と言っているようであった。

聖ウマルは、人生を通して常にこの反乱の発生を恐れていた。ある時、モスク一杯の人々と共に座っている時、尋ねられた。

「預言者がもたらされた、反乱についての知らせを聞いて、それを知らせることのできる者はいるか?」フゼイフェが

「私がいます」と言い、ウマルは

「あなたは勇敢な男だ。話してみなさい」と言われた。

「人間にとっての反乱とは、家族に、財産に、自分の欲望に、そして近所に、存在します。これらに対して、断食、礼拝、よい行いが人間を守る保障となります」と語った。ウマルは言われた。

「いや、私が尋ねたのはそういうもののことではない。海の波のように押し寄せる反乱について尋ねたのだ」。フザイファは言った。

「ウマルよ。そういうものと、あなたとは何の関係もありません。あなたと、そういうものとの間には閉じられた扉があります」。ウマルは尋ねた。

「その扉は開かれるのか、それとも壊されるのか」

「壊されます」、フザイファは答えた。ウマルは動揺し、震える声で言った。

「それならば、その扉は再び閉じられることはないのだ」[31]

後に、教友がフザイファに尋ねた。

「ウマルは、その扉というのが自分自身であることを知っていたのだろうか」フザイファは答えた。

「はい、昨日の夜の出来事を知るように、そのことも知っておられました」

自分自身が去った後、共同体の統一に関する、閉じられた扉が開かれ、反乱や騒動が発生するだろう。彼はこれらを知っていた。なぜなら、預言者が知らされたからである。

そして時が来ると、このようなことが全て実際に起こった。ウマルはイランの裏切り者の手にかかって殉教した。その同じ日、イスラームは統一という点でその内部に深い傷を受けたのである。敵は標的を正しく選び、無慈悲にもその矢を標的に命中させた。そして、彼の死の後、反乱は洪水のように押し寄せ、イスラーム世界を襲来した。これらの事実はもちろん悲しいことである。しかし別の面からは、これらの出来事は、あたかも、天に星で「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはその使徒である」と描いたような、強力な証拠であり、印となったのである。

2.戦勝の吉報

ブハーリーと、アブー・ダーウードの「スネン」で、ハッバーブ・ビン・アラットが伝承している次の出来事について見ることができる。ここでは彼自身の言葉に耳を傾けてみよう。

「苦しみの多かったある時代、預言者は覆いを頭からかけられ、カアバの蔭で座っておられた。どのようなことが彼に対してなされたのか、誰にもわからない。当時はそういう時代であった。無知な者たちは全ての道具をムスリムたちに対して武器のように使っていた。私は当時、まだ解放されていない立場であった。私の持ち主や他のマッカの住人たちが私に対して行った拷問が、もはや耐えられない段階に達していた。預言者ムハンマドが一人でおられたので、私は近づきそして言った。

『預言者よ。アッラーに祈って、アッラーの御加護を求めてくださいませんか』

彼は預言者ムハンマドがすぐに祈られると思っていた。さらに、クライシュ族に対して呪いをかけられるとも予想していた。しかし預言者ムハンマドは彼に言われた。

「アッラーに誓って言うが、あなた方以前の者は、もっとひどい拷問を受けたのだ。彼らは、溝の中に寝かされ、鉄ののこぎりで体を二つに切断されたりした。しかし、それでも、教えから戻る者はいなかった。肉が骨から離れても、教えを放棄することはなかった。アッラーはこの教えを完成させられるであろう。ただあなた方は焦っているのだ。いつか、女性が一人で、ヒラー(マッカにある山)からハドゥラムト(アラブ半島の西南にある地方)まで、野生動物以外の何者も畏れることなく旅ができる日が来るであろう」

そしてハッバーブは明言する。

「預言者のおっしゃられたことはその通り実現した。私自身の目でそれらを見たのだ」[32]

3.家族の中で彼に最初にお会いできるのは

預言者ムハンマドが、その死の原因となった病を得られたある日、そのこまやかさや、、深いまなざしまで全てその父に似たファーティマを、そばに呼ばれた。そして身をかがめ、その耳に何かをささやかれた。ファーティマは泣き始め、その哀しみ方の激しさに、皆は驚いた。少し後に再び預言者はその耳に何かをささやかれた。今度は彼女は大変喜び、見ていた者は、天国の扉が開かれてそこに入れるという呼びかけでも来たのかと考えた。そもそも彼女にとって、その知らせはそのようなものであり、だからこれほど喜んだのであった。

この出来事は、聖アーイシャの目にもとまった。彼女に理由を尋ねた。しかしファーティマは「これは預言者の秘密です」と、何も説明しなかった。アーイシャが、預言者が亡くなられた後に再び尋ねると、その時、ファーティマは次のように答えた。「一度めは、彼が亡くなるという知らせでした。二度めは、家族の中で彼に最初にお会いできるのは私だという知らせでした。それで喜んだのです」[33]

六ヶ月の後、彼女は父親の元に行った[34]。そしてこの彼女の死もまた、預言者ムハンマドの正当性を認め、彼に「あなたの言うことは正しい」と言っているのであった。

4.平和の時代の吉報

6つのハディースの本の多くで触れられている預言者ムハンマドの言行に、次のものがある。ある日、預言者は説教台におられる時、孫である聖ハサンを示されて言われた。「これは私の子供であり、預言者の家系からの者である。アッラーは将来彼をもって二つの大きな共同体を和解させるであろう」[35]

彼は気前のよい人であり、預言者の子であり、紳士的であった。彼自身に与えられた王位を、共同体の間で分裂があるのを防ぐだけのために、放棄し、預言者の家系の者であることを示すはずであった。そして25年、30年と待つこともなく、預言者の言われたことは一つ一つ実現したのである。聖アリーの後、ウマイヤ)の者たちはハサンを選んだ。しかしこの平和と平穏の人ハサンは、全ての権利を放棄することを宣言し、対立状態にあった二つの共同体の間に和解をもたらせ、惨事が起こることを一時的ではあったにしろ、防いだのである。[36]

預言者が彼についてのこの知らせをもたらされた時、ハサンはまだ小さい子供であった。おそらくは、その日預言者が何を話されたかも理解していなかっただろう。つまり、預言者がこのように言われたから、と言ってこういうことをしたのではないのである。預言者ムハンマドは、彼がそうするであろうことを知っておられたからこそそうおっしゃられたのである。聖ハサンも、祖父の正当性を認め「あなたの言うことは正しい」と言っているのである。

5.100年生きる人について

預言者ムハンマドは、アブドッラー・ビン・ブスルの頭にその手を置かれ「この子供はちょうど一世紀生きるだろう」と言われた。付け加えとして「この顔にあるイボもなくなるだろう」と言われた。後に教友の一人が言っている。「その人物はちょうど100年生きた。顔にあったイボもなくなった」[37]

聖クルアーンで「預言者よ、本当に来世(将来)は、あなたにとって現世(現在)より、もっとよいのである」(朝章93/4)と言われているとおり、いつでも、その前の瞬間よりも完全さに向かって段階を上げられ、そして常に以前の状態を不十分とみなされ、一日に100回はアッラーに赦しを乞われていた[38]。それと同じように、共同体(ウンマ)も、このお方を理解すること、知ることにおいて日々少しずつ進歩していた。そして預言者が将来について述べられたことが実現するのを見るにつけ、彼らの信仰心も増していった。そしてそのお方に「あなたは預言者です」と言ったのであった。

将来についての言及

時間という観点から、これまでに述べた例よりも預言者の生きられた時代からさらに遠く、我々の生きている時代にもっと近い時代について、さらには今この時代について、あるいは我々より後の時代についても、預言者ムハンマドは言及されている。ここではそれらのうちからいくつかを取り上げてみたい。

1.での知らせ

後で「塹壕の戦い」と呼ばれた第3回目の戦いの前にマディーナ北方に塹壕が掘られていた。ほとんど全てのハディースの本で、次のことが伝えられている。

「私たちは塹壕を掘っていた。大きな岩があり、努力したにも関らずそれをそこから掘り出すことができないでいた。預言者も私たちと一緒に作業されていた。さらには、我々の精神力を増す目的で時々、

『アッラーよ、あの世での暮らしの他に暮らしはない。あなたがマディーナのムスリムと移住者たちをお許しくださいますように』[39]と言われた。教友たちも、彼のこの言葉に勇気づけられ、

『アッラーよ、あなたがいなければ

私たちは正しい道に到ることができなかったでしょう。

礼拝することも、喜捨をすることもなかったでしょう。

私たちに平安をお授けください。

敵と直面した時には私たちの足が滑らないようにしてください』[40]

と歌いながら返事していた。

我々は、最も小さい問題に直面した時でさえ、預言者に話していた。この大きな岩という問題にぶつかって、当然預言者に知らせたのであった。預言者はレバー(てこ)を手にしてやって来られた。そしてそれで、岩を砕き始められたのである。そのお方がそのレバーを岩に振り下ろされるたびに、岩から火花が散り、そしてあたかもそれと同時に預言者にもアッラーからもたらせられる火花が散っているようであった。預言者ムハンマドは岩を打つごとに言われた。

『今、私にビザンツの鍵が与えられた。

ササンの城壁が打ち破られたのが見える。

イランの鍵が私に与えられたのが見える...』」[41]

それから数年が過ぎ、預言者ムハンマドはサアド・アビー・ワッカースやハーリド・ビン・アルワリードのような偉大な司令官の剣によって、それらの地域の征服を成し遂げられ、これらの地域のかぎが預言者に譲渡されたのである。ここでも預言者ムハンマドの正しさが認められるのである。もちろん、認めないことは不可能であり、なぜならそのお方は正しいことを示すために遣わされたからである。仮に、預言者がこのように「こうなるだろう」と言われたことは、それがそもそもは起こらないはずのものであったとしても、アッラーは預言者が嘘をついたとされないために、それらを実現させられる[42]。

これはあり得ないことではなく、教友たちのうちの一人ベラーについても「彼がどんなことであれ明言すれば、アッラーは彼をその明言において嘘つきとはされない」[43]と言われているのである。教友たちは戦争のたびに彼を前に置き、勝利を確実なものにしようとしたのであった。教友の一人にこのような特質を与えられたアッラーが、預言者には与えられないということがあり得るだろうか? しかし実際は、預言者ムハンマドはそれを知っていて、言われたのである。なぜなら、アッラーが預言者ムハンマドにそれらを知らされるからである。

