預言者ムハンマドの優しい人柄

ここまでの部分で、預言者が、アッラーの慈悲と慈愛を最も輝かしく映す存在であられることを示そうと努めて来た。預言者ムハンマドの慈悲と慈愛においてどれほどの均衡が保たれていたかということや、それが預言者としての知性によっていかに行使されたか、ということを、その価値をそのまま伝えることはできなかったとしても、できる限りのことはしようと努めたつもりである。

この章でも、預言者の慈悲や慈愛と関わりのある、またそれらの別の一面と見なすこともできる、預言者の優しい性格を紹介していきたいと思う。

優しい性格は、アッラーの使徒に与えられた金の鍵の一つである。預言者はこの鍵を用いて多くの心を開かれ、そこに影響を与えられたのである。もしこのお方のこのような性格がなかったとしたら、多くの未消化の心は厳しさに直面し、イスラームを標的と見なしたり、一時の感情によってこのお方から遠ざかってしまったりしていてしまったことだろう。しかし、預言者の優しい性格のお陰で、これらは防がれたのである。皆イスラームに駆け寄り、その庇護に入ったのである。これはアッラーが、その愛される者に与えられた最も素晴らしい特性の一つである。そしてその恵みを伝えさせられたのである。この点に関する聖クルアーンの一節でアッラーは預言者ムハンマドに次のようにおっしゃっておられる。

「あなたが彼らを優しくしたのは、アッラーの御恵みであった。あなたがもしも薄情で心が荒々しかったならば、彼らはあなたの周囲から離れ去ったであろう。だから彼ら(の過失)を許し、彼らのために(アッラーの)御赦しを請いなさい。そして諸事にわたり、彼らと相談しなさい。いったん決まったならば、アッラーを信頼しなさい。本当にアッラーは信頼する者を愛でられる」(イムラーン家章3/159)

この節からもわかるように、この優しさはお恵みからもたらされるものである。もし預言者が薄情で心が荒々しい人であったならば(そうではないが)周囲の者は皆、離れ去ったことであろう。アッラーの大きなお恵みが、預言者ムハンマドに優しい性格を授けられたのである。アッラーは預言者の土台を完全なものとされ、その内面をも優しいものとされた。だから、このお方に触れる手は決して痛むことはなく、彼らは、刺を予想していたところにバラを見出したのである。預言者がその心の中に入って行かれ、影響を与えられた人々が、預言者から痛みを受ける訳もないのである。

この節は、ウフドの戦いに関してくだされたものである。預言者ムハンマドが、戦いについての戦略や技法を細部にわたって指示されたのにも関らず、一部の者において、命令に従う上での注意深さの不足や、守っている地点を命令もないうちに放棄したりすることが見られ、ムスリム軍の一時的な敗北という結果を生んだのである。結果を考えるなら、これを完全な敗北とは言うべきではないかもしれないが、完全な勝利でないことも確かである。

預言者ムハンマドが殺されたという噂は、ムスリムたちの多くをパニックに陥れた。しかし、アナス・ビン・ナドゥルのように考えた者もいたのである。すなわち、皆に「預言者が亡くなったのになぜ留まっているのですか[1]」と怒鳴り、敵と戦ってアッラーの道に命を捧げたのであった。そもそも彼らが進むべき道もこれだったのだ。預言者の道を進んで、魂を捧げるべきだったのである。もし、預言者の命令に従って行動していたなら、もしかすると成功をつかみ、勝利を得ていたかもしれない。しかし、ほんの些細な不服従が、結果をいかに大きく変え、何と恐ろしい状況をもたらしてしまったことだろう。

ここで少し考えてみてほしい。もし、この軍のリーダーが預言者ムハンマドではなく他の人であったなら、命令を聞かない者、命令に対抗する者に対してどのような行動を取ったであろうか。彼らに対して、何事もなかったかのように振る舞うことができたであろうか。しかも、もし預言者ムハンマドが、彼らにとって物質的かつ精神的リーダーであった場合...。彼らは正しいことは全てそのリーダーから学んで来た。リーダーの行為が正しいと言うことを何度となく目撃してきたはずの者たちである。そのリーダーが初めから彼らに対して、自分の守る地点を離れないようにと何度も注意していたのだ。結果、その言葉を聞かなかったことの罰を厳しい形で受けることになったのである。何十人もの殉死者を出したばかりでなく、怪我をしていない者は誰もいないと言った有り様であった。事実、預言者御自身も、その頭に傷を受け、歯も折れ、体が傷だらけになったのであった。もし、預言者ムハンマドでなく他の誰かがこの軍のリーダーであったなら、少なくとも苛立ちを顔に見せるとか「私はあなた方にこういう風にしなさいとは言わなかったですか」と言ったような、過去を咎める意味あいの言葉や行為が見られたに違いない。細心の注意を要求するこの点において、聖クルアーンは、預言者ムハンマドの心に浮かぶ可能性のある考えへの栓を形成し、先に述べた節をもってこのお方に呼びかけをしているのである。

