恵みの預言者

預言者ムハンマドのお恵みと憐れみ深さも、そのお方の預言者としての知性の別の一面を構成するものである。預言者ムハンマドの憐れみと恵み深さには同時に、ある概念が持つ驚くほどの深さが秘められている。預言者ムハンマドは、アッラーの恵み深さや慈悲深さの、この地上における唯一の代理人、象徴として、この二つの神聖な特性を特効薬のように用いられ、人々の心に入って行かれたのである。慈悲深さ、憐れみ深さ、優しさ、心から親しくなること、などといったものほど人々を認めされる手段は他にない。預言者ムハンマドの内面の細やかさ、驚くべき能力、預言者としての知性と共に、恵み深さ、慈悲深さは預言者としての知性の別の一面としてその価値は非常に有効に活かされたのである。これも、そのお方が預言者であることの一つの証拠と言えよう。

アッラーは、預言者ムハンマドを全世界へお恵みとして遣わされた。預言者ムハンマドは、その輝かしい神のお恵みを伝えられているのである。このお方はあたかも砂漠の真ん中の水源であり、神の恵みの貯水池のようであられる。器を手に訪れる者は皆そこで器を満たし、存分に水を飲む。預言者ムハンマドは、恵みという点で、全ての人に開かれた水源のようであられた。望む者は皆、このお方から恩恵を受けることができるのである。

その素晴らしい預言者としての知性と恵み深さは、その恵みを必要としている魂にとって、あたかも天国へ導く輝かしい仕掛けのようであった。誰であれ、その仕掛けの魅力的な雰囲気の中に入って行く者は、自らを頂点に見出すことになるのである。恵み深さは、アッラーの使徒の手において魔法の鍵のようであったのだ。錆びつき、腐食し、開かれるようなことはないように思える鍵穴をこの鍵によって開かれ、その心に信心の灯をともされるのである。

この金の鍵は、全ての人間の中から金の魂を持ち、混じりけのない金であられる預言者ムハンマドへ委ねられたのである。なぜなら、人間の中でその鍵を受け取るのに最もふさわしいのは彼であられたからである。アッラーは常に、信託をふさわしい者に授けられる。人々に信託として与えられる心の鍵をも、アッラーはそれに最もふさわしい預言者ムハンマドに与えられたのである。

そう、アッラーは預言者ムハンマドを全世界への恵みとして遣わされ、そのお方もその恵みを驚くほどの均衡のうちに、最良の形で活かされたのである。恵みにおいては、バランスのよさも重要なのである。

過度の恵み、不十分な恵み

全ての問題において、行き過ぎや不十分さが存在するように、恵みを与えるという点においても行き過ぎや不十分さは存在する。恵みが悪用されている典型例は、秘密結社フリーメーソン(会員相互の扶助と友愛を目的とする世界的な秘密結社、槌・定規・コンパスなどをシンボルとする)における考え方や振る舞いに見ることができる。彼らは一方では均衡の取れていない愛やヒューマニズムについて語るが、一方では、その他の信仰を持つ人々に対して親しみなどは感じることがない。できることなら、ムスリムや信仰を持つ人々をスプーン一杯の水で窒息させてやりたいと望んでいる。彼らの愛情はただ彼ら自身に、そして彼らのように考える者たちに対してのみ向けられる。そもそもこの愛情も、我々が理解している意味での親しさではなく、利益を前提にして存在するものである。それに対して預言者ムハンマドの恵みは全てを対象とする形で存在し、ただ人間に対してではなく、全ての存在するものを包括するものなのである。

預言者ムハンマドがもたらされる恵みから、信者たちは恩恵を受ける。なぜなら預言者ムハンマドは「信者に対し優しく、また情け深い」(悔悟章9/128)お方なのである。心から接し、優しい心を持たれ、そしてとても情け深くあられるのである。その恵みから、信者だけではなく不信心者や偽信者も恩恵を受ける。さらには、ジブリールでさえも恩恵を受けたのである[1]。この恵みの広さを、次の事項から推測してみてほしい。すなわち、シャイターンでさえも、その恵みに望みをかけたことがあったのである。[2]

そのお方が体現される恵みは、特定の人、集団を選ばない。預言者ムハンマドは、一部の者がそうするように、恵みを悪事の手段として使われることもない。

ヒューマニズムの計略

今日一部の流れが、人々を騙すためにヒューマニズムを衝立として利用していることは事実である。預言者ムハンマドが体現されている愛情は、決してこの種の愛の概念を含むものではない。イスラームにおける愛は、全てにおいてそうであるのと同様、イスラーム特有のものであり、現世と来世の面を持ち、そして均衡の取れたものなのである。

預言者ムハンマドは、一つのメッセージとしてのその愛情によって、全ての人類、全ての存在を包括されたのである。ただ先にも触れたように、預言者ムハンマドの情け深さや深い恵みは、それを悪用する者たちの愛や情けに対する理解に見られるような、ただ思考や字面として留まるものではなかった。逆に、その場で実行され、深みを持って体現されるものであったのである。預言者が実行できない思考は存在しない。このお方は行動の人であり、努力の人であられたのである。

