見返りを求めない

預言者たちはその任務から、物質的、精神的見返りを全く求めない。聖クルアーンでは、彼らのこの特質についてさまざまな形で述べられているが、全てに共通する点は「我々の報酬はただアッラーから与えられる」(参照 詩人たち章26/107、125/7、143/5、162/4、178/80)というものである。我々は、たとえ物質的な見返りを期待しなくとも、少なくとも精神的な見返りを期待することがあり得る。しかし預言者たちはそれすらも求めない。彼らがやっていることは全て、アッラーの命であるからやっているのである。たとえ地獄の火に焼かれるようなことになったとしても、彼らはその考えを変えることもなく、その任務を続ける。

彼らにこの困難な任務を続けさせるのは、天国への憧れでも地獄への恐怖でもなく、ただアッラーの承認を得られるということのみである。この点で最も抜きん出ているのは預言者ムハンマドである。この世に生を受けた瞬間から「私のウンマ(預言者の共同体)よ」、と呼びかけたと言われる預言者ムハンマドは、最後の審判の日にも「私のウンマ、私のウンマ」と言われるに違いない。天国への扉が大きく開いて、今まさにそこに入らんとする時でさえ、預言者ムハンマドはそのウンマをそこへ導くために、審判の日の最も苦しい状態をも、ものともせず、待つことを選択されるだろう[1]。彼らはただアッラーの承認を得ることのみを考える。その他のことに対しては、その心は開かれないのである。

私たちのこの時代において、そもそも預言者の任務である布教のための活動をする者は、特にこの点に注意を払い、気をつけて行動すべきである。言葉が影響力を持つために必要なのは文学的に美しく語ることではなく、誠意を感じさせることである。そのためにも、見返りを期待しないことが必要である。聖クルアーンでも次のように記されている。

「あなた方に何の報酬も求めない人たちに従いなさい。彼らは導きを得ている」(ヤー・スィーン章36/21)

あなた方が従うべき人を選ぶ時にはよく考えてほしい。そのような人に従ってほしい。そして昼も夜も、常にその奉仕のために愛情を持ち続けてほしい。後の世代を育てるために努力し、その時代に最も合った形でそれを実行する。その見返りは求めず、心の中にその欲求の影さえ存在してはいけない。あなた方自身にこのような指導者を見つけ、その後に従ってほしい。

預言者ムハンマドは、見返りを求められなかった。人生を通して、大麦のパンですら、その空腹を満たそうともなさらなかった。時として、その幸福に満ちた家では、料理のための火もおこされないまま何日も、何週間も、何ヶ月も過ぎることがあった。アブー・フライラは説明している。

「ある日、私は預言者ムハンマドのところに出かけた。預言者は座ったまま礼拝をされていた。礼拝が済んでから、私は尋ねた。

『預言者よ、病気なのですか』すると彼は答えて言われた。

『いや、空腹のためです、アブー・フライラよ』私は泣き始めた。この世界さえ御自身のために創られた、アッラーの最も愛されるしもべが、空腹のために立ち上がる力もなく、座ったまま礼拝をしているのだ。私が泣いたのを見て、預言者ムハンマドは慰めてくださった。

『泣くことはありません、アブー・フライラよ。この世界で空腹の苦しみを味わう者は、あの世でのアッラーの罰から安全な状態を得るでしょう』」[2]

マディーナのムスリムの一人である女性が、敷布団のようなものを持ってきた。聖アーイシャは、それを預言者がいつも休まれる、草で編んだ敷物の上に敷かれた。家に戻ってそれを見られた預言者ムハンマドは、それが何であるかを尋ねられ、その答えを聞いて、言われた。

「アーイシャよ、それを返してきなさい。私がそれをほしがっていれば、アッラーは必ずそれをお与えになっただろう、しかし私はそれを望まない」[3]

そのお方は、もし望みさえすれば、非常に楽な人生を送ることもできたであろう。しかしそれを望まれなかった。

ある日、天使が訪れて、アッラーの挨拶を伝えた。それから尋ねた。

「あなたは皇帝の預言者になりたいか、それとも奴隷の預言者になりたいか」。ジブラーイールが、助けにやって来て、預言者に伝えた。

「謙遜しなさい」預言者ムハンマドは答えを決めて、答えられた。

「ある時は空腹に苦しんでも、別の時には食事できたことに満足できる、奴隷の預言者であることを望みます」[4]

彼は奴隷や召使いと共に座り、共に食事をとられた。ある女性はそれを見て、

「奴隷のように食事をしている」と言った。預言者ムハンマドは言われた。

「私以上にいい奴隷がいると言うのか。私はアッラーのしもべである」[5]

預言者ムハンマドの人生は常にこのようであった。その他の例を挙げた何千冊もの本があるので、ここではこれ以上の説明はそれらの本に譲ることにしよう。このように、このお方をはじめとして、全ての預言者たちは何の報酬も要求することなく生き、彼らの行いに対して、この世でも、あの世でも、一切の見返りを期待しなかった。彼らの言葉に信頼が置かれたのはまさにそのためである。だから、自分の言葉を信頼してほしいと願う人は、まずその奉仕に対して何の見返りも期待しないことを学ぶべきである。

 


[1] Bukhari, Tawhid 36; Muslim, Iman 326
[2] Bukhari Riqaq, 17; Muslim, Zuhd 28
[3] Hindi, Kanz al-'Ummal 7/199
[4] Ibn Hanbal, Musnad 2/231; Hindi, Kanz al-'Ummal 7/191; Haithami, Majma' al-Zawa'id 9/19-20
[5] Haithami, Majma' al-Zawa'id 9/21

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