預言者ムハンマドの潔白さ

預言者たちは皆罪の無い存在である。預言者たちの長である預言者ムハンマドは、この上なく、罪から遠いお方である。なぜならそのお方は預言者たちの王であり、全ての被創造物の存在の理由である。預言者という詩に脚韻が必要とされていて、アッラーは最も愛される者をちょうどその脚韻として創られた。預言者の空に飛翔する鳥がいない時、彼はその鳥となられたのである。全ての預言者たちは限られた時間と空間のために遣わされたが、このお方が遣わされたのは全ての空間、限りの無き時間のためであった。預言者ムハンマドが語られたことは、この世に存在する事項の全てであった。[1]

どの預言者たちも、彼のように全体的、包括的な意味での被創造物の真実を教えることはできなかった。そもそもこれは彼らの任務でもなかった。彼らの時代、まだ学問は発達しておらず、被創造物はばらばらの状態であった。これらは聖ムハンマドの時代に起こるべきことであって、そしてそのように実現したのである。そのお方が語られたことはどれ一つとして、事実に反してはいなかったのだ。

他の預言者たちも皆、光を放つ星のようである。しかし彼らは太陽を見出した時、もはや光を閉ざし、地に隠れた。なぜならそこに現れたのは太陽の中の太陽であり、被創造物の存在の最大の理由である、真の光の持ち主であったからである。

ブサイリー(エジプト1295年)は実に見事に表現している。

「彼は美徳の太陽で、他の者たちは星である

星は人々にその光をただ夜にのみ与えるのだ」

そう、預言者ムハンマドはこの上なく罪から遠い存在であられた。だから、そのお方の高潔さは全ての高潔さの中で最高のものである。

最も手強い敵でさえ、そのお方の高潔さを汚す言葉を見つけることもできていないし、そうしたやり方で陥れることはできなかったのである。今後もできないであろう。預言者ムハンマドは純潔さの像のようで、また高潔さの塔のようであられた。そのお方のすそにつちぼこりを、そのお方の服に泥を見出すことは不可能で、そのお方は清らかさの真髄、「ムスタファ」(選ばれた者)として創造されたのである。

敵はそのお方に対して色々な中傷を行ってきた。例えば「気が狂った者」と言った。言うなれば預言者はある意味、アッラーに狂おしいほどの愛情を抱いておられた。そのために、御自身の全てを捧げられた。望む者はそれを得ることができた。その収穫は、天国とアッラーの美に到達することであった。

さらに、そのお方に「妖術師」という者たちもいた。そう、最も頑固な人々でさえ、そのお方の前に来ると一変し、その心にどれほどの憎悪があろうと、それは土台から激しく揺すぶられるのであった。預言者ムハンマドに引き付けられ、そのお方のために全てを捧げた人々が無数にいた。不信心者たちは他に言うべき言葉が見つからず「これらの蛾は魔術の火によって回されている」と言い、その誤った解釈の内に慰めを得ようとしたのであった。しかし実際はそれらを回しているのは信仰の力であり、完全性であり、その美の魅力である。

預言者ムハンマドを「予言者」とも見なした。実際そのお方は最後の日までに起こるであろうことを知らせられた。彼らはその時まで、こういった言葉を予言者たちからのみ聞いていたのだった。しかしもう少し注意しておれば、言葉が嘘に満ちた予言者たちと彼を容易に区別することができたであろう[2]。預言者ムハンマドは常に正しいことを、しかもただ御自分が見られたことだけを伝えられていた。

もし預言者ムハンマドが気が狂っていると言うのなら(絶対にあり得ないことだが)この世に正気などというものは存在しない。予言や魔術といったまじめさからかけ離れたものは、そのお方の夢にさえ入り込むことはなかった。そのお方の夢は、その生き方と同じぐらい真剣なものであったからである。そのお方の命の向こう側に通じる部分から時折訪れる聖なる夢は、もたらされたメッセージの一部分を構成するものとなったのである[3]。