これは非常に重要な瞬間であり、細心の注意を要する状況である。リーダーから示されるほんの些細な振る舞い、小さな行為でさえ、その心理的な雰囲気においては普通の時以上に大きな影響を与え得るのである。彼らを傷つけ、怒らせる、どんなに小さな振る舞いさえも避けなければならないというこの状況において、聖クルアーンはアッラーの使徒に対して「もし彼らに対して薄情で心が荒々しかったならば(絶対あなたはそうではないが、)彼らはあなたの周囲から離れ去ったであろう」(イムラーン家章3/159)と呼びかけられたのである。実際において、教友たちは以前と態度を全く変化させず、預言者ムハンマドの周りでプロペラのように回り続けたのである。

このお方の品性は聖クルアーンであった[2]。そもそも聖クルアーンが我々に示しているのは、この神性の品性である。人々は常にアッラーに対抗し、抵抗しているのにも関わらず、彼らには豊かな恵みが与えられている。彼らがアッラーには息子や配偶者がいるなどと言い出したり、その他数知れない中傷を言っているのにも関わらず、アッラーはその慈悲のお心をもって、彼らに各種の恵みを与えられておられるのである。太陽は日々そのぬくもりと光によって、雲はその涙である雨でもって、常に人を助ける。そして、地はいつでも、彼らに様々な植物や果物を与える。人間はと言えば、これら全ての恵みに対して、想像もつかないほどの恩知らずの態度を示しているのである。

このように人は、彼ら自身に与えられているこれほどの恵みに対して、その何百分の一に相当する程度にさえ、感謝したり、恩を感じたりしないのである。しかし、慈愛あまねくアッラーは、彼らをすぐに罰せられることはない。過ちが行なわれたからといって神聖な公正さを変えられることもない。常に恵みを与えられ続けるのだ。

預言者ムハンマドも、アッラーのこの御名によって名誉を与えられ、この品性によって品性を与えられ、そのためアッラーの特質や御名の鏡であられるのである。聖クルアーンも、彼に「信者に対し優しく、また情け深い」(悔悟章9/128)と言っているのである。

ただ預言者ムハンマドのみではなく、その前の世代の聖イブラーヒームも、その名が語られる際は常に心優しい者として語られるのである。預言者イブラーヒームについて聖クルアーンは次のように述べている。「本当にイブラーヒームは、辛抱強く、心の優しい、悔悟して(主に)返った者である」(フード章11/75)

預言者イブラーヒームは、非常に高い段階に到達した、心の優しい人だった。自らを炎の中に投げ込んだ人々のためにさえ、彼らに災いが起こるのではと心配して震えていたのだ。彼は朝まで嘆き悲しみ、悔悟する者であった。常に新たな別の存在となって蘇るかのように、興奮に満ちた心でアッラーの扉で悔悟して泣き、その悲しみに我を忘れるのであった。

アッラーの使徒は、御自身を常に聖イブラーヒームに似せられていた[3]。その優しい性格においても、預言者ムハンマドは祖先のイブラーヒームに似ておられたのであった。

アッラーの道を行く全ての友たちにとっても、優しい心はとても重要な基本である。人は、自らを憎悪や嫌悪の内に待ち受ける人々に対してさえも、優しい心で接しなければならない。アッラーの友であるハッジャージュ(858~919年)は、その手や腕を切った者に対してもそれを許したのである。この世紀に血の海の中で苦しんだサイド・ヌルシーは、自らを非情にもある地から別の地へ流罪とし、何回も刑務所に収容し連れまわした者に対して、呪いの祈りをするどころか、彼らの信仰が救われるようにと善行のお祈りをするのである。そうして、優しい性格というものががいかに段階の高いものであるかを彼らに示すのである。後から来る者たちも、この優しい性格に秘められた力を理解できればどれほどいいだろうか。