預言者ムハンマドは最も誠実な形で語られたことは常に実現を見たのである。例えば、このお方は動物に対して慈悲を持って振る舞うことを次のような警告を含んだ例によって語られる。アッラーの使徒の語られたこの二つの例は忘れることのできないものである。

「アッラーは、一人の不道徳な女性を一匹の犬のために許され、天国に入れられた。犬が、井戸のそばで、渇きのために舌を垂らし、喘いでいた。ちょうどその時そこを通りかかったこの女性は、犬の状態を見て耐えられなかった。すぐに腰からベルトをはずし、それに靴を結びつけ、それによって井戸から水を汲んで犬に飲ませ、犬を死から救ったのであった。このように、女性の一匹の犬に対するこの振る舞いが彼女が許されるきっかけとなり、アッラーは彼女を天国に置かれたのである」[3]

逆の例として、二つめの例えはこのように語られている。

「ある女性は、一匹の猫のために地獄に入れられた。彼女は猫に食べさせることも飲ませることも、外に放してやることもしなかった。そして猫は飢えて死んだ。女性もそのために地獄に入れられたのである」[4]

預言者ムハンマドは、この心の広い恵みを伝えるという義務と共に来られたのである。このお方は良質な水の源であられる。誰であれ、そこに意志の水がめを突っ込めば、恵みを得ることができる。預言者ムハンマドの手から命の水を飲んだ者は、ある意味不死に達するのである。

この恵みの貯水池のふちに立つものが預言者ムハンマドの尊さを理解することができたなら、どれほど素晴らしいことか。

全てにおいて最高であった

我々の言葉を不十分なものにしないために、いくつかの例をさらに紹介したい。ただその前に、ここで次のような事項にもあなた方の注意を向けてもらわずにはいられないのである。

人々の中には、専門職については進んでいる人が、それ以外の分野では驚くほど未発達であることがある。

例えば、軍の将校は、軍事という面でどれほど優れていようと、時として他の分野においては、羊飼いほどの理解力、感受性、情け深ささえも身に付けていないことがあり得る。しかも、この種の人は人を殺すことによって性格が形成されてきたため、時として全く情けを持たなかったりする。なぜなら、人を殺し続けることによって感覚がある程度麻痺してしまっており、人が誰かを殺した時に、皆感じる憐れみを彼は感じることがないのである。

一人の政治家は、政治においては成功しているかもしれない。しかしそこで優れている分だけ、誠実さにおいては欠けているかもしれず、人々の権利を尊重する心もも不足しているかもしれない。つまり、政治的な成功と反比例して、誠実さや人間性において後退していっているとも言える。一方においては頂上に上りつめ、一方では地へと落ちていっているのである。

あるいは、実証主義に夢中になっていて、全てを実験や経験に委ねさせることに忙しい者は、精神世界においてゼロを超えることができないのである。時として、知性の面ではエベレスト山の頂上ほどに高められているのに、精神的生活においては死海(イスラエルとヨルダンの間にある、海面下三九四メートルの塩湖)ほどに落ち込んでいる者もいる。

全てを物質的なものに変えようと努めている多くの人がいる。神意の論理の前では彼らは愚かであり、その意味ではまさに盲目なのである。

これらの簡単な説明から理解されるように、時として人は一定の分野において成功しているのにも関わらず、それ以外の重要な分野において全く成功していない。つまり、人におけるそれぞれ対立する性質が、お互いの妨げとなるのである。片方が発達し、開花する時、片方は後退し、実らないままとなるのである。

しかし、預言者ムハンマドにおいては、状況は決してこのようではない。このお方は将校であり、同時に憐れみ深い方でもあられる。政治家でもあられる。人間性の持ち主でもあられ、温かい心を持たれる。観察や経験にも重きを置かれるが、精神世界においても頂点に達せられたのである。

ウフドの戦いにおいて、このことの最も印象的な例えを見ることができる。考えてみてほしい。そこで、預言者ムハンマドが御自分の命ほどに愛されていた、叔父であり乳兄弟でもある聖ハムザが殉教した。ただ殺されただけではなく、体がばらばらに切り刻まれ、心臓が噛まれたのである[5](参照第一巻223ページ)。さらにそこでは、叔母の息子にあたるアブドゥッラー・ビン・ジャフシュも、切り株の上の肉のように切り刻まれた[6]。しかも、御自身の頭にも傷を受けられ、歯も折られ、体中血まみれになられたのだった[7]。敵たちが憎悪と敵意に満ちて飛び掛ってきて、必死になってこのお方を殺そうとしている際、この最も偉大なお方は、その血が地に流れれば、アッラーが彼らを滅ぼされるかもしれないという思いから震えられ、次のように言われたのである。

