まとめ

始めに述べたように、我々は預言者ムハンマドのお祈りを伝える目的でこのテーマを取り上げたのではない。我々の意図は、お祈りにおいてさえ、預言者ムハンマドにかなうものはいないということ、そしてその人生の全ての瞬間をお祈りと共に生きられたことを示すことである。当然、そのお祈りの全てを見ることなく、その結果を実感のうちに知ることは不可能であろう。しかし、ヒントを与えるという観点から、そのお祈りのほんの一部を紹介したのである。我々が行ったことは、水の滴りからそこに泉があることが証拠付けられるという形のものだと見なしてほしい。

そう、私たちは承認し、信じ、信仰している。どのような価値であれ、どのような分野であれ、預言者ムハンマドに比類する人はいない。預言者ムハンマドはどの特質に置かれても頂点におられるお方である。我々も最初のところからここまで、この信条を証拠付け、再確認してきた。もし過ちがあれば、それは我々の理解、あるいは説明方法によるものである。預言者ムハンマドは不足や過ちからかけ離れた、浄化された存在であられた。なぜならこのお方は、預言者ムハンマドであられるのだ。

人生における全ての瞬間に、アッラーに向きを定められ、輝かれたこのお方の生き方において、暗黒や抑圧といった瞬間があったことはあり得ない。そのお方の人生は全てにおいてお祈りであり、切なる願いであった。この世に生を受けられた瞬間に繰り返して「私の共同体」(ウンマ)と言われ、また最後の審判の日にもそう言われるであろう[1]。そう、このお方が気にかけておられる唯一のことが、このお方の共同体なのである。

預言者についてのこのテーマを終えることは私の心が全く承知してくれない。そのお方について語る時、まるでそのお方と共にいるような気分を味わってきた。このような方とご一緒させていただくのを終えるのは、まだできない。しかし何ができるだろうか。もう、終わりに差しかかっている。もはや締めくくらなければならない。締めくくりの言葉が立派であるように、との思いから、ある素晴らしい言葉の持ち主が語られたこの輝かしく意味深い言葉で結びたい。

「そう、この預言者であられることの証明のあり方に注目しなさい。地上は一つの礼拝所であり、マッカは礼拝するとき向かう方面(ミフラーブ)マディーナは説教壇(ミンバル)である。神を明白に示される、そしてその証拠であられる預言者ムハンマドは、全ての信者たちの指導者(イマーム)で、全ての人々の説教士で、全ての預言者たちの長で、全ての聖人たちの師であられるのだ。そして、預言者たち、聖人たちで構成されるズィクル(神の名を繰り返し唱える修行)の合唱隊のリーダーでもあられる。

預言者ムハンマドは非常に輝かしい一本の木である。預言者たちはその木に命を与える根であり、聖人たちはその新鮮な果実である。それぞれの宣教活動を奇跡に救われながら行った全預言者たち、そしてアッラーによる援護に救われてきた全ての聖人たちが、評価をし、そこに印を押している。なぜならそのお方は『アッラーの他に神なし』と唱え、教えを広めているのだ。左右に、つまり過去と未来に渡って並んだその輝かしいズィクルの合唱隊は同じ言葉を繰り返し、揃って、心の声で『あなたは真実を語っている。正しいことを言っている』と言う。どのような疑念であれ、こういった無数の印に支えられているこの布教をわずらわすことはできない。

アッラーが唯一であられることの光に満ちた証拠は、御自身以前・御自身以後に現れたこういった存在の合意と一致に支えられている。旧約聖書、新約聖書のような啓典で見られる何百もの印、預言者以前に示されていた多くの吉報、幽玄界からの知らせをもたらした人々、予言者たちが示した証拠、そして何千もの、としか言い表せない多くの奇跡などによっても支持され、承認されているのだ。

それに加えて、そのお方がもたらされた教えの正しさも、そのお方御自身を支持し承認するまた別個の証拠である。そのお方に見られる賞賛すべき徳、またその任務に関わってくる、何よりも素晴らしい性質、性格は、強い信仰心、確固たる結びつき、この上ない信用性を示すすさまじいまでのアッラーへの畏怖、しもべとしてのあり方、真剣さ、決意の固さ、布教においてこの上なく誠実であられることを太陽のように明白に示しているのである。

さあ、来てみなさい。幸福なる預言者の時代のアラビア半島に出かけてみよう。想像上であれ、預言者ムハンマドがその任務を果たされているところを拝見し、訪問してみよう。

ほら見てみなさい!あり方から見ても生き方から見ても最高に素晴らしい段階におられる抜きん出ているあのお方を見ることができる。その手には奇跡を見せる一冊の本、真実を解き明かす説教をされ、全ての人々、おそらくはジン、天使たち、その他の存在、おそらくは全ての被創造物に対して終わることのない説教を説いておられる。世界の創造に秘められた驚くべき神秘を解き明かされ、万物に秘められた魔法の封印を解き、発見されつつ、皆に尋ねられてきた三つの重要な問い、すなわち『誰なのか』『どこから来たのか』『どこへ行くのか』という問いに、答えておられる。その答えには説得力があり、受け入れられているのだ。

さあ見なさい!この広い半島において、自らの風習にこだわり、頑固であった様々な部族たちに対して、いかに迅速に悪習や野蛮な人格を捨てさせ、徳によって身を飾らせ、文明化された人々、博識ある師の域に到達させられたことであろう。外見上の征服のみではなく、彼らの思考を、魂を、心を、我欲をひきつけられておられるのである。人々の心にとって愛する存在であり、頭にとっては師であり、我欲にとっては教師であり、魂にとっては王である存在となられたのである」[2]

我らが魂の王よ。あなたは魂の王となられました。私たちの魂をあなたに捧げます。どうか受け入れてくださいますように。

 


[1] Buhari, Tawhid 36; Fiten 1; Muslim, Iman 326-327
[2] Said Nursi, Words, 19th Word

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