ここでまたイブラーヒームに戻ろう。敵たちは彼を炎の中に投げ込み、アッラーも炎に命じられ「火よ、イブラーヒームに対して、熱くも冷たくもなく、その二つの間であれ」と言われていた(「火よ、冷たくなれ、イブラーヒームの上に平安あれ」(預言者章21/69))。なぜなら、イブラーヒームは先に、世界に対し自らの心をそのように整えたのだった。激しく怒ることもなければ、冷たく振る舞うこともなかった。アッラーからも、同じ形の振る舞いを受けたのだ。イブラーヒームが、アッラーの品性によって品性を身に付けていくのに、アッラーが別の形で振る舞われることがあり得るだろうか? 絶対にあり得ない。平安(サラーム)というのはアッラー御自身の御名であるのだから。そして、火でさえイブラーヒームに対して平安となるのであった。

聖イブラーヒームが始められたこの品性は、預言者ムハンマドによって頂点に高められた。敵たちを倒し、全ての可能性を掌中にされた時代においてさえも、アッラーの使徒は人間性から毛ほどの距離すら離れなかった。このお方が罪に罰を与えた場合、対抗する者があっただろうか? なかった。聖ウマルのような、何百人もの人が、預言者の目の中を読み取ろうとし、預言者を悲しませる出来事に対しては獅子のように金切り声を上げ、このお方を苦しませる人物の首を飛ばすために許可を求めたのだ。しかし預言者ムハンマドは、いつでも彼らを静め、優しい心を勧められたのであった。

預言者ムハンマドは非情に繊細な心の持ち主であられた。目の前にいる人の、失礼で下品な振る舞いには非情に心を悩まされた。しかし、このお方はそういった振る舞いを自らの優しい性格という海に投げ込まれ、溶かされ、彼らの態度に関わらず、やはり穏やかに振る舞われたのである。預言者ムハンマドの感情世界はそれ程に広いものであった。

このお方は病気やその他の苦痛などにおいて、我々が感じるものの何倍もの痛みを感じておられた。病気になられたある時、アブドゥッラー・ビン・マスウードはこのお方に「預言者よ、かまどのように燃えているみたいです[4]」と言ったほどであった。

そう、アッラーの使徒の神経の仕組みは非常に発達しており、そのお方の指に刺が刺さっただけでも、他の者に槍が刺さった時の何倍もの痛みを感じられたのである。この繊細さは、その任務において必要な感受性を持つために与えられたのかもしれない。それがどうであれ、これほど感受性の強い方が、周囲の者の下品な振る舞いから受けた苦痛はやはり相当に大きいものだったのではないかと私は思う。もし他の者が、このお方と同じくらい感受性が強かった場合には、毎日周囲をめちゃくちゃにし、いる場所で嵐を呼んでいたことであろう。しかし、アッラーの使徒は決してそのようなことはされなかった。なぜならそのお方は優しい性格の人であったからである。

同時にその優しい心は、バランスが取れたものでもあった。預言者ムハンマドは不信心者の憎悪に対して苦しみ、泣かれた。一人の人をイスラームの庇護に導くためにできる限りの力を尽くされた。しかし、罰や刑法が適用されるような事態においては、絶対に容赦されなかった。誰であれ罰を適用された。しかし、このお方が罰を与えられた罪のほとんど全ては、御自身に対してなされた罪ではなかった。逆に、御自身に対してなされた罪に対しては、許されないことがないというほどであった。

教えを生きる上でも、預言者ムハンマドはこのようであられた。御自身には最も重いものを選ばれ、他の者にはより軽いものを与えられたのであった。さらに、共同体のメンバーにとって困難とならないよう、また義務であるかのように見なされることのないよう、スンナ(預言者の慣行)の礼拝をいつも家で、一人だけで行なわれるのであった。そのお方の行なわれたナーフィラ(義務ではなく希望による)の礼拝の長さに耐えられる者は他にいなかったのである。時には断食を二日間続けて実行された。このお方はこの重い、御自身のみが実行できることを、常に一人だけで行なわれた。

そもそもアッラーは、このお方の過去の全ての罪を許されたのであり、このことの意味は、次のようであるに違いない。アッラーは、罪に陥る可能性を初めから消されたのであり、また御自身も、ミーラージュ(昇天)に関するあるハディースで、精神的な手術を受けたことを伝えておられる[5]。その時、天使たちが彼の心から切り取って捨てたあるかけらについて述べておられ、それは自己に関わりのある何かである可能性が大きい。アッラーの使徒からは、絶対的に罪であると見なされるような行為は見られなかった。それにも関わらず、日に七十回以上も悔悟をされ、赦しを請われていたのであった。