2.安全と豊かさの吉報

アディ・ビン・ハーテムはハーテミ・ターイの息子で、以前はキリスト教徒であった。探求の末、預言者と出合い、救われたのである。この幸運な教友は次の出来事を語っている。

「ある日、預言者と共に、貧しさや欠乏や山賊が通行を妨害することについて語り合っていた。預言者は言われた。

『いつか、ヒラーからハドゥラムトまで、女性が一人で旅をするようになる日が来るだろう。そして、野生動物以外の何者をも畏れることはないだろう』これを聞いて、私は驚いていた。ターイ族の山賊がいると言うのに、どうしてそんなことが可能になるのだろうか、と内心思っていた。預言者ムハンマドは続けられた。

『いつか、キスラの財宝をあなた方が分配する日が来るだろう』私は尋ねた。

『イランの、キスラの、財宝ですか? 』

『そう、イランのキスラの財宝だ』と彼は答えられた。私の驚きはさらに増した。当時、イランは最も華々しい時期にあったのである。さらに続けられた。

『いつか、あなた方は喜捨するべきお金を持って、しかもそのお金を喜捨する相手を見つけられずにうろうろする日が来るだろう』[44]

私はこれらのうち最初の二つが実現したのを見た。生きていれば、三つめも見ることができるであろう」

アディはこの三つめの時代を見ることはできなかった。しかし、その時代を見た者はいるのである。ウマル・ビン・アブドゥルアジズの時代、預言者ムハンマドの言われたことは実現していた。現在の30ヶ国を含んでいたこの大きな国家は、富の分配という面で非常に発達しており、貧しい者はいないといっていい状態であった。今日のアメリカや西側諸国の生活レベルはこの国家のものとは比べものにならないほど低い、と言っても誇張ではないはずである。今日、富の分配は非常に不平等で、豊かに生きる者もいれば、ひどい環境にいる者もいる。しかし、当時はこのような不平等は見られなかったのである。[45]

3.殉教されるアンマルへの警告

預言者モスクが建設中されている時のことだった。皆懸命に働いていた。ある者は日干し煉瓦を作っていて、ある者はそれを運んでいた。もちろん、預言者も彼らにまじって働いておられた。その背中に煉瓦を乗せて運ばれておられたのであった。アンマルがそばにやって来た。その背中に二つ煉瓦を背負っていた。「預言者よ。彼らは私の背に二つも煉瓦を背負わせました」と言った。預言者は微笑まれ、彼の顔のほこりや砂をその神聖な手で払われた。その時、ちょうど30年後に彼の身に起こる痛ましい出来事を[46]、語られたのである[47]。聖アリーに対抗する、正しい道からそれてしまった共同体によって殉教させられるであろうということを告げられ、また彼に警告された。

そして、スフィーンでアンマルはアリー側であった。そしてその時の戦いでこの偉大な教友は殉教したのである。さらには、アリーの側の者はこのことを対抗勢力に対して彼らの不当性の証拠として訴え「あなた方は正しい道からそれている」[48]と言い渡したのであった。

この地でアンマルの血が流されてしまったのは事実である。しかしその流された血の一滴一滴が、あたかも預言者ムハンマドに「あなたのおっしゃることは正しい」と言っているようである。

読者の皆さんにも考えてほしい。アッラーが知らされたのでなければ、人間がいかにしてこのようなことを知りえるだろうか? 今日、空想的な番組などでは予言者と名乗る者が現れる。彼らはそれほど難しいことをしているのではない。彼らが扱う出来事には、その兆し、経過というものがあるからで、これらを注意深く観察する能力のある者ならその結果を導き出すことはできるのである。しかし、預言者がガイブについて知らされた出来事というのは、その兆しすら全く存在しないことについてであった。だから、彼が語られたことの十分の一でさえも、どんなに優秀な頭脳の持ち主であれ語ることは不可能である。これは頭脳とかそういう段階を超えた問題であり、我々を超越している。ガイブに対して開かれた目を持ち、アッラーの意志によって導かれた者でなければ、このようなことを知ることは不可能である。つまり、預言者ムハンマドは自らの言葉で語られたのではなく、アッラーが知らされたことを語られているのであり、語られたことはいつも、正しいのである。

4.無信仰の部族の報告

ある日、戦利品の分配が行なわれていた。そこに、鼻が低く、目が落ち窪み、頬骨が突き出た一人の男が現れた。ちょうどモンゴル民族を思わせる顔つきであった。おそらくは、将来出現するある集団をこの男が象徴していたと言えるかもしれない。彼は礼儀をわきまえず、預言者に次のように言ったのであった。「この分配は公平ではない。公平にしてくれ」。おそらくは彼はムスリムのように見せかけていただけでムスリムではなかったのであろう。だからこそ、預言者ムハンマドにこのようなことが言えたのである。預言者「私が公平でなければ、誰が公平であり得ようか。もし私が公平でないのであれば、それは私にとって悲惨であり挫折である」と言われた[49]。この言葉によって預言者が意味されようとしたことは、次のことである。もし一人の預言者が公平でなければ、その民は公平というものを誰から学べるだろうか? 公平というものが存在しないところでは、人々は悲惨であり、挫折しているだろう。つまりあなた方もそうであるという意味になる。さらに、もし私が公平でなければ、私は過ちを犯したことになる。しかし、アッラーは私を預言者として遣わされたのだ。つまり私は過ちを犯してはおらず、だから公平なのである。

聖ウマルは、預言者に対する話し方というものを知らないこの礼儀知らずの男に、身の程をわきまえさせてやろうと、預言者から許しを求めた。しかし預言者はそれを認められず、次のようなことを語られた。

「将来、一つの部族が出現する。幅広の顔で、鼻が低く、細い目は落ち窪んでいる。この者たちが聖クルアーンを詠むのを聞くと、あなた方は自分のことを下手だと感じるだろう。しかし聖クルアーンは、彼らの喉もとでとどまる。矢が弓から飛んで行くように、彼らも教えから離れる。さらに、彼らのうちの一人にはその腕にもりあがったほくろがある」[50]

何年もがすぐに過ぎた。まるで、預言者の正当性の確認のために日が競い合って過ぎていくようであった。ナフラワーンの地で、聖アリーはハーリジー派[51]の者たちを剣で倒した。ちょうど預言者がおっしゃられたとおりの人物が連れて来られ、アリーに吉報を与えたのである[52]。つまり、教えから離れ、教えに対抗する者たちというのは彼らのことであった。あるハディースで、預言者ムハンマドは「私は聖クルアーンを広めるために戦った。あなたも、聖クルアーンが正しく理解されるために戦うだろう」[53]と言われたと伝えられている。つまり、聖クルアーンがもたらされた時、全ての者が私と対立した、私も彼らと戦った。そしていつか、聖クルアーンの理解を誤る者が現れるであろう「あなたも彼らと戦いなさい」という意味である。時が来て、それも実現した。聖アリーはハーリジーの者と戦ったのである。

この、低い鼻の頬骨が突き出た男は、あたかも預言者ムハンマドの正当性を認めさせるために創造されたようなものである。彼の不必要な行動は、預言者を高めることになったのである。

シャイターンが信者に接触した時に、信者が彼に対抗して戦うと善行をしたことになるが、シャイターンは何も得るものがないと同様、この男も結局預言者の正当性の確認をしただけで、何も得るものがなかったのである。我々はこの男の顔に預言者の正当性を見ることができるが、しかしそのことは彼にとっては収穫ではないのである。なぜなら、彼は運の悪い媒介でしかなかったのだ。

5.船で聖戦に出かけることについて

ウンム・ハラーム・ビンティ・ミルハーンは、ある伝承によれば預言者ムハンマドの乳母の妹であり、別の伝承によれば母の近い親戚でおばにあたる人とされている。預言者はその家に前もって尋ねたりする事なく行かれ、時にはそこで休まれることもあった。ある時また、休まれるために横になっておられたが、微笑を浮かべつつ起き上がられた。彼女は尋ねた。

「預言者よ、なぜ微笑んでおられるのでしょう」預言者ムハンマドは答えて言われた。

「私のウンマの一部の者たちが、皇帝のように、船で聖戦に出かけるのを見たからです」彼女は

「どうかお祈りしてください、私もその中に加わりたいです」と言い、預言者は

「あなたもその一員です」と言われ、再びお休みになられた。少し後でまた微笑みつつ起き上がられ、同じことをウンム・ハラームに言われた。彼女もまた

「お祈りしてください、その中に加わりたいのです」と言った。預言者は

「あなたは前の者たちと一緒です」と言われた。[54]

時が過ぎて、ウンム・ハラームは夫のウバーダ・ビン・サーミトと共にキプロスへの旅に出た。そしてその地で病のため死んだ[55]。それ以来、多くのムスリムが彼らの墓を訪れ、涙を流す。そこで流される涙の一滴一滴が、預言者ムハンマドの正当性の認識という意味を持持っている。預言者がガイブについて語られ、そのことが少しも違わずに実現したのである。この件で、キプロスやキプロスの歴史、そしてそこにある彼らの墓が、否定することのできない証拠となっているのである。

預言者の言われることは、その時が来ると一つ一つ実現していく。我々もこれらを歴史を通して観察することによって、そのお方に対する信仰告白を新たにし、我々の体を構成する全ての原子をもって「預言者よ、あなたは正しいことを語られた」と言うのである。私の説明はこれらのことを述べるのに不十分かもしれない。しかし、信者それぞれがその心の中に聞く声は大きく、それを聞かないふりをすることは不可能であるはずである。

6.バヌー・カントゥーラが出現することについて

イスラーム世界を悩ませることになるある民族について、預言者は次のように述べておられる。「後に、バヌー・カントゥーラが出現するだろう。彼らは幅広の顔で、目が小さく、低い鼻をしている」[56]

歴史書は、これをモンゴル民族のことであると示している。そもそも預言者ムハンマドの言及されている、イスラーム世界の直面する二つの大きく悲惨な戦いがあり、一つはフェルディナンドとの戦いである。これはあらゆる意味で西欧の野蛮さにおいて発生したものである。二つめがモンゴル人の災いである。彼らはエジプト、シリア、そしてアナトリアと、文化の中心地を全て破壊し尽くし、全ての地を戦場とし、そして去って行った。