彼らはこういった事実や論理に反する不適切な言葉を思い付く限り投げかけた。しかし、誰も彼の高潔さに対して何かを言うことはできなかった。このことに対して何かを言ったとしたら、結局言った本人が恥をかくことになる。これを味方も敵も皆知っていたのである。

これまで、何千もの人々、何百もの本が預言者ムハンマドを語ってきた。これらの中には前述の火の周りを回る蛾もいるのと同様、光を苦痛と感じるこうもりたちも含まれている。ただ、観点やまた信仰も様々なこの人々が、ある一点では統一されている。その一点というのは、アッラーの使徒の高潔さを認めるという点である。

ある意味、我々もまた火の周りの蛾のようなものである。常にこのお方の純潔さ、高潔さについて語り続けているのだ。これは値打ちがわかるというようなことではない。その真実や公正な評価を明らかにするといった形での、理解、説得である。

ただ、次のことを告白し、また注意を引かぬままに次に進むことはできない。この本を読んだ人々が、預言者ムハンマドやそのお方の高潔さを私の説明の中で求めようとしないでほしい。これらの最良の導きは前任学者たちの多くの本や、彼らの清らかな良心によってなされるべきである。彼らの良心では、常に真の主、アッラーが見られるものである。真の主の最も清らかな代理人である預言者ムハンマドも、ただこの魂によって知られるのだ。

気持ちと同様、良心も真の主の永遠の駐屯地のようである。実に偉大な駐屯地であり、預言者がそこで休まれているのだ。その部分は私にとって楽器の弦のようであり、解決できない困難さというばちが触れる毎に、私にこのように言わせるのだ。

「ああ、高潔な預言者よ!十四世紀前に現れられたように、もう一度現れてください。アラビアの暗い世界に明かりをもたらされたように、九世紀に渡って教えのために奉仕し、この聖なる任務の旗手であったこの由緒ある民族の土地にもやって来て、この地に光をもたらしてください。どうか馬に声をかけて、我々のところにもやって来てください。成長した光の旗手たちは、もはや決してあなたを一人にすることはないでしょう。彼らがあなたに見出すたった一つのしぐさ、微笑でさえ、彼らが全てのものを捧げるのに十分なものでしょう」

預言者ムハンマドに対してなされた注意についての考察

聖クルアーンで、直接預言者に向けられた注意がいくつか存在する。これらは一見、預言者の罪無きこと、高潔さに影響を与えているかのようにも見える。中には「罪がなければこのような注意がされることもなかった」と考える人もいるかもしれない。しかし、これらの注意は決して、過ちや罪の存在を認め責めているものではない。よりよいものを選ぶ可能性があるのに、最良ではなく良の段階にあるものを、最良の具現者であるべきそのお方のような存在が選んだということについて、適切ではないと教えられ、注意されているのである。

我々は源泉からの水があるのにも関わらず、それほどきれいではなく消毒されていない水を飲むことに対して注意される。それと同様に、預言者たちは、カウサル(天国の川)の水があるのにザムザム(マッカにある聖泉)の水を飲むことを注意されるかもしれない。我々は、足を踏み外して地獄の井戸に落ちた時に叱責を受けるが、預言者たちは天空で場所を変えたという理由で叱責を受け得る。だから預言者を我々の世界に合わせて評価し、何かを言う事は正しくない。彼らは宮殿の中に迎え入れられ、アッラーの御前で名誉を与えられた方々である。外に残った、庭の門にさえ近づけなかった人々と一緒にすることはできない。評価のものさし、基準がまったく異なるのである。だからクルアーンにおける預言者に対しての注意も、このような観点から認識することが必要となる。

どのようなものが注意なのであろうか? なぜ預言者はこのような注意を受けられたのか? ここでは順番にこの事項について触れ、注意のように見えるこれらの呼びかけのうちに秘められている愛情と罪のように見える行為のうちに存在する善行や徳について考えてみよう。それからそのお方に「高潔さ、純潔さにおいてもあなたに及ぶ者は存在しません」と言いつつ、その点からもそのお方が預言者であることを証言しよう。