預言者は謙虚で、自己を牽制でき、物事の計算ができるお方であった。歩みの一歩一歩で、アッラーに対して前の瞬間よりも近づいていくことによって獲得される新たな状況の中、過去を見て悔悟されたのである。つまり、日々このお方は前の日のあり方を悔悟と共に振り返られるのであった。これほどに罪のない人が、人々と共にいることに耐えたという事実だけでも、そのお方の優しい心を示すのに十分だと私には思える。しかしこのお方は同時に、多くの失礼な振る舞いにもさらされ、それらに対してもやはり、その優しい性格で対応されていたのであった。

御自身にされた不遜さに対して

ある時、預言者ムハンマドがその純潔を絶対的に信じている妻アーイシャに対して、泥を塗るようなことが言われた。預言者はがそれが誰であれ信者に眉で合図しさえすれば、多くの偽信者たちの首が飛んだことであろう。皆それを喜んで行なったことであろう。しかしアッラーの使徒は、何日も、刺を飲み込むような思いでその言葉を飲み込まれたのだった。その心は最大限の苦しみを味わわれた。しかし、絶対に何も言われなかった。この状態が、最も尊敬すべき誠実なアーイシャについて聖クルアーンによって荘厳に公布されるまで続いたのであった。全ての教友たちは、預言者の口から出るであろう言葉を待っていたのだった。

時には、預言者ムハンマドの前で不遜な、下品な態度を示したり、そういう振る舞いに出たりする者もいた。このお方が指でほんのちょっとしたしぐさをしさえすれば、百もの剣が一気にその人物の頭上に振り下ろされていたことだろう。しかし預言者はそのような行動に出る者たちに対しても、常に穏やかに接されることを決意されていたのであった。預言者ムハンマドは誰かを怖がらせたりしないようにとても注意を払われていた。剣やナイフを渡す時には、柄の方を差し出すようにされていたほどであった。このような人がなぜ、必要もないのに人の命を情けもなく奪うことができようか。

アブー・サイド・アル・フドリから伝えられている。ズル・フワイシラという名の者が、預言者ムハンマドのところへやって来た。おそらくこの人物はモンゴル人であった。なぜなら、預言者を説明するいくつかの本で、この人物は次のように描写されているのである。すなわち、目は落ち窪み、頬骨がいくらか前に突き出ており、丸顔であった。ちょうど鍛えられた盾を思い起こさせた。アッラーの使徒はその時、財産の分配を行なわれていた。この人物は預言者ムハンマドに対して横柄な態度で次のように言った。「ムハンマドよ、公正にしてくれ」。この言葉が、我々の内の誰かに投げかけられたとしたら、非常な衝撃を受けるに違いない。実際として我々は公正ではないことを行なっているかもしれないのにも関わらずである。しかしここでこの言葉を投げかけられたのは、この世界に公正さをもたらされた預言者であったのだ。

その時、その場にいた聖ウマルはこの不遜な態度に対して一気に腹をたて「私を放してください、この偽信者の首を取ってやります、預言者よ」と言った。預言者ムハンマドは彼や彼のように考える者たちを静めた後、その男に向き直って言われた。「あなたにはお気の毒なことだ。もし私までが公正ではないと言うのなら、他に誰が公正であり得ようか」[6]

別の伝承によると次のようにおっしゃられた。「もし私が公正でなかったなら、もう私は駄目になったということである」[7]

さらに別の伝承によると、それは相手に向けられた形となる。「もし私が公正でなかったら、もうあなたは駄目になったということである」[8]

つまり、私が預言者なのであり、あなたは全てにおいて従わなければならない、もし私が正しい道を行く者でなかったら(絶対にそんなことはないが、)あなたももう駄目と言うことだ。なぜなら、そうであったならあなたも正しい道を行くことはできないからである。

預言者はこのような男にも何もしなかった。もしその頭をわずかにでも動かされていれば、あるいはウマルの提案に一瞬でも黙られていたとしたら、この男が殺されるのは間違いないことだったであろう。しかしアッラーの使徒は、アッラーが命じられたとおりに行動されているのであり、このような無知にこだわられることはなかったのだ。