「アッラーよ、私の民をお許しください。彼らは知らないのです」[8]

これは何という情け深さの観念であろうか。御自身を殺そうとする者のために、預言者ムハンマドはお祈りをされ、恨んだり呪ったりされることはなかったのである。

マッカ征服まで、敵たちは預言者ムハンマドにありとあらゆる悪事を行った。一度考えてみてほしい。あなたはボイコットされ、家から、故郷から追放され、砂漠の真ん中に放置される。それから、とても厳しい誓約がカアバの壁に張り出される。そこにはこう書いてあるのだ。「我々が追放したこの者たちと市場で売り買いをすること、彼らと婚姻を結ぶことを禁止する。」そしてあなたはこの厳しい条件の下で三年、砂漠で過ごさなければならないのである。あなたの近親者でさえ助けることはできず、あなたはそこで木や草を食べて、生き延びようと努力するのである。子供や年老いた者たちは飢えで死んでいく。人間性というものを全く見ることもできないであろう。そしてそれだけでは不十分だとでもいうかのように、祖国から追放され、他の地に連れられて行く。その地においても困難さから開放されることはなく、様々な計略や謀略と共に、日々新たな脅迫を受け続ける。それから、バドルやウフドや塹壕(ざんごう)の戦いにおいて、何度も戦い、苦しめられる。カアバ訪問のような最も基本的な権利さえ失うことにもなるのである。

しかし一方で、外見上あなたに不利である条件を受け入れ一度は後退するが、その後アッラーのお恵みによって、大きな軍の長としてマッカを征服し、その地を支配することにもなるのである。そこで彼らに対するあなた方の振る舞いはどうなったであろうか? 「家に帰ってよろしい。あなた方は皆自由です。今日あなた方には責めはありません」と言うことができたであろうか? 私自身、もし預言者ムハンマドからこういう教訓を得ていなかったとしたら、絶対にそういう形では振る舞えなかっただろう。おそらくあなた方も同じように考えているのではないかと思う。しかし預言者ムハンマドは鎧をつけ、兜を被り、手には剣を持ち、矢や馬を装備してマッカに入られつつも、同時に情け深さの勇者でもあられたのである。そのお方はマッカの者たちに尋ねられた。

「私からどのような行為を望みますか」彼らは皆答えた。

「あなたは情け深いお方です。あなたからただ情け深さが望まれます」

預言者ムハンマドは聖ユースフが兄弟に言ったように、言われた。

「今日あなた方に責めはありません。アッラーがあなた方を許されますように。かれは最も憐れみ深いお方であられる」[9]

預言者ムハンマドは生涯、注意深さに欠けることもなかった。このお方ほど、注意深さと、十分努力した後は神にゆだねるという精神とをうまく融合させておられる者は存在しない。

バドルの戦いに赴く際、教友たちの状態を確認された。誰も皆爆弾のようであって、一人で、軍隊に対抗できるほどの勢いを持っていた。サアド・ビン・ムアーズが「あなたは馬をグマド海まで曳いて行ってください、アッラーの使徒よ。我々のうち誰も、後には残らないでしょう[10]」と言ったのも、その勢いの例である。この人が何度も次のように言ったことも、いかに意味深いことか。

「我々の命はここに。必要な命を使ってください、アッラーの使徒よ。我々の財産もここに。必要なだけ使ってください、アッラーの使徒よ」[11]

兵の準備は整っていた。それぞれが皆サアド・ビン・ムアーズのようであった。しかし、それと共に、預言者は用心深さという点においても欠けるところはなかった。軍の長として、必要なことは全て適切な形で実行された。それから、手を広げられ、心の深いところから高まってくる熱望と共に、アッラーにお祈りされ、嘆願されるのであった。預言者ムハンマドは我を忘れるほどお祈りをされ、覆いが落ちたのにも気付かれなかった。その光景を見ていたアブー・バクルは、耐えられずにそばに駆け寄り、覆いを掛け、言った。

「もう十分です、アッラーの使徒よ。アッラーは決してあなたを嘆かせられることはないでしょう。これほど嘆願されたのだからもう十分です」[12]

このような、一方では十分な注意深さ、もう一方では全てをアッラーに委ねるという意志、これはただ頂点に達している人のみに与えられる特殊な性質なのである。

普遍的な恵み深さ

前の方でも述べたように、預言者ムハンマドは、信者、不信心者、偽信者、それぞれが恩恵に授かることのできる、恵みの象徴であられた。信者はこのお方から恩恵を受けた。預言者ムハンマドは「私は信者たちに、彼らたち自身よりもなお近いのだ」と言われている。解釈者は、聖クルアーンの一節(部族連合章33/6)から解釈して「アッラーの使徒は、信者たちにとって、彼ら自身の命よりなお愛すべき存在である」と言っている。しかしそもそもこの二つは近い意味を持つのである。我々はこのお方を、自分の命よりもなお愛する。預言者ムハンマドも、御自身に対してこのような愛情を持つ者を同じように愛される。このお方は最も人間性をもたれるお方であるからである。