預言者ムハンマドのウンマの運命に大きく関わる者であるため、このような戦いは彼らの注意を引くこととなり、預言者ムハンマドのウンマに罰をくだされる時、アッラーは、彼らに対して、恥を知り礼儀正しくさせるための要素として残酷な者たちを用いられる。それはアッラーの剣である。それによって、まず罰が与えられ、その後その者たちも同じ目に遭う。つまり、残酷な者たちもその虐待も長くは続かない。アッラーはまずこの残酷な者たちによって信者たちを悩まされ、それから彼らをも捕らえ、地の底に沈められる。

そして、このようなことから逃れるために、預言者ムハンマドはウンマに警告されているのである。アッラーのお怒りをもたらすような行動はやめるように勧められ、彼らに訪れる災いについて、さらに、この件についても語られ、知らせをくださっているのである。もたらされたこの知らせは、6~7世紀後に実現し、預言者ムハンマドが真の預言者であることを明らかにしているのである。

7.イスタンブールの征服の吉報

イスタンブールは征服されるであろう。当時の名称でコンスタンティノープルは、必ずムスリムの手に入るであろう。ハディースで預言者はこの知らせを伝えられる時、このように説明された。「コンスタンティノプールは、必ず征服されるだろう。その地を征服する軍隊は何と素晴らしい軍隊であろうか。その地を征服する司令官は何と素晴らしい司令官であろうか」[57]

教友たちの時代をその始まりとして、ほとんど全ての時代の偉大な司令官たちはこの聖なる知らせにふさわしい者となるために何度もイスタンブールにやって来ては戻っていったのであった。アブー・アイユーブ・アンサールは、その中で、やって来たまま引き返さず残った、イスタンブールの中心でイスタンブールの真に価値ある真珠のような存在である。ここで、皆が知っているいくつかの出来事を繰り返すことは時間の無駄遣いのようにも思えるが、それでもいくつかの出来事については触れずにはいられない。

イスタンブールが征服された日、城壁に上がって旗を揚げたウルバトゥル・ハサンは、並みの兵士ではなかった。彼は将校であり、またファーティフの学友であった。

ウルバトゥルは城壁を超えた時、体中に負傷していた。それでも城壁に上がり、旗をそこに掲げることができたのであった。しばらくの後、ファーティフも彼のそばに来た。ウルバトゥルは最期のときを迎えていたのであった。その口元の微笑が、ファーティフを驚かせた。彼はなぜ笑ったのか尋ねた。答えはこうであった。「少し前、預言者ムハンマドがこのあたりを見て回られていたのだ。だから嬉しかったのだ」

九世紀前に、このことが起こるであろうという知らせがもたらされていた。9世紀の後、その地を征服した軍の中に預言者は姿をお見せになったのである。私も、これによって、いつも次のように言ってきたし、これからも言い続けるだろう。「3~4人のみであったとしても、心から、イスラームへの奉仕のために集うなら、必ず預言者ムハンマドの精神的存在がそこにもたらされ、彼らもその地に名誉をもたらすだろう」

イスタンブールの征服も、他の証拠と同じように預言者の正当性を示す証拠の一つである。同様にアブー・アイユーブ・アンサールも信用できる証人の一人である。なぜならその地が征服されるであろうことを最初に聞いたのは彼であった。だからこそ、彼ははるばるマディーナからやって来て、その遺体はイスタンブールに埋葬されるようにと遺言を残したのである。[58]

遠い未来についての言及

1.死を望まないことと、この世に対する愛情

預言者は、我々の時代に非常に近い時期に起こる出来事についても、言及されている。その中の一つは、次のとおりである。

「共同体や民衆たちは、お互いにまるで食事に誘うかのように、あなた方の上に押し寄せようと誘い合い、あなた方の上に押し寄せてくるだろう」

ある者が尋ねた。

「我々が少数であるからですか?」預言者は言われた。

「いや、その逆で、その時にはあなた方は多数になっているだろう。しかし、大水が引きずり込んだごみのようであるが。アッラーは敵の心から、あなた方に対する恐怖心を取り除かれ、そしてあなた方の心にはワフン(死を望まないこととこの世に対する愛情)を植えつけられるであろう」

またある者が尋ねた。

「預言者よ、ワフンとは何ですか」、預言者ムハンマドは答えられた。

「死を望まないことであり、この世に対する愛情である」[59]

この言及からまず、次のようなことが読み取れる。いつか、民衆が我々の上に押し寄せ、食卓で食事を分け合うかのように我々の財産を彼らのうちで分け合うような日が来るだろう。我々は食事を用意して彼らの前に差し出し、彼らは尽きることのない食欲で、彼らの前に置かれたものを平らげるだろう。これらはなぜ起こるのだろうか? その時には、もはや我々は根のない木であるからである。さらには、大水に流されるごみのようであるからである。我々のさまざまな考え方やそのあり方の違いによって我々自身をお互いに駄目にしあった結果、現世的な欲望と一緒になり、我々を消化吸収してしまったのである。以前、彼らは我々を恐れていた。なぜなら、彼らが死を恐れる時我々は恐れず進んでいったし、現世的なものに重きを置いてはいなかったのである。しかしもはや我々は死から逃れようとし、この世に対する愛着も彼ら以上に持っている。彼らもそれに気づき、最も痛いところを攻めてくるのである。

一見したところでは十字軍の戦士を思い起こさせるこのハディースは、さらに深く読み込むと、もっと近い出来事についても言及しているのことがわかるのである。

ライフ・カラダー(Raif Karadag)は「石油の嵐」と言う本を書き、後にこの嵐を起こした者たちによって殺害された。なぜならこの本には、19世紀および20世紀のトルコ民族の不運と虐待、そして侵略者についても記述があるからである。

オスマントルコ帝国(私はこれを帝国と呼ぶことに反対である。なぜならこの国家は帝国ではなかったからである。これは教友たちの時代の後に現れた、最もしっかりした国家である!)の上に、当時、何が起こったであろうか。全ての苦しみは、この国家の富を得るという目的のために与えられたのである。歴史を通して続けられた十字軍の最もひどい攻撃でさえ、この秘められた侵略に比べれば些細なものと言える。そう、皆互いに食卓に招き合うかのようによってたかって、一つの国家の富を分配してしまったのである。

聖ウスマーンと聖アリーは、当時の裏切り者によって殺され、預言者の時代が血に染められた。オスマントルコ帝国もまた彼らの子孫によって攻撃され、イスラーム世界は指導者を失ったのである。整えられ、飾り付けられた食卓に駆け寄るかのように、彼らは我々によってたかり、オスマントルコ帝国を破滅させてしまったのである。

十字軍は、ある時期は、明らかなある考えのもとで我々を攻撃したのであった。これは当時の純朴で馬鹿げたヨーロッパ人の攻撃であった。だまされた民衆は、彼らなりの考えでは、聖マリヤムの価値を守るためにやって来たのであった。しかし我々は、聖マリヤムは彼らが考え、信じているよりもなお、尊い存在であると見ているのである。我々は聖マリアが天国で預言者ムハンマドの妻になることを信じ、彼女を信者の母とみなしているのである[60]。そして、もし聖マリヤムが生きていたとしたら、彼女本人をも苦しめたであろう彼らのこの根拠のない迷信的な考えに対して、彼女の真実を守ろうとしていたのも、我々であったのである。

私が言いたかったことはこうである。ここで取り上げたこのハディースにおいて預言者ムハンマドが示されている、この考えのもたらしたものとは、十字軍の攻撃ではなく、もっと近しい時代に我々がその恐怖を味わい、しかもいまだに味わい続けている、西洋の共同体なのである。イスラーム世界は、いまだに、彼らの食卓であることから脱しきれないでいる。このように、14世紀前に語られたことが、言葉どおりに実現しているのである。

2.共産主義のもたらす災い

イブン・ウマルは語っている。「預言者はある日、東の方を向かれて『注意しなさい、シャイターンは、この方角の、シャイターンの時代が広まったところから出現するであろう』と言われた」[61]

非常に大きな可能性として、預言者はこのハディースで、今日のヨーロッパの残酷さと不信心に匹敵するものとして、東側から出現するであろうある暴挙を示されていたと思われる。

ここで見られる「カルン」と言うアラビア語は「つの」という意味をも持つが時代や世紀というような意味もある。ここではそちらのほうと解釈するほうが妥当であろう。シャイターン(悪魔)の時代、つまり預言者の時代と逆の意味を持つものである。神の否定と言う基本の上に成り立つ無神論は、シャイターンが人間の欲望を通して吹き込んで来た全ての悪が、具現化したものである。資本主義の落とし子でもあるこの恐ろしい仕組みは、今日もはや破滅を迎えようとしているのにも関らず、いまだに宗教や宗教に関りのあるさまざまなこと、歴史、さらには民主主義をさえ、競争相手としてさえ認めないほどの首位の座を守り続けており、恐ろしい悪夢であり続けているのである。だからこそ、預言者ムハンマドは、特にこの仕組みの支配する時代をシャイターンの時代と呼ばれたのだと私は思う。そして、その時代に全世界を襲う災いについて、警告されているのだ。

3.ユーフラテス川の富

さらに預言者ムハンマドは言われている。「おそらく、ユーフラテス川の水は干上がり、金でできた山が出現するであろう。そこに誰がいたとしても、何も取ってはならない」[62]

今日まで、このユーフラテス川の付近でいくつもの殺戮が行なわれてきた。新しいものから始めるなら、イラン・イラク戦争があり、また1958年にもこの地で非常に大規模な殺戮が行なわれ、預言者ムハンマドの子孫たちが犠牲となった。ただ、彼らもオスマントルコ帝国を侵略したのであった。(皆自分がやったことと同じ形で報いを受けるのである)

ただ、こういった出来事をこのハディースと結びつけるのは適当ではないだろう。おそらくは、今後起こることについての言及と見るべきである。例えば、ユーフラテス川の水が金と同様の価値を持つ時代についての言及かもしれない。あるいは、そこにダムができ、そこからの利益が金の価値を持つのかもしれない。さらには、ユーフラテス川の水が完全に干上がった後、金や石油が出るのかもしれない。ただ、何であれ、この地区は今日、イスラーム世界にとってダイナマイトのような、危険を内包したものであることに疑いの余地はない。