なぜなら聖クルアーンはこのお方に「無知の者から遠ざかれ」(高壁章7/199)と、彼らにこだわるなと命じている。すなわち、彼らのすることに心を悩ませるな。無知な者はそのように振る舞う。あなたは決して無知な者ではない。だから、彼らがあなたに対して振る舞ったように、あなたが彼らに対抗することはない。あなたは優しい心の持ち主であり、優しい性格の人である。あなたはその性格で彼らの心に影響を与えることができるのである。結果としてそのようになったのであった。アッラーの使徒は、そのやさしい性質のお陰で人々の心に玉座を設けられたのである。

将来において重要な反逆を起こすであろうある部族の特徴を、ズル・フワイシラから読み取ることをお忘れにはならなかったのである。そう、アッラーの使徒は、この一族が将来反乱を起こし、共同体に災いをもたらすであろうことを、アッラーが知らされたことにより、知られていたのである。結果として、まだ聖アリーの時代にそれは実現した。ナフリワーンの地において、アリーに対抗した部族の多くが、その特徴を持つ者だったのである。

アナス・ビン・マーリクは伝えている。ハイバルの制圧後、ある女性が羊肉を炒め、その中に毒を混ぜ、そしてアッラーの使徒を食事に招いた。テーブルについた者のうち、ビシュルという名の教友は、肉を口に入れるや否や死んでしまった。つまりこの女性は非常に効き目の強い毒で預言者を殺そうとしたのである。ただ、この出来事の奇跡的な部分はここではない。アッラーの使徒は肉を口に入れようとされるところだったが、毒があることが分かり肉は片付けられ、女性は取り押さえられ、預言者の前に連れて来られた。そして罪が白状され、預言者を殺す目的でこういうことをしたのだと女性は述べた。

いくつかの伝承によると、女性について次のようなことが語られている。女性は使徒の元に連れて来られ、なぜこんな事をしたのかと尋ねられ、このように答えた。「もしあなたが本当にアッラーが遣わされた預言者なら、この毒はあなたには効き目がないはずだった。もしあなたが預言者でないなら、人々をあなたの災いから救いたかった」

教友たちはすぐにこの女性を殺そうと望んだ。しかし、預言者は、御自身に対する罪は許された。ただ、死んだ教友のビシュルに対する罪については、何も言われなかった。

この女性の結末については二とおりの伝承がある。一つめは、ビシュルの家族によって報復され、殺されたというもの。二つめは、女性が真実を見出しムスリムとなったことから、彼らも女性を許し、ムスリムであることが女性が救われる理由となったというものである[9]。

ここで、我々が注目したいのは、アッラーの使徒の優しい性格と関わりのあるものであり、つまり、預言者は自らを殺そうとしたこのユダヤの女性でさえ許されたという事実である。優しさにおいて頂点に達したということの、何と素晴らしい例であろうか。まさに、イブラーヒームによって始められた優しさの時代は、預言者の王ムハンマドによって頂点を極めたのであった。

アブー・フライラから伝えられている。アッラーの使徒は教友たちと礼拝所で語らっておられた。そしてちょうどその家に戻られようとしているところに、あるベドウィンが彼の服を後ろからつかんで「ムハンマドよ。私に私の取り分を与えよ。私のラクダ二頭にも荷を負わせよ。なぜなら、あなたは自分の財産からも、父の財産からも与えることがない」

これは何と品がなく、無礼な振る舞いであろうか。アッラーの使徒に対してその名前だけで呼びかけることから始まるこの不遜さは、その後の発言によって続けられた。当然教友たちは怒り、特に聖ウマルの声は大きかった。まさに血圧が上昇するように「放してください、こいつの首を切るんです、預言者よ」と言った。しかしアッラーの使徒は、教友たちに対して「この男に、欲しがっている物を与えなさい」と言われ[10]、聖ウマルや教友たちは静められたのであった。

考えてみてほしい。預言者の、人を最も繊細な状態に導く説教の後でのこのような振る舞いは、それを行った者がいかに頑なな心を持ち、どういう性格であるかを理解するのに十分である。預言者の説教は、他の聖人や伝道師のそれとは決して比べものにならないものなのである。そもそもこの下品な言葉、言動からは預言者の説教の心地よい空気を伝えることは不可能である。しかし、誰もが理解できる事実がある。すなわち、預言者はその説教において、自らの存在の雰囲気の上に一つの窓を開け、神からもたらされるものの鏡のようになったその魂と心によって、御自身の周りに座った人々を一瞬の内に、一息のうちに、大きく変化させ頂上へと導かれるということである。短時間であれ、彼のそばに集うことができた人々は、人が到達できる最も選ばれた段階に飛び移ったのである。