これは理性的な、論理的な愛情である。この愛情に感情的な面があったとしても、それ以上に意味の深いものである。もし、さらに深められた形でそれが活かされれば、それは人の心にすっかり根を張り、人は常に預言者ムハンマドを慕い続けるだろう。その名を思い起こすたびに鼻の奥が痛み、そのお方無しで過ぎる生活は、その人にとって別離の悲しみそのものだと認識するようになる。そしてそのお方のために、泣くのである。

アッラーの使徒は我々にとって、我々自身の我執自己よりもなお近い方である。それは当然でもある。我々は自らの自己によってしばしば悪い結果を見てきた。しかし預言者ムハンマドからは常に、情け深さ、善、慈悲深さ、憐れみ深さ、そして人間性を見出してきた。預言者ムハンマドはアッラーのお恵みを体現するお方である。だから、当然、我々の自己よりも我々に近くおられるのだ。

預言者ムハンマドは「私は信者たちに、彼らたち自身よりもなお近いのだ」と言われている。これを次の節と比較してみてほしい。「預言者は、信者にとり彼ら自身よりも近く...」(部族連合章33/6)預言者ムハンマドはこの節の後に、次のように付け加えられた。

「誰であれ、財産を遺せば、それは親戚に遺したことになる。しかし誰であれ借金を遺せば、それは私に遺したことになる」[13]

このハディースには、次のようなエピソードがある。

ある日、一体の死体が運ばれて来た。礼拝が行なわれることになった。預言者ムハンマドは尋ねられた。

「この人には借金がありますか?」その場にいた者たちは

「はい、アッラーの使徒よ、たくさんあります」と答えた。すると預言者は

「あなた方で友達の葬儀礼拝をしてやりなさい。私は借金を遺した者の葬儀礼拝をすることができない」と言われた。

しかしこれは預言者ムハンマドにとっても、辛いことであった。この後に、先に述べた節がくだされたのである。その後預言者は、財政的に借金を返済できる状態になった時には「彼の主は私です。彼から受け取るべき金がある者は私のところに来なさい」と言われたのだった[14]。

現世と来世において、アッラーの使徒は、信者たちにとって彼ら自身よりも近いという特性によって一つの恵みであられる。それは永遠に続くであろうものである。

預言者ムハンマドは偽信者たちにとっても一つの恵みであられた。偽信者たちはこの大きな恵みのお陰で、この世では罰を受けなかった。彼らはモスクへ来て、ムスリムたちの間にいて、ムスリムたちが恩恵を受けた全ての権利から彼らも恩恵を受けた。預言者ムハンマドは、彼らを覆う覆いを破り捨てられなかったのである。彼らの多くの内面を、預言者はご存知だった。それらをフザイファに語られてもいた[15]。伝承によれば、聖ウマルはそのためフザイファを追って、彼が葬儀の礼拝をしなかった場合はウマルもそれをしなかったという[16]。

彼らは常にムスリムたちと共にいた。そのため、絶対的な否定が少なくとも疑いやためらいに変わっていった。このようにして、この世における彼らの快楽もまずくなってしまうことはなかった。なぜなら、無に帰してしまうことを信じる者がこの世から喜びを得ることは不可能であるからである。しかし「もしかしたらあの世はあるのかもしれない」という程度に、否定が疑いに包み込まれていくと、おそらくは、人生がまずくなってしまうこともなかっただろう。この点からも、預言者ムハンマドは偽信者たちに対しても一定の形で恵みであられたのだ。

不信心者たちもアッラーの使徒の恵みから恩恵を受けた。なぜなら、アッラーは、それ以前には民族や部族を否定や反抗といった理由から根こそぎ滅亡させられていたのに対して、預言者が遣わされた以後はそれをなさらなくなったからである。それによって人々はこの形での罰を受けることから救われたのである。これも、不信心者たちにとっては、この世において重要な恵みである。

この点に関してアッラーは、その使徒に次のように語っておられる。「だがアッラーは、あなたが彼らの中にいる間、懲罰を彼らにくだされなかった。また彼らが御赦しを請うている間は、処罰されなかった」(戦利品章8/33)

そう、預言者ムハンマドへの敬意として、アッラーは根こそぎ破滅させられることをなさらなかったのである。聖イーサー(イエス、メシア)は「あなたがたとえ彼らを罰せられても、誠に彼らはあなたのしもべです」(食卓章5/118)と言っているのに対して、預言者ムハンマドの、アッラーにとっての価値、貴重さを見てほしい。アッラーはそのお方に「あなたが彼らの間にいる間、アッラーは彼らに懲罰を与えられない」とおっしゃられているのである。すなわち、あなたが彼らの心で生きている限り、アッラーは彼らに懲罰を与えられない。あなたがこの地上で思い起こされ、語れている限り。人々があなたの道を行き続ける限り、彼らを破滅させられることはないであろう。