これらは今までまだ実現しなかった、そして今後実現するであろう出来事である。そしてその時代に生きる者たちは、預言者ムハンマドに再度、心から「あなたの言うことは正しい」と言うであろう。そしてその信仰を厚くするであろう。

4.キリスト教の復古

預言者ムハンマドは、キリスト教が本来の姿に戻り、イスラームの精神と同調するだろうと言われておられる[63]。その時、アッラーを否定する者が、信仰する者を支配しており、アッラーの援助を得る者はその援助によってムスリムたちの不幸な歴史を変え、否定する者たちの鼻をへし折ることになるだろう。その戦いの際、地上は死体で覆い尽くされ、その死体をが運ぶだろう。

5.農作物における進化

農業においてある進化が見られるであろう。それによって、20人かかってやっと食べきれるようなザクロができるだろう。このザクロの皮の下で一人の人間なら日光を避けて陰で休むことができるようになるだろう。また麦も、同じように巨大化するであろう。

これらはまだ我々が体験してはいないことである。しかし将来必ず実現するであろうことである。これらは実現し、人々は預言者ムハンマドに対して「あなたは正しいことを言った」と言い、預言者に対する結びつきをいっそう強くするであろう。なぜならこの長い歳月が預言者ムハンマドの正しさを示し、このお方が言われたことは必ず実現してきたからである。[64]

6.現在における不公平さ

我々はここでまた、我々のこの時代に対してなされた言及に戻ろう。預言者ムハンマドは言われた。「審判の日が近づくと、挨拶において自分自身を紹介することが多く行なわれ、また商取引が人々の関心を引くようになる。妻は夫の商売を手伝う。親戚関係が失われる。偽りの証言がなされ、正しいことに関しては誰も証言をしたがらない。ペンの力が増す」[65]

このハディースは、何の解釈も必要としないほど、今日のありのままの姿を指し示している。

商業の重要が高まる。何百万も、何億もの資産が投入される。単に広告のためにさえ、何百万も、何十億もの金が使われる。そして多くの場合、女性がその宣伝に使われる。あるいは女性自身が商取引の世界に生き、市場や見本市、展示会などで働く。ただ、私のこれらの言葉から、私が商売に対して反感を持っているというような誤解はしないでほしい。私はただ、預言者ムハンマドのもたらされた知らせが正しかったということを述べたいだけである。

親戚関係がなくなる。父母や近い親戚たちの権利は踏みにじられる。親が歳を取って役に立たないようになり、まさにやさしさやよく構ってもらうことが必要な時期になると、老人ホームなどに送られる。そして彼らは、自分の家では得られなくなった平安をそこで見つけなくてはならないのである。アッラーは、彼御自身の次に大きな権利を父母に与えるように命じられているが[66]、この命令は聞き入れられなくなる。非常に横柄な振る舞いが見られるようになるだろう。これらのことが今日の状態に当てはまっていないかどうか、あなた自身で考えてみてほしい。

ペンが力を得るであろう。印刷所は忙しく稼動し、新聞、雑誌や本を印刷する。出版社は休むことなく本を出版する。図書館は何千冊もの本で満ちるであろう。書くことが一つの職業となり、その需要が高まる。

偽りの証言がなされ、周囲を混乱させる。正しいことを証言することは嫌がられる。社会はあたかも嘘の生産現場となり、人生は嘘や裏切り、だまし合いの場となる。

何もかもが余りにも明らかな形で述べられているため、これらが本当に預言者ムハンマドによって述べられたことなのかと疑いを持つ者もいるかもしれない。

その答えは簡単なものである。これらは少なくとも13世紀前に出された本にすでに書かれていることである。もしこれらが預言者ムハンマドの言葉でなければ、誰の言葉であり得るだろうか。これが誰か別の人の言葉であるなら、その人も、預言者ムハンマドと同じくらいの光に満ちた視野を持っている必要がある。そのような人が存在したであろうか? いや、これらは預言者ムハンマドのなされた言及なのである。今日実現しているこれらのハディースは、預言者ムハンマドの言葉がどれほど正しいかを明らかにしているのである。

7.学問の広がり

預言者ムハンマドはあるハディースで、アッラーの命令を次のように伝えておられる。「終末が近づくと、学問が大いに広がりを見せる。男も女も学ぶ。奴隷も、召使いも、学ぶ。大人も子供も、学ぶ」[67]

それぞれの段階に応じて学校が開かれ、どこも学びたいという人でいっぱいになり、あたかも競い合うように学ぶ。今日見られる多数の学校、大学、世界規模で進歩する科学、情報通信手段、これらは皆預言者ムハンマドが伝えられたとおり、学問、科学の時代がきたことを意味するのである。そしてこの進歩、広がりもまた、預言者ムハンマドの正しさを示しているのである。あたかも、学問に関する全機関が皆、預言者ムハンマドに「あなたの言葉は正しい」と言っているようである。

8.聖クルアーンからの逃避

さらに、預言者ムハンマドは、今日の状態にまさにぴったり合う、次のような言及をされている。「聖クルアーンがはばかられるものとなり、イスラームが哀れな存在となるまでは、終末は訪れないだろう」[68]

無神論者が宗教に対しての反感を平気で明らかにするのに対して、ムスリムたちはまるでムスリムであることが恥ずべきことであるかのように感じ、口にするのも辛いありさまになる。無神論者が、自分たちの思考、あるいは書物などをバスや飛行機やさまざまなところで宣伝するのに対して、ムスリムは聖クルアーンを開いて読むことができないだろう。精神的抑圧によって、禁止されてはいないはずの聖クルアーンを誤ったことか何かのように感じ、恥ずべきことと感じ、隠すだろう。これらの事実を否定することはできるだろうか? そう、今日のイスラーム教徒が体験している数々の出来事のうちの一つが、まさにこれなのである。イスラームは哀れな存在となっているのである。

哀しむべき我々の実情の描写はこれくらいにしよう。これらのことを全て、預言者ムハンマドは、何世紀も前に伝えられているのである。もたらされたお告げは全て、その時期が来るとそのまま実現し、預言者ムハンマドの正当性を証明している。これらのことは、我々を改めて預言者ムハンマドに従わせるのに十分ではないだろうか? 

9.時間の概念

他のハディースでも同じように、終末の前兆として聖クルアーンを恥じるようになるであろうということが述べられているが、預言者ムハンマドはその続きの部分で、次のように述べておられる。「時間や距離においてその短縮が見られるようになるまでは、終末の日はやってこない」[69]

ここで使われている「テカーリブ」という言葉は、二つのものがお互いに近づくということを意味する。ここで預言者ムハンマドは、その頃長い時間をかけて行なわれていたことが、もっと短時間で行なわれるようになるであろうことを意味されている。工業や技術の発達によって、全ての分野で恐ろしいほど進歩した時代が来ていることは、子供でさえ普通に知っている事実である。このハディースはそのことについて言及するのと同時に、現代の、距離を感じさせない状態をもたらすこれらの道具、手段についても言及しているのである。さらには、天文学に詳しい人なら知っていることであるが、次のようなことについても言及している。つまり、地球はわずかに楕円の形を取りつつあり、この変化が時間というものにも影響を与え得るということである。我々が気がつかないうちに、時間や地球のあり方に影響を与える可能性がある。加えて私がこのハディースから理解したことがもう一つある。時というものには確実なそのあり方がある。しかし例えば、おうし座星雲に行ったとして、そこから4千万光年離れたところで秒速15万キロで進んでいるを見たとしよう。その時には非常に異なった時間というものに気づくことになるだろう。光速の半分の速さで遠ざかる彗星においては、それが時間の単位なのである。同じようなことが、他でも通用する。

いつか太陽系のシステムから抜け出す日が来れば、現在の時間に関する概念は全く覆されることになるであろう。

預言者ムハンマドは、その神秘に満ちた「時が互いに近づく」という言葉で、時間の観念や新たな時間の単位について、言及されているのである。

ここで尋ねたい。このような言葉が、人間の言葉であり得るだろうか。時や距離をその力強い御手で操られるお方以外、こういったことを誰が知りえるだろうか? これらのことは、読み書きすら知らない、無明の時代の人が知ることのできるものだろうか? もちろん不可能である。そのお方に、これらの全てを教えたのはアッラーである。預言者ムハンマドはただ、アッラーが教えられたことを伝えているのである。

月日が流れ、何世紀もが過ぎた。科学や技術は足早に進歩している。そしてその結果、預言者ムハンマドが何世紀も前述べられたことの正しさが確認されている。科学者たちはその驚きを隠しきれないでいる。心から、預言者ムハンマドに「あなたはまさに正しい」と言っているのである。

10.利息の広まり

いつの日か、利息の仕組みは大きく広まり、利子を手にしない者でさえ、その影響は免れないであろう。今日我々を最も苦しめ、そして日々恐ろしく拡大し続けているこの病について、ムハンマドは次のように言及されている。「人々にいつか次のような日が訪れるであろう。利子を手にしない者は誰も残らず、もしいたとしてもそのちりからは免れない」[70]

このハディースは二つの側面から注意を引くものである。

一つめ、政府の全ての財源は利息のシステムの中からもたらされるもので、つまり、銀行やそれ以外の機関と連動しているのであり、人々がいかに注意深く振る舞ったとしてもこの生活を取り囲むこの伝染病と接触しないではいられない。このような状況で人は唯一その意志のために救われる。意志が彼の避難所である。

二つめ、アラビア語で「ちり」にはもう一つの意味がある。一部の人は利息を手にするだろう、手にしない者はそのとばっちりを受けるだろう。資本家たちは利子によって資産を増やし、労働者層はそれにともなって財産を失う。この二つの層の間の容赦ない争いは社会の騒動を招く。いつか、皆を苦しめるものとなるであろう。

私の考えでは、これらは全て実現した。そして今も実現している。今日の人間はこの二つの側面のどちら共にあてはまる。今日、直接的あるいは間接的に、利息と何の接触もない貿易機関は存在しないと言ってもいいであろう。世界規模で、全ての貿易、商取引がそれを含んだ歯車に、ふつうの買い物のように、承認されているのである。

預言者は、今日の人々が苦しめられている利息がもたらす危機についてずっと以前から共同体に注意を促し、警告されていた。しかし、見ていただきたい。イスラーム社会はどこも、喉元まで利息の沼にはまり、あがいているのである。この汚水の中から抜け出す熱意もない。しかし、イスラームは、利息に対しての戦いを宣言している教えなのである。[71]

ムスリムたちが、聖クルアーンにおけるこのテーマについての恐ろしい言及について、せめて一部だけでも理解していたら今日、債務国として世界で最もだらしのない国の中に数えられることはなかったであろうに!