預言者ムハンマドの周囲には予想を超える影響空間が存在し、その中に一度入った者はあたかも天使となってそこから出てくるのである。そして、その心には一切の悪は残っていないのである。

その影響力の例

どのような聖人でも教友の段階に到達できない理由の最も重要なものが、この影響力という真実である。これに関して、この世紀のある偉大な人が述べている次のような言葉がある。「私は自分の中で、なぜ偉大な学者イブン・アラービーのような人々が教友の段階に到達できないのか、疑問に感じていた。ある時、礼拝時に、アッラーは私に、教友のようなサジダ(平伏叩頭)をすることを許された。私はその時理解した。教友の段階に達することは不可能であると」

おそらく、この偉大な人物のために、ある窓が開かれ、このサジダが教友のサジダであることが彼に知らされたのである。ただ、ここではこのことの結果が重要なのである。この人は、一ラカート(礼拝の単位)のこのような礼拝のためには全ての宗教行為を差し出してもいいと述べている。しかし私自身、この人物の教え子が、彼のとおりに礼拝をする様子を見て、自分の礼拝を恥ずかしく思ったことがある。預言者の説教を聴いた教友とは、このような存在なのである。我々が一ラカートも実行できないような深さの礼拝を、彼らは常にその集中を維持しつつ、続けたのであった。

なぜなら彼らは、アッラーの使徒から直接学んだのである。その上、その時代に、教えは何もかも新しく、元のままの姿であった。ある日、彼らの耳はアザーン(礼拝の呼びかけ声)を聞き始める。これは、ある期間彼らの興奮や高揚に十分だったはずである。別の日にはまた別の恵みによって、教えの新たな法が、あたかも新鮮な果実のように彼らの前に置かれる。彼らはそれによってまた、力を帯びるのである。

それにも関わらず、こういった状況、雰囲気でも溶けることのない心も存在した。彼らは預言者に対して下品に、不遜に振る舞った。この最も細やかな心を持つお方は、この種の振る舞いには寛容に振る舞われた。その優しい心の海が溶かすことのできない硬さなどはなかったのだ。

預言者ムハンマドは現在や将来を計算され、それによって振る舞われた。もし激しさを見せられていたとしたら、聖クルアーンの言葉を借りるなら周囲の者は皆逃げ去ったことであろう。このお方は人々を傷つけ倒すためではなく、また集団をばらばらにするためでもなく、全ての人を現世と来世における幸福に導くために来られたのだ。人類は、預言者ムハンマドが示された道で永遠の命を手にするのである。だからそのお方の目的には永遠があった。このお方はその振る舞いを、このような時間を超越する概念によって決められていたのであった。

ハーリドは、ウフドの戦いにおいてムスリムたちに大きな害を与えた人物であった。しかし預言者ムハンマドの元にやって来て服従を示した時には預言者から驚くような振る舞いを受けた。それで彼は次の日には自分を預言者の一部分のように感じていたのだった。さらには、その時期、最初の戦いに連れて行ってもらえなかったことが彼にはとてもつらく、朝まで声を出して泣いたのだった。このことも、彼が預言者ムハンマドと共になることによって短期間にどれほどの段階を獲得したかを示す上でとても意味深いものである。

教友たちの内、アムル・ビン・アスとイクリマは、以前は二人ともアッラーの使徒に対して非常に悪い事をしていた。アッラーの使徒の優しい性格は彼らを溶かし、彼らは二人とも、イスラームへの憎悪に対するイスラームの剣のようになったのだ。もし彼らが、将来これほどの段階に達することが考慮されることが無かったとしたら、この人々を教友たちの中に見出すことは全くあり得なかったであろう。