クルアーンにおける預言者に向けられた注意とそのかげに秘められているもの

バドルの戦いの捕虜

バドルの戦い[4]における捕虜に関連してくだされた次の章は預言者への注意のように見える。

「その地で完全に勝利を収めるまでは、捕虜を捕らえることは、使徒にとってふさわしくない。あなた方は現世のはかない幸福を望むが、アッラーは(あなた方のため)来世を望まれる。アッラーは偉力並びなく英明であられる。もし前以てアッラーからくだされた規則がなかったならば、あなた方はその受け取ったもののために、必ず厳しい懲罰が下ったことであろう。だが(今は)、あなた方が得た戦利品を、合法でまた清い(もの)として受け、アッラーを畏れよ。本当にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる」(戦利品章8/67~69)

使徒は捕虜を持つべきではない。他の預言者たちについても同様であった。捕虜を持つことなくして、捕虜たちにどのような処分を行なうことができようか。

預言者は、その足を完全に地につけ、助けがなくても自力で立ち、存在し、誰にも頼らず教えや考えの正当性を明らかに示すことができるようになる時までは、このように振る舞うべきではなかった。つまり、捕虜たちを保証金と引き換えに放すべきではなかった。捕虜たちを赦さないことによって信者たちをしっかりさせるべきであり、その勢力の均衡を保つという目的の達成への速度を速めなければならない、そして一つの力となることを目標としなければならなかったのだ・・・。

そもそもあなた(預言者ムハンマド)の特別な性質の傾向はこのようである。なぜなら、あなたがこの世でやろうとしている唯一のことは教えを確立することである。あなたのそばにいる者たちの思いも同じである。ここでとられた処置はさらによいものであり得たのだ。あなた方が行ったことが善であるなら、最善のものが他に存在する。アッラーもそれを望まれているのである。もし、前にもたらされた言葉によってあなた方に罰がくだされないであろうということが裁量されておらず、また彼らが行ったこれらのことのために彼らにも罰が与えられることはないという運命が確定されていなければ、あなた方に罰が与えられていたことだろう。しかしこのような裁量、言葉、確定がある以上、もはやあなた方に罰が与えられることはない。

預言者がバドルで敵を散らし、敗北に追い込んだことは、信者たちの心に安心を与えた。これは彼らの心の中で十五年続いた火を消すことになった。この十五年の間、彼らは不信心者たちからあらゆる不当な扱い、弾圧、苦痛を被っていたのであった。まず、彼らが自らの命のように愛していたマッカの地から離れ、マディーナへ移った。しかしこれもマッカの住民達を満足させることはなく、彼らの新しい土地をも攻撃し始めたのだった。信者たちは全てに耐え、報復に出ることはなかった。バドルの戦いまで、彼らがどれほどのことをしようと、報復の行動に出ることは禁じられていたのである。「殴る者に手を出さず、ののしる者に言い返さず、心を傷つける者にもやり返さないことが必要」と言い、これに基づいて行動していたのだった。しかしアッラーはここで、もはや彼らに許可を与えられたのである。(巡礼章22/39)信者たちも行動でやり返すことができるようになった。少なくとも、彼ら自身を護ることができるようになったのである。バドルは最初の衝突であった。ムスリムたちが勝利を収め、敵を捕虜にした。このような出来事は始めて起こったのだ。神意による解釈がまだ行なわれていない諸問題と同様、預言者はこの問題をも習慣に基づいて協議された。捕虜たちをどうするべきか、この協議によって決めることになったのである。

最初、預言者は御自身の精神のあり方、及びクルアーンが御自身に教えた道徳に従い、捕虜たちを赦すことを考えておられた。なぜならそれまでクルアーンは常にそのお方に次のように伝えてきたのだ。