11.信者であることが隠される時

今日のあり方を示している別のハディースがある。「人々の上に、次のような時代が訪れるだろう。すなわち、信者は自分が信者であることを他の人から隠すだろう。ちょうど今日、偽信者たちがそれを隠しているように」[72]

当時、偽信者たちはいかに振る舞っていたか? 自分のことを気づかせないためにどんな手段をとっていただろうか? それと全く同じように、信者たちが振る舞うようになるだろう。信仰行為を隠れて行い、自分の立場を守ろうとするようになるだろう。そうしなければ彼の立場はよくならない。職場や公的機関のいくつかは信者に対して完全にその扉を閉ざす。彼らは社会の中でも蔑視される存在となるであろう。

他のハディースでも、このことが強調されている。「騒動が起こる。その時、人は礼拝したと言って非難される。ちょうど、不義を働いた女が今日非難されるように」。[ragip2] もちろん、ここでの不義を働いた女というのは、当時の見解を元にしての比喩である。現在では一つの職業とみなされるほどであるが。

そう、礼拝のために人が軽蔑され、恥ずべきことをやったかのように罪に問われ、悪い権力の支配に苦しんでうなり声を上げる時代が来るであろう。そして信者は、この不運を自らを隠すことでくぐり抜けようとするであろう。

12.タラカンの石油

預言者は述べておられる。「吉報をタラカンに。そこに、アッラーの、金銀以外の宝がある」[73]

アラビア語の「ワイフ」(吉報)は、苦い微笑のような知らせについて用いられる。聖アンマルが殉教することを知らされた時にも、預言者ムハンマドは同じ表現を使われた。「タラカン」は、カズイン[ragip3] の、石油油田の多い地方の名前である。将来的に、その地で他の鉱物が発見されるかもしれない。ウラニウムやダイヤの鉱床もあり得る。そしてそうなったとしても結果として同じである。預言者は、金、銀ではない宝と言っておられるからである。そして、今日これは実現している。つまり、タラカンに出た石油でさえも、預言者ムハンマドを評価し、その正当性を主張しているのである。

13.聖クルアーン以外の啓典へ従うこと

イスラーム世界は、自分たち以前のウンマ、つまりキリスト教徒やユダヤ教徒に、少しずつ従いだし、真似をするようになる。さらには、彼らのうち誰かがその頭をどこかに突っ込めばムスリムたちもそれに従って同じようにそこに頭を突っ込むだろう。預言者ムハンマドはこの点について、次のような言葉で語られている。「あなた方は、あなた方以前の者たちに従い、真似をするだろう。少しずつ、彼らの後をついて行くだろう。さらには、彼らが頭をどこかに突っ込めば、あなた方も同じことをするだろう」[74]

教友が、あなたたち以前の者というのはキリスト教徒やユダヤ教徒のことを指すのかと尋ね、預言者ムハンマドはそれ以外に誰であり得ようかという意味の答えをされた。

今日、我々および全てのイスラーム世界の状態は明らかである。我々のほとんど全てが個性を失い、アイデンティティーの喪失に苦しんでいる。我々の状態は、ハディースの表現を用いるなら、二つの群れの間で行ったりきたりしている羊と何も変わらない。かつて他の国家を破壊し、食い尽くしたよくない事態が、今だこのように我々にみ付いているのである。我々も、真似を続けることによって、死の口を新しいもの、文明の進化だと思い込んでいるのである。今我々が西洋を模倣しているのと同じくらい、いつの時代のものであれ何らかの国家が、彼らを模倣したことはないはずである。西洋世界に現れる新しいもの全てを我々もすぐに受け入れている。この受け入れという点では、いくつかの西洋諸国を追い抜いてしまっているほどである。しかし、預言者ムハンマドは、最も些細なことでさえ、彼らに対立されていたのであった。[75]

今回のテーマはそのことではないため、このことについてはここでは言及しないで置こう。

ここで、我々が強調したいのは、全てのこれらのことを預言者ムハンマドが何世紀も前に知らせておられたということと、時期が来て、これらが実現したということである。全ての出来事は、預言者ムハンマドによって知らせとして語られる。そして定められた時が来るとそれらは実現し、預言者ムハンマドの正しさを証明するのである。

さまざまな分野の知識

ここでは、預言者ムハンマドが、さまざまな分野の学術的なことに関して語られた言葉が、やはり御自身の正当性を証明しているということを簡単な形で説明したい。

預言者ムハンマドは、それらを14世紀前に語られた。それから今日まで、学問は大きな進歩を遂げ、目が回るほどの発展を見た。その結果、預言者ムハンマドが語られたことが、それぞれの分野の最高峰にある学者たちによって学術的に確かめられたのである。今日まで、預言者ムハンマドの語られたことのどれ一つとして、偽りであったものはない。

急速に進歩する科学、工業、技術などは、それらに参ってしまった知識人がこれほどいるのにも関らず、それらに顔をそむけ、預言者ムハンマドに礼儀をもって、尊敬を込めて頭を下げ「あなたの言うことは正しい」と言っているのである。預言者ムハンマドはアッラーの使者であられるのだから、これは当然のことである。

ここでは、学術的な分析は専門の本に譲るとして、我々が選んだいくつかのたとえを紹介してみよう。

全ての病にその治療法がある

預言者ムハンマドは、ブハーリーが伝えるハディースで、このように述べておられる。「アッラーが創造された病気には、治療法がないものはない」[76]

つまり、いかにたくさんの種類の病気があっても、必ずアッラーはそれらのための解決法、治療法をも創られておられるのである。医学の分野において、学問への激励としてこれまで語られた言葉の中で、最も普遍的で幅広いものは、預言者ムハンマドのこの言葉であろう。病気があれば、そこに治療法もある。つまり、いつの日にか、全ての病気の、治療法が発見されるであろうということである。もちろん、アッラーの助けによって。

アブー・ダーウードが伝えるところによると「全ての苦しみに薬がある」と言われたという。[77]

他のハディースでも「注意しなさい。治療に誤りがあってはならない。アッラーは、全ての病気の後ろにその治療法も作られた。ただ一つ、治療法のない病気がある。それは老いである」[78]と言われている。

寿命が延び、死を遅らせることができるようになったとしても、人間は決められた道をたどるしかないのである。その道というのは、魂の世界から始まり、子供時代、若者時代、老年時代、そして墓場へと続くのである。そこから最後の審判の日へと延び、天国や地獄に行って終わる道である。この道をふさぐことはできない。人は生まれ、成長し、老い、死ぬのである。ただ、それ以外の全ての苦しみにはその解決法があるそれらは研究によって見つけられるであろう。

預言者ムハンマドはこの、そしてこれに類似する説明によって、全ての学問を激励し、全ての学者、研究者たちを探求へと招いているのである。予算から費用を出しなさい、研究所を作りなさい、死に到るまでの全ての病気の解決法を研究し、そして病気をおさえなさい、と。

人間が達する科学の最高の段階

そもそも聖クルアーンでも、常にこのことが奨励されている。預言者たちの奇跡という形で、学問への奨励が示されている。預言者たちがその人生で人間たちを導き、彼らを誤った道から正しい道へと誘導したのと同じように、立証された学問、知識に光をもたらす学問という分野においても、人間たちを導く使命が与えられた。それぞれが、特定の分野で導師となり、道を示したのである。つまり、人間に関する学問は、精神的、物質的な進化においてその鍵を預言者たちから受け取ったのだ。聖クルアーンで預言者たちの奇跡が説明されているのは、それらの奇跡が到達した地点まで到達する道において、人々の励ましとなるためである。

例えば、聖メシアは、死人を甦らせている。聖クルアーンでもそのことが述べられている。ただ、これは最高の段階である。人間の学問はそこで終わる。なぜならそこから先は奇跡であるからである。人間の力、人間の能力、人間の意志によって彼らができることは、被創造物としての法則を超えることはできない。科学や技術の驚異がどの段階に達したとしても、奇跡の段階を超えることはできない。この段階は、預言者たちのみのものであり、永遠にそれは変わらないであろう。そう、その段階ではただ預言者たちのみが活動できる。その代わり、奇跡の前の段階までは、人間の学問の発達は可能であり、また全ての奨励もそもそもそのために行なわれているのである。

聖メシアの奇跡によって、聖クルアーンは次のように奨励しているのである。病気の治療は、死に届く段階まで可能である。さらには、癌やエイズのような治療法が見つかっていない病気でも、必ず治療法は存在する。研究し、見つけなさい。以前は治療法がないと思われていた病気でも、今日楽に治療できるものがある。努力すれば、治療法を見つけることはできるだろう。

さらに、例えば聖ムーサーによって示された奇跡で、命のないものに何かをさせることが可能だと言う例が示されている。今日、これは研究されている。しかし、人間は決して、手に持っている杖を投げてそれを蛇にすることはできないであろう。なぜなら、これは奇跡として行なわれたことであり、我々のできる範囲のことではない。

ここで、人間にとって到達することのできないもう一つの奇跡である、聖クルアーンについて語ることは適切であると思われる。聖クルアーンは、文学的にも最高水準であり、何者かがそこに到達することは不可能である。最高の詩人がうたった言葉や人々をひきつける説明などは、いつか聖クルアーンの扉のところまで到達するかもしれない。しかしそこで、詩人レビドのように、驚愕の中で立ちすくむだろう。なぜならそれは奇跡であり、どんなに素晴らしいものであったとしても人間の作ったものは奇跡ではあり得ないからである。

これはまた別のテーマであり、ここではこれ以上触れず、このテーマは別の章に譲ろう。

預言者たちの奇跡は、少し前で述べたように、まさに一つの段階を形成している。そして、人間の学問に地平線となっている。同時に、聖クルアーンも、読まれることによって人間を励ますという任務を果たしている。それ以降は、人間の努力に任せられているのである。[79]

人間は努力し、その地点に到達しなければならない。彼らができることは全て克服し、奇跡の段階に近づかなければならない。奇跡の果実のある、地平線に到達しなければならない。