不信心者が預言者ムハンマドから受けた恩恵の一つは、このお方が次のように語っていることである。

「私は恵みとして遣わされた。呪いをかける者としてではない」[17]

預言者ムハンマドは全ての人のために、アッラーからの恵みとしてやって来た。人々に災いや災難をもたらすために、呪いの願掛けをする者として遣わされたのではない。だからこそそのお方はイスラームの最大の敵に対しても庇護を求められ、そのために努力されたのである。

預言者がもたらした光から天使ジブリールでさえも恩恵を受けた。ある時預言者ムハンマドはジブリールに尋ねられた。

「あなたにとっても、聖クルアーンは恵みでしたか?」ジブリールは答えた。

「はい、アッラーの使徒よ。私は自分の結果に確信を得てはいませんでした。『かれ(ジブリール)は信頼できる』という節がくだされて、私もやっと確信できたのです」[18]

さらに、別のハディースで預言者はこのように言われている。

「私はムハンマドです。私はアハマド(感謝する者)です。私は最後の預言者です。私は〔ハーシル〕です(私の後に審判の日が訪れ、誰もその間には入らないでしょう、アッラーは人々を私の前で蘇らせられるでしょう。)私は悔悟と恵みの預言者です」[19]

悔悟の扉は最後の審判の時まで開かれている。なぜならアッラーの使徒は悔悟の預言者であられ、その価値も審判の日まで続くからである。

預言者ムハンマドは地面で泣いている子供を見れば座りこまれ、共に泣かれる。悲しんでいる母の痛みを心で感じられる。アブー・フライラの伝える預言者のお言葉がある。

「私は礼拝をしていた。私はそれを長く行いたいと思っていた。その時、一人の子供が泣いているのを聞いた。その母親がそれに対して感じる焦りを知ってたので、私は礼拝をすばやく行い、すぐに終えた」[20]

アッラーの使徒は、礼拝を長く行なわれるのが普通だった。特に、義務ではない礼拝は、教友たちの力を超えるほどであった。今、預言者ムハンマドはそのような礼拝を行なう意志を持って礼拝を始められた。そして礼拝の最中に子供が泣いているのを聞かれて、すぐに礼拝の速度を速められた。というのは、当時、女性たちは預言者の後ろで礼拝するために、集団に加わっていたのである。預言者は、泣いている子供の母親が礼拝所にいるかもしれないという考えから、礼拝を速められ、そうすることによって母親を楽にされたのである。このお方はどのような点においても、このように憐れみ深い方であられた。子供が泣いていることは彼を悲しませるのであった。しかし、預言者ムハンマドはこれほど憐れみ深い方であると同時に、均衡を守られていた。

例えば、彼のこの気が遠くなるほどの憐れみ深さは、教えの規則を適用することに妨げになることはなかった。罰がどういう形で与えられることになっていたとしても、必ずそれを実行されたのだ。

教友の一人、マーイズが、預言者ムハンマドのところにやって来て、

「アッラーの使徒よ、私を清めてください」と言った。預言者は彼に背を向けられ、「帰って、悔悟しなさい」と言われた。ただ、マーイズは繰り返し訴えた。自らが清められることをどうしても望んでいた。彼がその言葉を四回繰り返した時、預言者は尋ねられた。「あなたを、何の罪から清めましょうか?」マーイズは言った。「姦通の罪からです、アッラーの使徒よ」

マーイズは結婚していた。そのため、彼の姦通の罪の罰は死刑であった。預言者ムハンマドは、審判の日まで警告として残るであろうこの光景をそこにいた者たちの記憶に留めようと望まれているかのように、そばにいる者たちに尋ねられた。「彼には狂気はあるか?」、「いいえ」彼らは答えた。「マーイズは理性を持った人です」。アッラーの使徒は再び尋ねられた。「彼は酔っ払っているか?」彼らは点検し、答えた。「いいえ、酔っ払ってはいません」

それで、アッラーの使徒はそばにいた者に命じられた。「彼に教えの規則を適用しなさい...」

マーイズは広場に連れて行かれ、そこで石打ちの刑にされることになっていた。そこで彼は痛みに耐えられず、逃げようとした。しかし、一人が追いつき、手にもっていた骨片で頭を殴りつけ、マーイズは死体となって地に倒れた。少ししてこの様子がアッラーの使徒に伝えられると、このお方は思わず泣き出された。「彼を放してやればよかった。もしかしたら、もうああいうことはしなかったかもしれない」。ちょうどその時、一人の教友がマーイズについて「秘密にしていた悪事がばれて犬のように死んだ」と言った。それを聞いた預言者ムハンマドは眉をしかめられ、

「あなたはあなた方の友の陰口を言ったのだ。私はアッラーに誓うが、マーイズは非常に悔やんでいた。彼の悔悟をこの地上全ての罪人に配ったとしても十分なほどだった」と言われたのである[21]。

