素晴らしい中源

預言者たちは、その活動に入る時、決して声高に主張することはなかった。彼らは人々に対して、立派な助言と知識をもって働きかけた。聖クルアーンでも、預言者ムハンマドに対して次のような記述が見られる。

「英知とよい話し方で、あなたの主の道に招け。最善の態度で彼らと議論しなさい」(蜜蜂章16/125)

彼らに対して、その存在の理由と創造の神秘をやさしく、説得力のある形で説明しなさい、相手を傷つけることなく、心から納得できるようにしなさい。

預言者たちは、固執したり、詭弁によってその任務を強行したりすることは全くなかった。当時も今も、思慮の足りない者がこのような形が有効であると考え実行し、それがうまくいったためしはない。アッラーも、彼らにこのような行動はとらせなかった。彼らの任務は、役に立つ知識と、素晴らしい助言という形で、教えについて説明し、それを広めることであった。人間はただ頭で生きるのではない。心、精神がある。そしてこれらは全て、満足することを求めている。それで預言者たちは、人間たちをそれに従って導く。そしてその形で、彼らを輝かせる。人間の心や精神に重きを置いて行なわれるこのような忠言は、結果として、全ての疑いを晴らし、相手を信仰に導く。

預言者たちが導いた人々は、物事に対する見方が変わる。心の目を持つことになるのである。他の人々が見ることのできないものを見、知るようになる。アッラーに対しての疑惑を抱く人たちに対して、笑ってやり過ごすことができるようになる。なぜなら、彼らの心に根づいた知識は、もはや何の疑惑も残さないからである。

アッラーは、彼らが1を知るとそれを一千とされる。知識を獲得させ、知らないことを知らせる。ハディースで次のように述べられている。「誰であれ、その知っていることに従えば、アッラーは、彼らがまだ知らないことをもお知らせになる」。[1]アッラーよりもたらせられる精神的状態は、彼らの心を宇宙のように広げさせる。そして自分が知っていることに従うことによって、彼らの考えも高まる。

「よい言葉は、彼の元に登っていき、正しい行いはそれを高める」(創造者章35/10)

さらには彼らの中に、聖アリーのような人も育っていく。彼は「私は天国や天使など、今見ることのないことを見ることができるようになったとしても、これ以上に信じることはないだろう」[2]と言っていた。つまりそのレベルで信仰しているということである。このような言葉は、神への感謝のために、その恵みを明らかにする目的で述べられたものである。預言者ムハンマドは、アッラーの知らせにより、アリーを最後の審判の日までに訪れる信者の長として、宣言した。彼を喜びで一杯の状態にされた。美しく、こまやかな心を持つ女性たちを振りきり、預言者の庭の花、聖ファーティマと結婚した。そしてこの幸せな結婚により、二人の立派な人間、聖ハサンと聖フセインが世に現れた。さらに、アッラーが愛された者の中で最も高いところに位置される者たちも、彼らの教え子たちの中から現れたと言える。聖アリーがこのようでおられたのと同様、その金の鎖につながった者たちは皆、正しい道からそれることのない信者であった。[3]

彼らにおける、アッラーは自分たちを愛されておられるという感情は、信じることと、信じたことに従ったことによる結果であり、こういった直観的真理は信仰とイスラームの結果として、アッラーを見ているかのような信仰行為を行なう者に芽生える。

「われは今、あなたから覆いを取り除く。今日は、あなたの視覚は鋭敏である」(カーフ章50/22)

彼らはまだこの世にいるうちに、この節に従うのである。この直観的真理をその良心の内に感じ始めた瞬間に、もはや外の世界は色あせ、内面の感情が人間を支配する。なぜなら、アッラーは彼自身を人間の心の中に感じさせるのであり、外で探すことの必要がなくなるのである。その教え子たちに、この感情と考えを抱かせられた預言者は、そのメソッドとして、よい形で忠言することを選ばれ、その布教もそれに従って行なわれた。我々がこのテーマで明らかにしたかったことは、この節に、最も明らかな形で述べられている。

「われはあなた方の一人をわが使徒として遣わし、われが印をあなた方に読誦して、あなた方を清め、また啓典と英知を教え、あなた方の知らなかったことを教えさせた」(雌牛章2/151)

私は預言者ムハンマドのこの点における細かい注意の払い方と、そのメソッドを今までにもさまざまなところで説明してきたので、ここではこれ以上の言及はしない。ただ、それらを2~3の文章としてまとめるのであれば、次のようになるであろう。

預言者ムハンマドは、常に相手の状態や段階に応じて、その頭と心と精神を満足させる形で、過不足なく、語られた。そのお方の語られるのを聞いた者はほとんどが心から納得した。ワリド・ビン・ムギーレやウズベ・ビン・レビアのように、預言者ムハンマドが語られたことを正しいと認めながらも、そのプライドの虜となって信仰しなかった者たちも、恐怖に取りつかれていた。否定し続けたのは、彼らの欠点によるものである。時として、詩人アーシャーのように、全てを認めながらも、昔からの習慣を捨てられず、特別扱いを求める者もあり、もし信じることなく死んだとすれば、これは、アッラーが彼らに定められた運命だと言うことができる。

 


[1] Abu Nuyam, Hilyah 10/15
[2] 'Ali al-Qari, al-Asrar al-Ma'rufah, p286
[3] Muslim, Fada'il al-Sahabah 61

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