人間は医学の分野において、死に届くところまで進歩することが可能である。しかし、死にいたってしまうと、もはやどうすることもできない。死は、命と同じで、アッラーの創造によって存在するものであるからである。「彼は死と生を作られた方である」(大権章67/2)という章はこれを示している。

死とは、消滅や腐敗や分解ではないのである。それはアッラーの命令と希望によって、その日まで与えられていたものが取り戻されたということである。だから、学問という面での奨励も、ここまでなのである。宗教のために活動する者は皆、この奨励を受け止め、取り入れるべき形で取り入れ、活用しなければならない。そして、その活動のためになるものとしなければならない。

預言者ムハンマドが教えた予防医学

預言者ムハンマドには、医学的、特に予防医学に関して語られた非常に多くの言葉がある。そもそも医学において予防医学の占める部分は大きい。なぜなら、医学の根本的なことは人を病気にしないことであるからである。そしてこれは容易である。病気になってからそれを治療することのほうがずっと難しく、お金もかかる。預言者ムハンマドがこのことに重きを置かれ、医学に関する言葉のうち多くが予防医学に関することであるのもこのためである。

預言者の時代、特に外部から入ってきた医者は、マディーナで仕事を見つけることができなかった。その理由は、預言者ムハンマドのこの点における教えがされていたからである。

預言者は、心や精神の医者であるという任務を果たされるのと同様、物質的な意味でも医者のようであられた。周囲の人々を精神的、肉体的な病気から守るために努力されたのだ。

1.ペスト症隔離

ペストは預言者ムハンマドの時代、予防法もない恐ろしい病気であった。今日エイズが何であれ、当時のペストはそういうものであったのである。ペストに対して教友たちは非常に気を遣った。なぜなら、預言者ムハンマドは常にこの病気について警告され、注意を呼びかけておられたからである。彼らは、自分たちの中では清潔に、気をつけて生活していた。しかし、軍事行動としてダマスカスやシリア、アンタキアなどに行く際には、ビザンチンによってもたらされたペストにもさらされたのであった。アンワスにおけるペストはこの種のペストであり、三万人の教友たちが犠牲になったのである。[80]

当時、ウンマの最も信用できる人アブー・ウバイダ・ビン・アルジャッラーフも、アンワスにいた者の一人であった。彼こそは、聖ウマルが何年も後に剣による傷で床についた時「アブー・ウバイダが生きていれば私の代わりとして彼を推薦しただろう。[81]」といった人物である。

ナジュランの者たちが、預言者ムハンマドに、誰か信用できる人を推薦してほしいと頼んだときも、預言者ムハンマドは彼に「この者たちと共に行きなさい」[82]と命じられたのであった。彼はウンマの信頼であり、天国の吉報がもたらされた十人のうちの一人である。そして当時、この幸運な人も、ペストが人間を苦しめていたその地にいたのであった。

聖ウマルのカリフ時代であった。預言者ムハンマドの後継者は、制圧された地を巡回し、その発展を確認していた。アンワスにも行く予定であった。しかし、そこでペストが発生していることを聞くと、戻ることを決めた。アブー・ウバイダがその前に立って言った。

「ウマルよ、アッラーの定めから逃れるのですか」ウマルは答えた。

「いや、アッラーの定めから、またアッラーの定めへと逃れるのだ」[83]

やったことは正しかっただろうか? 戻ったことは妥当だっただろうか? ウマルがこの不安に取りつかれると、アブドゥッラフマーン・ビン・アウフが助けとなり、このハディースを伝えたのである。「もし、ある地においてそこでペストが発生していることを聞いた場合は、決してそこに行ってはならない。もし、あなた方がいるところでペストが発生した場合は、逃れるためにその外に出てはいけない」[84]

私はあなた方に尋ねたい。今日、近代医学で伝染病の予防・隔離のために言われていることは、まさにこれと同じではないだろうか。これを預言者ムハンマドは何世紀も前に語られた。そして、今日の医学もまた彼に「あなたの言うことは正しい」と言っているのである。

2.ハンセン病と隔離

アハマド・ビン・ハンバルが伝えるあるハディースで、預言者ムハンマドは次のようにおっしゃられている。「狼から逃れるように、ハンセン病患者からも逃れなさい」[85]

このハディースにおける比喩は、一部の者が言うような、ハンセン病の菌やハンセン病患者をライオンに似せる目的でされた者ではない。おそらくは、他にも多く見られるように、この比喩も他の者が作ったものではないかと思う。ここで言おうとされていることはそういうことではないのである。ここで述べられている「逃れる」という言葉は、言葉どおり逃げるという意味ではない。預言者ムハンマドは、このハディースによって、ハンセン病という病気と闘い、それを防ぐ手段を研究することを奨励されているのである。つまり、予防と、伝染を防ぐための処置である。人が、ライオンに出くわして被害に遭わないためにどれほど気をつけているか、ハンセン病に関しても同じように気をつけなければならないということである。預言者の言葉には深遠な意味が込められている。語られた真実には、非常な努力と研究を持ってしか、到達できないのである。

3.犬に噛まれた時

イマーム・ムスリムは「サヒーフ」で次のように伝えている。「犬が万が一あなた方の食器をなめた場合、それを清め方は、7回洗うことである。その一回めは、土で洗うことである」[86]

この時代、今日我々が殺菌のために使っているような物質は存在しなかった。そのため預言者ムハンマドは土を勧められていたのである。後になって、科学の発達により水と同様土にも殺菌効果があることが判明した。土にはテトラリトやテトラスキンといった物質が含まれており、これはある種の菌に対しての殺菌の際に使われている物質である。つまり、預言者ムハンマドは、土で洗うことを奨励することによって、傷がまず最初に消毒されなければならないことを命じられているのである。

その他にも、ハディースには注意を引く点がいくつかある。犬に存在する一部の病気は、人間の体においても発生することがある。このことは、今日まだ新しいものとみなすことのできる事実である。

二つめとして、犬の糞などは人間の健康に害を与え得るものである。唾液も同様である。そして、ある段階以降は、それらによって起こる病気を防ぐことが不可能になる。そのために、殺菌が大切なのである。

三つめとして、まず土で洗うという命令の、注意を引く別の側面は、その土が、消毒作用を持つこと、そしてさらに、それによって6回、別の伝承によれば7回、それを洗うとされている点である。このことは、ドイツとイギリスで雑誌に掲載され、預言者ムハンマドの言葉の正しさが彼らによっても認められたのである。

預言者ムハンマドは犬に関して非常に注意深く振る舞われた。さらには、一度は犬を皆殺すことを命じられたこともあった。しかし、この命令は後に停止された。その際、預言者ムハンマドはこのように言われている。「もし彼らがそれ自体一つの共同体でなければ、犬を殺すことを命じていたのだが」[87]

この意味は次のとおりである。もし犬が、それ自体生態系のバランスに関係ある構成要素でなかったら、そして、被創造物としての法則からその存在は必要とされていなかったら、犬の屠殺処分を命じていただろう。なぜなら犬は雑菌の温床であるからである。

このことに関しては、預言者ムハンマドがこういう点に言及していることも一つの奇跡である。なぜなら、今日まだ新しく知られ始めた自然界の秩序や生態系のバランスという考えが当時すでに、犬を殺さないという判断の元になっているからである。我々は1400年も経ってようやく、クジラや象、サイといった種が絶滅しないように、それによって生態系のバランスが崩れないように、といったことを言い始めたばかりなのだ。しかし預言者は、当時からこのことを指摘されていたのである。

アッラーはこの世を創造され、その構成要因の間にバランスを作られた。「かれは天を高く掲げ、はかりを設けられた。あなた方が量りを不正に用いないためである」(慈悲あまねく御方章55/7‐8)この節は、これを警告しているのである。

預言者は調和に重きを置く方であり、もちろんアッラーが造られた調和を守られた。そのため犬の処分を見送られたのである。ほんの数語の文の中にも、我々が各確認できるこれだけの奇跡が含まれているのだ。おそらくは将来的にも、この同じ文から多くの事実が見つかるであろう。この言葉が語られた時代を考えると、一人の人間が一生考え抜いてようやくこの言葉のみを生み出したとしても、その人間は天才と呼ばれるのにふさわしい。しかし預言者ムハンマドは、これと同じような言葉を他に何千も語られているのである。

完全な自信を持ってこのことを言いたい。事件や出来事は全て、彼らの言葉でもって、預言者ムハンマドを評価し「あなたはアッラーの預言者であり、あなたの言うことは正しい」と言っているのだ。学問の発達に従って、いつか、全ての人が同じことを言うだろう。今日、学問はスパイのように、この世に存在する物の中で眠っている。預言者ムハンマドが語られたこと、そして聖クルアーンで述べられていることが研究され、明らかになるにしたがって、それらは目覚め、預言者ムハンマドの正しさを深く感じ、それをこの世に伝えようとしているのである。

4.食事の前後に手を洗うこと

ティリミージーとアブー・ダーウードの伝えるハディースで、預言者ムハンマドは次のように語られている。「食事が祝福された物であるためには、食事の前後に手を洗うことである」[88]

食事における祝福、清潔さ、きれいさを求めるのであれば、そしてその食事があなた方に豊かさをもたらすためには、食事の前後に、小浄(ウドゥー、礼拝する前に体の一部分を水で清めること)する時のように手を洗いなさい。

預言者ムハンマドは、これによって、清潔のための規則、基本を教えられているのである。そうでなければ我々は自分の頭でこれを知ることはなかったであろう。しかも当時の人々は、つめの間に何百万個もの細菌が存在することを全く知る由もなかったのである。何も当時の人間でなくても、現在においてもこの事実の科学的な面を知っている人はどれほどいるだろうか? 