このような出来事にも関わらず、預言者はやはり均衡を守られる方であられた。もし、マーイズが再び蘇って同じ罪を犯してそのお方の元に現れたとしたら、そのお方はは少しもためらわず、アッラーの法を適用されたであろう。

ベニ・ムッカリン族のうちの一人が、召使いを殴った。召使いの女性は、泣きながらアッラーの使徒の元へやって来た。預言者は、この召使いの主人を呼ばれた。「あなたは彼女を不適切な形で殴ったのです。彼女を自由にするか、そのまま行かせるか、しなさい」[22]。そう、この不適切な殴打の応報があの世に残された場合は、そこでの殴打はもっと恐ろしいものになるのである。だから、殴打に相当するものは解放であるべきで、それが地獄の罰からに対する補償金となるのである。[23]

子供たちに対しての憐れみ深さ

預言者ムハンマドの自らの子供たちに対する憐れみ深さはまた別のものであった。何度も息子イブラーヒーム(幼いころ亡くなった)の乳母の家族を訪問し、彼を胸に抱き、長いこと彼をかわいがられるのであった。[24]

アクラ・ビン・ハービスは、アッラーの使徒が聖ハサンとフセインをその胸に抱かれてかわいがっておられるのを見て、「私には十人の子がいますが、まだどの子にもキスしたことはありません」と言った。アッラーの使徒は次のように答えられた。

「憐れみ深くない者には、憐れみは向けられません。」[25] 別の伝承によれば、答えは次のようであった。

「アッラーがあなたの心から、憐れみの情を取り上げてしまわれたのであれば、私に何ができるでしょうか」[26]別のハディースでは次のように言われた。

「あなたは地にある者を憐れみなさい。そうすれば、天にあられるお方もあなた方を憐れまれるでしょう」と言われた[27]。

孤児を保護する者に与えられた地位も、このお方がいかに情け深い方であるかを示してはいないだろうか? 見てほしい、預言者ムハンマドは何と言われているだろうか。「私と、孤児を保護する人とは、天国においてこういう関係です」と言われ、指を握り締められ、とても近い関係であることを示された[28]。あたかも、孤児を保護する者たちと、預言者との間には誰も入れない、と言われているようであった。

友人たちに対しての憐れみ深さ

預言者ムハンマドは、親戚たちに対してそうであったように、親しい、あるいはそれほど親しくはない友人たちに対しても、愛情と恵みの感情を溢れるほどもっておられた。

妻アーイシャによって次のように説明されている。

サアド・ビン・ウバーデが病を得た。アッラーの使徒は、約束に忠実なこの親友を見舞われた。幾人かの教友たちも一緒だった。サアド・ビン・ウバーデの悲しみに沈んだ様子に預言者は心を痛められ、すすり泣きをはじめられ、ついには泣き出された。預言者が泣かれたことは、そこにいた他の者たちをも泣かせた。

この出来事が他の意味に採られたりすることがないようにと預言者は「アッラーは決して涙を流すことや心の悲しみに対して罰を与えられない。ただ、これに対して罰を与えられる」と彼は舌を示された。[29]

そう、アッラーは涙に対して罰を与えられることはない。逆に、涙のために罰が免除されることもある。預言者は別のハディースでも、次のように述べられている。「地獄の火が害を与えることのない、二つの目がある。アッラーへの畏れに泣く(人の)目と、夜アッラーの道において交代で見張りに立つ者の目である」[30]

この二つの目のうち、一つは畏れ、もう一つはムスリムとしての務めに関するものである。夜、修道士のように自らを礼拝行為に捧げ、涙を流す者、昼間はそれぞれが獅子のように、不信心者たちに対して立ち向かい、奮闘する者の目。つまり、真のムスリムの目である。そもそも教友たちについてはそのように語られている。彼らは夜は修道士のように宗教行為を行い、昼間はそれぞれが獅子のように、四方八方へと任務を果たしに出かけるのであった。

ウスマーン・ビン・マズウンが死んだ際も、預言者は駆けつけられた。彼は預言者が兄弟と見なされていた幸運な教友であった。死体の上で預言者は激しく泣かれ、涙を流された。その死体はあたかも預言者の涙で洗われたようになったほどだった。ちょうどその時、彼の妻の一人が、ウスマーン・ビン・マズウンについて「鳥になって、天国へ飛んで行ってしまった」と言った。預言者は即眉をひそめられ「私はアッラーの使徒ですが、それでも彼が天国に行ったかどうかはわかりません。あなたにどうしてわかったのですか」と言われた[31]。

このように、このお方はバランスを守られる方だった。預言者の情け深さ、涙は、過ちを訂正することの妨げにはならなかったのである。御自分が泣きながら「弟よ」と言って抱きしめた人にすがりつき、涙で死体を洗っているような時も、お耳にした誇張的で不適切な表現を言った人に注意することへの妨げにならなかった。友人としての誠実さと、真実はまた別の問題である。預言者ムハンマドはウフドの戦いの殉死者の墓を毎週訪問されていたが「天国に飛んで行ってしまった[32]」とは言われなかったのである。我々が「彼らでさえ天国に行けないのであれば...」と言ったところで、これは真実なのである。