イブン・ヒシャムのことはよく知られている。アブー・ジャヒルの弟であり、イクリマの義父にあたるこの人物は、預言者ムハンマドが亡くなる直前にムスリムになった。ムスリムになる以前は、常にイスラームへの憎悪の側にあり、しかも前線で任務についていたイブン・ヒシャムは、イスラームに入ってからはさらに前線に位置していたのだった。最後には、イェルムークの戦いにおいて切り刻まれた肉のようになって殉死し、神へと歩いていったのだ。最期を迎える時、フザイファトゥル・アデウィが彼に水を飲ませようと水筒をその口元に近づけた瞬間、少し先で別の声がした。その弱々しい声は水を求めていた。イブン・ヒシャムは即座に水筒を押しやり、しぐさでその水をその声の主に与えるよう訴えた。この二番めの人物も、まさにその口に水筒が運ばれる瞬間にまた別の声が「水を」と訴えているのを聞き、そちらに水を持っていくようしぐさで訴えた。彼に水を持っていくまでの間に、その人は死んでしまった。戻って前の者に水を、と言っている間に、結局三人とも一口の水さえ飲むことができないまま、亡くなったのであった[11]。

自分より他の人を優先する精神は、アッラーの使徒の素晴らしい特性である。そして教友たちも、預言者の影響によってこの偉大な精神を発達させていたのだ。預言者は、他人に命を与えるために生き、驚くほどの自己犠牲を示された。預言者がそうであるように、教友たちもそうであったのである。ここで説明した例も、何千もの出来事のうちの一つに過ぎない。

ザイド・ビン・サンアンは語っている。

「アッラーの使徒は私から借金をされていた。私はその時まだムスリムではなかった。約束の日より早く預言者を訪れて、金を返すように要求した。さらには、彼に『あなた方、アブドゥルムッターリブの子孫たちは皆借金を返すという点でとても怠慢だ』と言ったのだった。私のこの言葉にウマルは怒り狂い、『アッラーの敵よ、もしユダヤ人たちと我々との協定がなかったらお前の頭を吹っ飛ばしてやるところだ!アッラーの使徒に対して礼儀正しく話せ!』と言った。アッラーの使徒は私を見て微笑まれた。そしてウマルに言われた。『ウマルよ、この人に彼の権利を与えなさい。それからあなたが脅したことに対して二十サアお金を加えなさい』」

この出来事のここから先を、ウマルの語っている言葉から引用して説明しよう。ウマルは語っている。

「使徒の命に応じて私は立ち上がり、アイド・ビン・サナンに与えるべきものを与えるべく、彼と共に道に出た。その途上、彼は私に、全く予想もしなかったことを言い出した。『ウマルよ、あなたが私の振る舞いに怒っていることは知っています。ただ私は我々の書で最後の預言者について語られていることを全て、彼に見出したのです。書ではこのように述べられています。すなわち、〔彼の優しい性格は無知を超える。無知な者たちの激しさは彼の優しさを増すのみである〕とあります。私は彼の優しさは書で書かれているとおりなのか、それを知りたくてああいう風に言ったのです。今私は彼が我々の書で到来が知らされている預言者であることを信じます。今この瞬間をもって、私も彼が最後の預言者であることを信じ、信仰を告白します』」[12]

アッラーの使徒は、ユダヤの学者であったザイド・ビン・サンアンの心をも、その優しさによって和らげられ、彼が真実の教えであるイスラームに入ることのきっかけとなられたのだった。

このように、預言者ムハンマドは、他の者が耐えられないほど、優しく、穏やかな性格の持ち主であられた。

ただ、預言者ムハンマドのこの優しさはやはり均衡が取れ、ある方向性を持つものであった。御自身に対してなされた各種の振る舞いには優しさをもって対応される預言者も、他の者に対してなされる不正に対しては獅子のように怒られ、正義が行なわれるまでその怒りを静められることはなかった。それが誰に対して、誰によって行なわれたことであろうと預言者の対応はいつも同じであった。特に、教えの命令が忘れられることはこのお方を非常に怒らせた。もはや静まることはないかのようであられた。これも、このお方がいかに均衡の取れた方であるかを示すものである。お互いに対立するかのように見えるこの二つの行動パターンは、アッラーの使徒の偉大な人格の、神聖な面の一つである。ここでは、いくつかの例を挙げて示したいと思う。

アブー・マスド・アル・バドリから伝えられている。「ある時、預言者ムハンマドの元に一人の教友が来た。礼拝所に来られない者のために礼拝をさせるよう預言者によって派遣されたある人物について苦情を言った。なぜならその人物は、朝の礼拝を非常に長く行なうのであった。苦情を訴えにきた教友はこのように言った。「アッラーの使徒よ。彼のせいで、私は集団での礼拝に参加することを止めようかと思っているほどです」