さらに、清潔を守るために、眠りから覚めてすぐの手を食器に入れてはいけないということ、まず手をよく洗わなければいけない。なぜなら眠っている間、人は自分の手がどこを触ったか知ることができないからということを預言者ムハンマドは教えられ[89]、特に手における清潔さに重きを置かれている。

医師たちは、このことを最近やっと知り、教え始めたのである。人間は寝ている間に手をあちこち動かし、気がつかないうちに雑菌をつけている。その後、洗わないままでそれを口に入れれば、どういうことになるかは言うまでもない。

当時は、顕微鏡もX線も実験室もなかった。だから、預言者ムハンマドが人間の手を汚染する細菌について知りえたのは、もちろんこれらのためではない。その代わり、そこに一つの事実があるのである。それこそが、このお方に全てのことを教えた方の存在である。預言者ムハンマドが知ったことは、全てアッラーは知らされたことなのである。預言者ムハンマドはそれをウンマに教え、説かれたのである。だから、その語られたことにこじつけや過ち、偽りを見つけることは不可能なのである。

5.口腔内と歯の清潔さ

六つのハディースの本がそろって伝承し、また40人近い教友たちのサインが記され、その意味でも信頼のおけるあるハディースで、預言者は次のように述べておられる。「もし、私のウンマに困難さをもたらす心配がなかったら、礼拝のための小浄のたびごとに、ミスワク(歯を磨くために使われる、木の根で作られた小さい棒状の物)を使うことを命じていただろう」[90]

ウンマに困難さを与える可能性があるために、このような命令は出されなかったのである。そうでなければ、ミスワクを使うことも、礼拝と同じようにファルド(義務)とされただろう。これは、この教えの、容易さという基本に反するものになり得た。なぜなら、誰もが、いつでもどこでもミスワクを手に入れることができるわけではないからである。

ミスワクを使うことはファルドではない。しかし、重要なスンナ(預言者の慣行)である。このことに関しては、昔からいくつもの書物が書かれてきた。最近の研究者は、ミスワクについて科学的な観点から研究している。将来、インシャラー、それらについても読まれることであろう。

歯を清潔に保つことは、ミスワクによってのみ可能というわけではない。指、塩、歯磨き粉、それ以外のものでも行なう事はできよう。それぞれが好む方法で歯を清潔に保てばよく、これに関しては何も言うこともない。ただ、ミスワクにも、特殊性があることを見逃すことはできないのである。

今、ここで考えてみてほしい。一つの教えの伝道者(教えを作ったという意味ではない。なぜならそれを作られたのはアッラーである。預言者ムハンマドはそれを伝えられたのである)が、日に5回、10回とミスワクを使うことを、しかもスンナとしてそれを命じられたのである。つまり、この教えは、今日の歯の清潔に保つこと、虫歯予防といった理解よりもさらに進んだものなのだ。一般の者は言うまでもなく、歯科医でさえ、日に5回も10回も歯を磨くとは思えない。しかし預言者ムハンマドは少なくともそれだけの回数歯を清められたのである。夜中に何度か起き、礼拝をされる。そのたびにミスワクを使われる[91]。朝の礼拝、イシュラクやクシュルクの礼拝、昼、午後、夜、夜中の礼拝、それから何か食べたり飲んだりしたあとにも必ずミスワクを使われるのである。これらを全て数えれば、おそらくは5回や10回ではなくそれ以上の回数で預言者ムハンマドがミスワクを使われ、歯をきれいにされたことを知ることができるであろう。

6.食事において節度を保つこと

予防医学において、預言者ムハンマドはまたこのように述べておられる。「食事をとる時は、胃の3分の1を食べ物に、3分の1を水分に、3分の1は空にしておきなさい。アッラーが最も嫌われるのは、満たされた胃である」[92]

このハディースを補佐する関係にあるさらに別のハディースがある。「私のウンマに関して、私が最も恐れていることは、肥満腹になること、たくさん眠ること、怠けること、そしてはっきりした考えの欠如である」[93]

ハディースで説明されていることは、結果として同じ点でまとめられる。節度なく、計算もなく、ぼんやりと人生を過ごし、寝てばかりいる人間が太って肉をつけることは避けられないことである。人間は太るに従ってさらに大食いになり、食べることによってのんきさを身につける。あるいは、次のように言うこともできる。大食いの人は、当然たくさん眠ることになる。たくさん眠る人は、はっきりした考えを持たなくなるであろう。どれをとっても、預言者ムハンマドが恐れられた事態である。

これ以上は、医学の世界の、科学的な報告に譲る。あなた方はそれらを読んだ後、預言者ムハンマドが何世紀も前に語られたことと同じであること、その言葉には少しも偽りのないことの、証人となられるであろう。

7.まつ毛に塗る墨

ここでまた別のハディースに移りたい。預言者ムハンマドは語られている。「目をまつ毛に塗る墨によって治療しなさい。それはあなた方の目を開き、まつ毛を育てる」[94]

我々の、教養高い医者たちは、目とまつ毛のために最も有効なのは預言者ムハンマドが勧められているこの方法であることを指摘している。我々も、化粧品の世界でこれからはまつ毛に塗る墨の時代がやってくることを予想している。

皮膚を守る、抗生物質としてもハディースに出てくる、まつ毛に塗る墨と同様の効果を持つもう一つの物質が、ヘンナである[95]。ヘンナの殺菌力は、今日使われているテントゥルディオットやメロフィシロンといった物質を上回るものであることは、科学的な現実なのである。

8.クロタネソウの種

ブハーリーと、アブー・フライラによっても伝承されているあるハディースで、預言者ムハンマドはこのように述べておられる。「クロタネソウの種は、死以外の全ての苦しみに有効である」[96]

クロタネソウの種は、分析の対象にされ、真剣な研究がされたなら、どれほどの病気に効果があることが立証されることであろうか。

このハディースでは特に二つの点が注意を引く。第一に、クロタネソウの種が健康によいという点、第二に、それでさえも死への解決にはなり得ないという点である。

我々はここでも、この問題の科学的な面をその分野の専門家に譲り、いくつかのことについてのみ、触れるにとどまりたい。

病気において、特に回復期において、たんぱく質が重要となる。同時に、熱量とビタミンが豊富であり、消化のいいものが必要となる。医者が勧めるのもこのようなものであると思う。病人が食べるものは、たんぱく質が豊富で、熱量やビタミンにも富んでいて、しかも消化のよいものでなければならない。病人が失われた力を食事によって取り戻そうとする時に、その消化に力を使ってしまわないためにである。

これらの全てをクロタネソウの種が満たしていることは、科学的にも証明されている。つまり、預言者ムハンマドは決して知りもしないことを語っておられるのではないのである。語られたことは全て実現し、それがもたらすものは常に、預言者ムハンマドを評価しているのである。

9.ハエ

ブハーリーの伝えるハディースに沿って、もう少し続けよう。預言者ムハンマドは次のようにおっしゃられた。「あなた方の食器にハエが落ちた時は、ハエの両側を一度中につけて、それから取り出して捨てなさい。なぜなら、ハエの羽の片方には病気が、もう片方には健康があるのである」[97]

まず、ハエが殺菌を運ぶということは、当時の人たちに知られている事実ではなかった。ハエは、水の中に落ちた時、片方の羽だけでも水の外に出そうとする。そこから抜け出た後で、飛ぶのに困らないためである。そうしてハエはまた飛んで行ってしまうが、食器の中の食べ物には細菌が残され、我々を病気にすることになる。

このような場合には次のことが勧められる。ハエの全体を食器の中につけて、それから出して捨てるのである。なぜなら彼の羽の片方には細菌が、もう片方にはそれに対する解毒剤が存在するのである。ハエが生きるか死ぬかの時、その背中を押さえつけることによって、蓄積している解毒剤の袋が破れ、結果としてハエは片方の羽による雑菌汚染を自分で消毒することになる。

このことについて研究した科学者は次のように語っている。「ハエの背中を抑えた時、顕微鏡で見ると、微生物が動いているのが見える。その後の研究で、これらは、殺菌する働きを持つものであることがわかった」

10.内部の出血

聖アーイシャは語っておられる。「ある日、ファーティマ・ビンティ・エビーフベイシュが預言者ムハンマドを訪れ、次のように言った。『預言者よ。私の出血がぜんぜん止まりません。ずっと続いています。礼拝はできないのでしょうか』預言者ムハンマドは答えられた。『いや、それは月経の出血ではなく、血管の異常によるものでしょう』」[98]

それから何世紀もが過ぎた。我々はやっと、月経の出血が内部の出血によるものであると知り、驚きを新たにしている。今日の科学的研究によってやっと明らかにされたこの問題を、預言者ムハンマドはその時代にどうして知りえたのであろうか。それはアッラーが知らされたからに他ならない。アッラーが教えられ、だからこそ知ることができたのである。これまでに過ぎた長い年月は、預言者ムハンマドの言葉にさらに深さを増すことになった。今日、科学者は言う。「この言葉を語った者は、他の何者でもなく、預言者でしかあり得ない」

11.酒は健康をもたらさない

ターリク・ビン・スワイドは語っている。「私はある病気を持っていて、酒が禁じられるまではその持病の治療のために酒を使っていた。禁止されてから、私は預言者のところに行き、事情を説明した。そして、私の場合は酒が許されるかどうかを尋ねた。預言者ムハンマドは言われた。『いや、酒はそれ自体が一つの病気である。決して治療にはならない』」[99]

世界中で行なわれているように、トルコでも酒に対するキャンペーンが行なわれており、科学者たちが講演している。彼らが言っていることは一つの点にまとめられる。すなわち、酒はほんの一滴であっても、人間に精神的、肉体的ダメージを与えるということである。預言者ムハンマドはこの件についても、何世紀も前にすでに取り上げられ、酒がそれ自体一つの病であることを語られているのである。

12.割礼

預言者ムハンマドは、10の事項を被創造物の摂理とされている。その一つが、割礼である。[100]

今日、知識人たちは何と言っているだろうか? 彼らも同じことを言っていないだろうか? つまり、包皮は不潔さの元であり、雑菌の温床になったり、傷ついたり、癌のかかる可能性を高めたりといったリスクを負うものである。そのリスクから逃れる手段が、割礼なのである。

事実として、この問題で西洋は我々の中の無知な者たちよりもさらに先を行っているのである。今日、アメリカやイギリスで割礼をする者は何百万にものぼっているのだ。

この件に関して、私の頭に思い浮かんだ、ある言葉を紹介したい。「西洋は今、イスラームの子供を身ごもっている。オスマントルコ帝国も、西洋人である子供を産み落とすだろう」[101]

今から7~8十年前に語られたこの言葉の、片方は実現した。そして我々は今、希望に満ちて、二つめの出産を待っている。陣痛はひどくなってきているようである。新しく生まれる子供の、よい知らせに満ちた産声は、インシャラー、近く聞かれることであろう。