動物に対しての憐れみ深さ

預言者ムハンマドの憐れみ深さは、動物をも対象としていた。先に、一人の女性が猫のために地獄へ落ちたこと、不道徳なある女性が犬に水を飲ませたことによって天国へ入ったこと、を述べた。別のあるハディースについても触れて、この話題を締めくくろう。

戦いからの帰り、休息の時に、何人かの教友たちが鳥の巣を見つけ、中にいたヒナを出してかわいがり始めた。そこへ母鳥が戻って来て、ヒナたちが彼らの手の内にあるのを見て、騒ぎ始めた。預言者はこれを知って腹を立てられ、すぐにヒナたちを巣に戻すように命じられた。[33]

そのお方の恵みは、動物たちさえも包括するものであった。そもそもアッラーは、以前の預言者の一人を、蟻の巣のために承認されなかったのではなかっただろうか? この預言者は、気が付かない内に、あるいは気が付いて行ながらも、蟻を焼き殺してしまった。そのことによって、アッラーから叱責を受けたのだった[34]。

このような例を我々に語っておられるアッラーの使徒が、違った形で振る舞うことは可能だろうか? 後にそのお方の共同体から「蟻さえも踏まない人」と呼ばれる人材が育つことになるのである。彼らは足に鈴をつけ、その姿で道を行く。虫たちがその音を聞いて遠ざかるように、踏まれて潰されるようなことのないように、と。アッラーよ、これは何と深く、何と普遍的な情け深さ、憐れみ深さの例であろうか。彼の恵みからは、蟻でさえ除外されていないのである。蟻でさえ潰さないこの人々が、他人を迫害することなどあり得ようか? あり得ない。知りながら、故意に、権利の侵害をすることは不可能である。

ミナに滞在されていた時に、石の間から一匹の蛇が現れた。教友たちはすぐに蛇に飛びかかったが、蛇は逃げることができた。これを遠くから見ておられた預言は「蛇はあなた方の、あなた方も蛇の災いから救われたのです」[35]と言われた。ここでアッラーの使徒は、教友たちがやろうとしていたことに対しても災いと言われている。なぜなら、殺されるのが蛇であろうとも、世界の秩序において占めていた地位があるのである。このような、バランスを欠く死は、環境バランスを破壊し、修復困難な不都合さをもたらすものである。そもそも農業という名目で害虫を惜しげもなく殺し、全滅させることは、環境の均衡という観念からは凶悪犯罪と言えるものである。今日この種の犯罪が知識、学問という名目の下行なわれていることは、さらに奇妙なことである。

イブン・アッバースか伝えている。「アッラーの預言者と共に出かけるところであった。誰かが、屠殺する目的で羊をつないでいた。羊の目の前で刀が研がれていた。預言者はその人に『この羊を何度も殺すことを望んでいるのですか?』[36]と言われた。これは、ある意味、その人に対する警告であった。」

アブドゥッラー・ビン・ジャフェルが伝えている。「預言者は、何人かの教友たちと共に、ある庭に入られた。庭の片隅に、驚くほど痩せこけたラクダがいた。ラクダはアッラーの使徒を見て、大粒の涙を流し始めた。預言者はすぐにラクダのそばに行かれ、しばらくそのそばにおられた。それから、ラクダの持ち主を呼んで来させ、ラクダの世話について努力するよう厳しく警告された」[37]

今日のヒューマニストたちが主張する愛情や情けをはるかに超越する憐れみの感情に満たされたアッラーの使徒は、この普遍的な恵みを行き過ぎや不足から守られた。全てを網羅するその預言者としての知性のお陰で、このお方は決して、行き過ぎや不足といったことはなさらなかったのである。

預言者ムハンマドは寛容な方であられたが、決して、悪事に対して寛容の目を向けられることはなかった。悪や罪には余地を残されなかった。残忍な者に対して情けとして示される寛容が、多くの無実の人の権利を迫害するものとなることをご存知であられた。残念なことだが、今日におけるこの種の不正はどの時代と比べても多いのである。無政府主義者や過去の敵たちに示された寛容さが、我々の国土をどんな風にしてしまったか、我々は近代史において悲しみのうちに目撃して来た。そして、いまだに見ているのである。愛情や情けがバランスよく用いられなかった場合、個人にとっても、社会にとっても、取り返しのつかない結果をもたらし得る。しかし預言者においては、このような例を見出すことは不可能である。

預言者ムハンマドの忍耐

預言者ムハンマドは、その忍耐と、預言者としての知性を、的確な形で共に使われた。それによって、超えられないと思われたいくつもの山頂が踏破され、氷山のようないくつもの頑なな心、氷のような魂が、この忍耐の太陽の前に溶かされ、庇護に入ったのである。アブー・スフヤーンやイクリマやまだまだ多くの人々...。もし預言者にこれほどの忍耐や耐久力がなかったとしたら、このような人々がイスラームの庇護に入ることなどできたであろうか?