この言葉に預言者ムハンマドは眉をしかめられ、腹を立てられ、説教台に上がられてそこにいる者たちに次のように言われた。「あなた方のうちの誰が、礼拝を導いているのであれ、礼拝を短くするようにしなさい。なぜなら、あなた方の中には、病人や年老いた者たちもいるのです...」[13]

預言者ムハンマド御自身もこれを守られた。時には礼拝を長く行なわれたが、集団の状況によって時にはかなり短く行なわれたのである。

アッラーの使徒は、ムアーズ・ビン・ジャバルをとても気に入られていた。ただ、彼が夜の礼拝をとても長く行なうという苦情がもたらされると、やはり腹を立てられ、その愛されている教友に「あなたは反乱か、あなたは反乱か、あなたは反乱か」とおっしゃれ、彼を叱られた。[14]

ウサーマ・ビン・ザイドは、司令官として連隊長であった折のある戦いで、ムスリムになったことを言おうとした者を、ただ怖くてそう言っているのだと判断して処刑した。他の伝承によると、この人物は信仰告白をしたとも言われている。ただ、恐怖からしただけなのだと彼は考えていたのだった。ただ、戦いからの帰り、預言者にこの知らせがもたらされると、預言者はすぐウサーマをおそばに呼ばれた。事情を聞かれ、ウサーマも何も隠さずに何もかも説明した。預言者はそれに対して非常に立腹され、何度も「二つに割ってその心を見たとでも言うのか!」とおっしゃれ、とても腹を立てられていることをお示しになれたのだった。この言葉を何度も繰り返され、ウサーマは「今日までムスリムになっていなければ。こんな言葉を聞かずにすんでいれば」[15]と言うほど苦しめられた。ただウサーマは、預言者の胸の中で育ち、預言者からも孫の聖ハサンや聖フセインと同様に愛された人物だったのであった。

ある日、アブー・ザッルは、ビラールに向かって「黒い女の息子よ」と言った。ビラールは泣きながらアッラーの使徒の元に苦情を訴えにきて、アッラーの使徒はアブー・ザッルに対してお怒りになれた。「あなたにはいまだに、無知の印がある」と言われ、彼をお叱りになれた。[16]

聖アブー・バクルと聖ウマルとの間に起こった小さな諍いで、聖アブー・バクルを傷つけた聖ウマルは、預言者に叱られ、結果公正さは取り戻されたのだった。しかし実際は、預言者はウマルのことも、とても愛されていたのである。

このような何百もの例から、我々はアッラーの使徒の優しい性格が他の特質と同様、非常に均衡を持ったものであることを理解できる。全てにおいてそうであるように、預言者ムハンマドはこの点においても正しい道を体現されているのだ。御自身に対して行なわれるひどい振る舞いには寛容と優しさをもって対応される預言者は、他の者に対してなされたほんの些細な不正に対しても、決して認められることはなさらず、それをやったのが誰であろうと、必ず彼を呼ばれ、その行いを糾されるのであった。

 


[1] Ibn Hisham, Sirah 3/88
[2] Muslim, Musarifun 139; Ibn Maja, Ahkam 14;Ibn Hanbal, Musnad 6/91
[3] Bukhari, al-Anbiya' 24, 48; Muslim, Iman 272
[4] Bukhari, Marda 3, 13; Muslim, Birr 45 ; Ibn Hanbal, Musnad 1/381
[5] Muslim, Iman 261; Nasa'i, Salah 2; Bukhari, Tawhid 37
[6] Muslim, Zakat, 142; Bukhari Adab 95, Bukhari, Manaqib 25; Ibn Hanbal, Musnad 3/56
[7] Muslim, Zakat 148
[8] Bukhari, Adab 95; Manaqib 25;Muslim, Zakat 142
[9] Bukhari, Hibe 28; Abu Dawut, Diyah
[10] Abu Dawud, Adab 1; Nasa'i, Kasame 24
[11] Hakim, Mustadrak 3/242
[12] Suyuti, al-Khasa'is al-Kubra', 1/26; Ibn Hajar, al-Isabah 1/566; Ibn Kayyim al-Cevziyye, Zadu'l-Mead 1/59; Hakim Mustadrak 3/604
[13] Bukhari, Ilm 28, Azan 61, Adab 75
[14] Muslim, Slat 179; Nasa'i, Iftitah 71; Bukhari, Adab 74
[15] Muslim, Iman 158; Ibn Maja, Fitan 1
[16] Bukhari, Iman 22

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