ここまで、預言者ムハンマドの、そして他の預言者たちの正当性について見てきた。全ての預言者は、正しく真実に満ちている。彼らの人生で嘘はあり得ない。もし彼らに悪い点があったなら、誰かを正しい道に導くことは不可能である。彼らは、人々を正しい道に招き、天国へ続く道を示すためにやって来たのである。

そしてここで我々が学んだことは、預言者ムハンマドの正当性が、何千もの証拠によって証明できるということである。ここでは、預言者ムハンマドの正当性の証拠を三つの大きなグループに分けて示したが、これはもちろん我々が考えたことに過ぎず、このお方の正当性はこれ以外にも何十万もの証拠でもって、全く別の形で説明することもできる。第一、このテーマを誰が締めくくることができようか。最後の審判の日まで、彼の語られたことは真実となって現れ続け、それぞれの時代の人々は、彼の正当性をそれぞれに違った深さで理解し、彼と向き合うだろう。

あの世、と言われる世界では、預言者ムハンマドの正当性が、完全に明らかになり、全ての人がそれを見るであろう。彼の人となり特性、その名前の示すものなどを、全ての人がそれぞれの魂の段階に応じて、必ず見るであろう。そして彼の言葉が正しかったことを理解するであろう。天国も、地獄も、そこでの物事も、全て預言者ムハンマドが我々に語られたとおりの形で我々の目の前に現れるだろう。そして、それらもまた、永遠なるその言葉で、預言者ムハンマドに、あなたの言うことは正しい、と言うであろう。

 


[1] Muslim, Fada'il al-Sahabah 143
[2] Bukhari, Maghazi 11; Ibn Maja, Muqaddimah 11
[3] Bukhari, Zakat 54
[4] Muslim, Jihad 101, 105; Bukhari, al-Anbiya' 54
[5] Muslim, 'Imarah 148
[6] "幸せな石"という意味での黒い聖石
[7] Ibn Hanbal, Musnad, 3/425; Ibn Hisham 1/209
[8] Bukhari, Bad'u l-Wahy 6
[9] Ibn Hanbal, Musnad 5/323
[10] Tirmidhi, Qiyamah 60; Ibn Hanbal, Musnad 1/200
[11] Hindi, Kanz al-'Ummal 3/344; Munavi, Feyzu'l-Kadir 3/232
[12] Bukhari, Adab 69; Muslim, Birr 105; Abu Dawud, Adab 80
[13] Bukhari, Maghazi 79; Muslim, Tawbah 53
[14] Abu Dawud, Adab 82; (ハディースに出る人の名前はAbdullah b. Ebi'l-Hamsaです)
[15] Muslim, Fitan 25; Ibn Hanbal, Musnad 5/341
[16] Muslim, Iman 271
[17] 「また(彼は自分の)望むことを言っているのでもない。それは彼に啓示されたお告げにほかならない」(聖クルアーン星章53/3-4)
[18] Muslim, Fada'il al-Sahabah 23
[19] Hindi, Kanz al-'Ummal 12/571
[20] Abu Dawud, Sunne 8; Ibn Hanbal, Musnad 2/76
[21] Bukhari, Fitan 15
[22] Muslim, Janna 76,77
[23] Ibn Hanbal, Musnad 4/360, 364
[24] Ibn Kathir, al-Bidayah 4/348; Bayhaqi, Dala'il al-Nubuwwah 5/102
[25] Halid Muhammed Halid, Ricalun Havle'r-Rasul p401
[26] Ibn Hajar, Isabah 3/36
[27] Bukhari, Adab 22; Haithami, Majma' al-Zawa'id 9/286
[28] Bukhari, Adab 22; Ibn Hanbal, Musnad 5/205
[29] Bukhari, Maghazi 87
[30] Bukhari, Fada'il al-Madina 8 ; Muslim, Fitan 9
[31] Bukhari, 3; Muslim Fitan 26, 27
[32] Bukhari, Manaqib 25; Ikrah 1; Abu Dawud, Jihad 97
[33] Bukhari, Manaqib 25; Muslim, Fada'il al-Sahabah 98, 99
[34] Ibn Hanbal, Musnad I,6
[35] Bukhari, Sulh 9; Ibn Hanbal, Musnad 5/49
[36] Ibn Kathir, al-Bidayah 8/45
[37] Haithami, Majma' al-Zawa'id 9/404-405; Hakim, Mustedrek 4/500
[38] 参照Muslim, Dhikr 42; Ibn Hanbal, Musnad 4/211
[39] Bukhari, Manaqib al-Ansar 9; Muslim, Jihad 127
[40] Bukhari, Maghazi 29; Muslim, Jihad 123, 124, 125
[41] Ibn Kathir, al-Bidayah 4/116; Ibn Hisham, Sirah 3/230; Ibn Hanbal, Musnad 4/303
[42] Tirmidhi, Manaqib 55 (このハディースで出ている人はべラー・ビン・マーリクです)
[43] Ibn Hajar, Isabah 1/143, 144
[44] Bukhari, Manaqib 25
[45] Ibn Kathir al-Bidayah 9/225
[46] Tirmidhi, Manaqib 35
[47] Hindi, Kanz al-'Ummal 13/536 (同じ話題についてBukhari, Salah 63; Muslim, Fitan 70,72,73; Ibn Hanbal, Musnad 12/161,164を見てください)
[48] Hindi, Kanz al-'Ummal 13/539; Ibn Kathir, al-Bidayah 7/296
[49] Bukhari, Adab 95, Manaqib 25; Muslim, Zakat 142, Ibn Hanbal, Musnad 3/56
[50] Bukhari, Adab 95; Muslim, Zakat 142; Ibn Hanbal, Musnad 1/356
[51] 翻訳者注 「ハーリジー派」は「ハワーリジュ派」とも呼ばれる。イスラーム初期に政治的理由でった神学派。
[52] Ibn Kathir, al-Bidayah 7/320, 321
[53] Ibn Hanbal, Musnad 3/82
[54] Bukhari, Ta'bir 12, Jihad 3,8; Muslim, 'Imarah 160, 161
[55] Ibn Hajar, Isabah 4/441
[56] Bukhari, Jihad 95, 96; Abu Dawud, Malahim 10; Ibn Maja, Fitan 36; Ibn Hanbal, Musnad 5/40,45
[57] Hakim Mustadrak 4/422; Ibn Hanbal, Musnad 4/335
[58] Ibn Hajar, Isabah 1/405
[59] Abu Dawud, Malahim 5; Ibn Hanbal, Musnad 5/278
[60] Hindi, Kanz al-'Ummal 11/424
[61] Bukhari, Fitan 16; Muslim, Fitan 45; Ibn Hanbal, Musnad 2/50, 72
[62] Bukhari, Fitan 24; Muslim, Fitan 30; Abu Dawud, Malahim 12, 13
[63] この話題を指すハディースのためにMuslim Iman 244-247を参照
[64] Muslim, Fitan 110; Tirmidhi, Fitan 59; Ibn Hanbal, Musnad 4/182
[65] Ibn Hanbal, Musnad, 1/407,408; Hakim Mustadrak 4/98, 446
[66] 参照 聖クルアーン雌牛章2/83; 婦人章4/36; 夜の旅章17/23
[67] Darimi, Muqaddimah 27
[68] Hindi, Kanz al-'Ummal 14/244
[69] Haithami, Majma' al-Zawa'id 7/324
[70] Ibn Maja, Tijarah 58; Ibn Hanbal, Musnad 2/494; Nasa'i, Buyu' 2
[71] 聖クルアーン雌牛章2/278, 279
[72] Hindi, Kanz al-'Ummal 11/176
[73] Bukhari, Salah 63; Muslim, Fitan 70,72,73; Ibn Hanbal, Musnad 2/161, 164
[74] Hindi, Kanz al-'Ummal, Muslim 'Ilm 6; Bukhari, al-Anbiya' 50
[75] See Abu Dawud, Salah 88; Ibn Hanbal, Musnad 5/264, 265
[76] Bukhari Tib, 1
[77] Abu Dawud,Tib 10; Muslim, Salam 69
[78] Tirmidhi, Tib 2; Ibn Maja, Tib 1; Ibn Hanbal, Musnad 4/278
[79] 参照 サイド・ヌルスィ,第20ことば,2段,まえがき
[80] Ibn Kathir, al-Bidayah 7/90, 91
[81] Ibn Hanbal, Fada'il al-Sahabah, 2/742
[82] Bukhari, Fada'il al-Ashab 21; Muslim, Fada'il al-Sahabah 53-54
[83] Bukhari Tib, 30; Muslim, Salam 98
[84] Bukhari Tib, 30; Muslim, Salam 98
[85] Bukhari Tib, 30; Ibn Hanbal, Musnad 2/443
[86] Muslim, Taharah 91
[87] Bukhari, Bad'u l-Khalk 17; Muslim, Taharah 93
[88] Abu Dawud, At'imah 11; Tirmidhi, At'imah 39; Ibn Hanbal, Musnad 5/441
[89] Muslim, Taharah 87; Abu Dawud, Taharah 49; Tirmidhi, Taharah 19
[90] Bukhari, Jumu'ah 8; Muslim, Taharah 42; Abu Dawud, Taharah 25; Tirmidhi, Taharah 18; Nasa'i, Taharah 6; Ibn Maja, Taharah 7; Ibn Hanbal, Musnad 1/80
[91] Bukhari, Wudu'' 73; Muslim, Taharah 46, 47
[92] Tirmidhi, Zuhd 47; Ibn Hanbal, Musnad 4/132
[93] Hindi, Kanz al-'Ummal 3/460
[94] Abu Dawud, Tib 14; Tirmidhi Tib 9
[95] Ibn Maja, Tib 29; Tirmidhi Tib 13
[96] Bukhari, Tib 7; Muslim, Salam 88
[97] Bukhari, Bad'u l-Khalq 17, Bukhari, Tib 58; Abu Dawud, At'imah 48
[98] Bukhari Wudu'' 63; Muslim Hayz 62; Abu Dawud, Taharah 109
[99] Muslim, Asribah 12; Ibn Maja, Tib 27
[100] Muslim, Taharah 49, 56; Abu Dawud, Taharah 29
[101] サイド・ヌルスィ, 伝記,p56

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