預言者ムハンマドは自らを傷つけてしまうほど、人々を愛されていた。聖クルアーンが、そのお方を楽にさせようとしていることが、その証拠である。聖クルアーンではこのお方に「もし彼らがこの消息(クルアーン)を信じないならば、おそらくあなたは彼らの所行のために苦悩して、自分の身を滅ぼすであろう」(洞窟章18/6)と呼びかけているのである。預言者としての空気が自身を包み込み始めると、そのお方は自らを洞窟に閉じ込めたのだった。神意も最初にその地でそのお方にくだされたのだ。預言者ムハンマドは人を愛され、そしてこの道に入られたのである。

本来、預言者における聖戦の概念も、そのお方の恵み深さを源とするものである。人は聖戦のため、この世的にはいくらかの害を被るかもしれない。しかし、永遠の命という観点からは非常に多くのものを獲得し、彼らが被った害などは無に帰してしまう。アッラーの使徒は、構えられたその剣の切っ先で、天国へ続く道を開かれておられたのだ。これも、そのお方のこの世界に対する恵みを構成する別の面である。

預言者ムハンマドは全世界に恵みとして遣わされた方であられた。その恵みの均衡のよさは、預言者としての知性のまた別の証拠であろう。

 



[1] Qadi 'Iyad, Ash-Shifa 1/17
[2] Samarkandi, Tanbih al-Gafilin (翻訳) 1/94
[3] Bukhari, al-Anbiya' 54; Muslim, Salam 153
[4] Bukhari, Musakat 9; Ibn Hanbal, Musnad 2/507
[5] Bukhari, Maghazi 23
[6] Ibn Hisham, Sirah 3/103
[7] Bukhari, Maghazi 24; Muslim Jihad 100; Ibn Hisham, Sirah 3/84
[8] Bukhari, al-Anbiya' 54; Muslim, Jihad 104,105; Ibn Hanbal, Musnad 1/380
[9] Ibn Hisham, Sirah 4/55; Ibn Kathir al-Bidayah 4/344
[10] Muslim, Jihad 83; Ibn Hisham, Sirah 2/266; Ibn Kathir, al-Bidayah 3/322
[11] Ibn Kathir, al-Bidayah 3/332;
[12] Muslim, Jihad 58; Ibn Kathir, al-Bidayah 3/332; Ibn Hanbal, Musnad 1/32; Ibn Hisham, Sirah 2/279
[13] Muslim, Faraidun 14
[14] Muslim, Faraidun 14; Bukhari, Istikraz 11; Ibn Hanbal, Musnad 3/311
[15] Bukhari, Fada'il al-Ashab, 20; Ibn Esir, Usdu'l-Gabe 1/468
[16] Ibn Esir, Usdu'l-Gabe 1/468
[17] Muslim, Birr 87
[18] Qadi 'Iyad, Ash-Shifa 1/17
[19] Ibn Hanbal, Musnad 4/395; Muslim, Fada'il al-Sahabah 126
[20] Bukhari, Azan 65; Muslim, Salah 192
[21] Muslim, Hudud, 17,18,19,20,22,23; Bukhari, Hudud 28; Ibn Hanbal, Musnad 1/238, 2/450; Ibn Maja, Hudud 9
[22] Muslim, Eyman 31,33; Ibn Hanbal, Musnad 3/447
[23] Muslim, Eyman 30
[24] Bukhari, Fada'il al-Ashab 63
[25] Bukhari, Adab 18
[26] Bukhari, Adab 18; Muslim, Fada'il al-Sahabah64; Ibn Maja, Adab 3; Ibn Hanbal, Musnad 6/56
[27] Tirmidhi, Birr 16
[28] Bukhari, Talaq 25; Adab 24; Muslim, Zuhd 42
[29] Bukhari, Jana'iz 45; Muslim, Jana'iz 12
[30] Tirmidhi, Fada'il al-Jihad 12
[31] Bukhari, Jana'iz 3; Ibn Maja, Jana'iz 7 ; Ibn Hanbal, Musnad 2/335
[32] Bukhari, Maghazi 27; Muslim, Fada'il al-Sahabah 30; Nasa'i, Jana'iz 103; Ibn Sa'd, Tabaqat 2/205; Ibn Hisham, Sirah 4/300
[33] Abu Dawud, Adab 164, Jihad 112; Ibn Hanbal, Musnad 1/404
[34] Bukhari, Jihad 153; Muslim, Salam 147
[35] Nasa'i, Hajj 114; Ibn Hanbal, Musnad 1/385
[36] Hakim Mustadrak 4/231, 233
[37] Suyuti, al-Hasaisu'l-Kubra 2/95; Haithami, Majma' al-Zawa'id 9/9

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