「あなたは情け深く寛容に(人々の過失や欠点を)赦してやるがいい」(アル・ヒジュル章15/8)

「英知とよい話し方で、(全ての者を)あなたの主の道に招け」(蜜蜂章16/125)

そしてそのお方を寛容であるという方向に導いてきたのである。赦すことはそのお方の性格、性質となってきていたのである。だから預言者についてこの素晴らしい感情を別にして考えることは不可能であった。クルアーンも預言者ムハンマドにこう呼びかけている。

「本当にあなたは、崇高な徳性を備えている」(筆章68/4)

皆、それぞれに徳を与えられているが、預言者ムハンマドは完全な徳を与えられたお方である。そのお方はアッラーの徳によって徳を与えられることの頂点におられるからである。その徳はクルアーンの行、ページ、章から湧き上がっているものである。このような徳の具現者、体現者が聖ムハンマドなのだ。[5]

預言者ムハンマドの赦しの精神を次の出来事を通してみてほしい。マッカが征服された日、それまで御自身に激しい弾圧を加えてきた者たちに、そのお方はあたかも飲み物を振る舞うように、「今日あなた方を、(取り立てて)咎めることはありません」(ユースフ章12/92)と言われたのだ。そしてそれに続いて皆を赦すことを宣言されたのである。[6]

彼御自身の魂のあり方、そして御自身の考えとしては、預言者ムハンマドは常に赦すという方に傾いておられた。それでも協議を行なわれ、まず聖アブー・バクルに尋ねられた。彼からは次のような返事が返ってきた。

「預言者よ、この人たちはあなたの氏族、かつあなたの民族の人々です。とは言っても彼らはあなたやムスリムたちに対して悪事を尽くしても来ました。それでもあなたが赦されるという道を選ばれ、この者たちを赦し、彼らの首をはねたりせずに釈放されるのであれば、彼らの心をつかみ、彼らが信仰を持つきっかけを与えられたことになるでしょう。私の考えとしては、この人々を赦すのがいいと思います」

預言者は聖ウマルにも尋ねられた。彼は次のように答えた。

「預言者よ、私たちが捕虜としているこの者たちはマッカの有力者です。この者たちを殺してしまえば彼らはもう二度と体勢を立て直して我々に対抗してくることもないでしょう。だからこの者たちを殺す必要があります。さらに言うなら、ムスリムはそれぞれ自分の近親者を殺すようにしましょう。アキールをアリーに引き渡し、彼に殺させましょう。アブドゥルラフマーンはその父アブー・バクルに殺させましょう。私の親戚も私に引き渡してください、私が殺します」[7]

それぞれの考えが明らかにされた。アブー・バクルは捕虜を解放する方向で、ウマルは処刑する方向で考えていた。預言者はまず聖アブー・バクルに、それから聖ウマルの方に向き直られて言われた。

「アブー・バクルよ、あなたはちょうど私の祖先のイブラーヒームに似ている。(その民が彼に悪事の限りを尽くし、さらには彼を炎の中に放り込んだ。しかし彼は両手を掲げ、神に)このようにお祈りをした。『私(の道)に従う者は、本当に私の身内であります。私に従わない者には、あなたが度々お許しなされる方、慈悲深い方であられます』(イブラーヒーム章14/36) そしてあなたはイーサーにも似ている。(人々は彼にあらゆる苦しみを負わせたが、しかし彼はこのようにお祈りした)『あなたがたとえ彼らを罰せられても、誠に彼らはあなたのしもべです。また、あなたが彼らをお赦しなされても、本当にあなたこそは偉力並びなく英明であられます』(食卓章5/118)」[8]

ある時アッラーの使徒はこの言葉を繰り返され、次のようにおっしゃられた。

「貯水池のそばで、そこに行こうとしている人々が、水の元から追われるラクダのように追い払われているのを見て、私は「友よ、友よ」と言いつつアッラーに乞い願った。そして、『あなたが彼らから離れた後、彼らがどんなものに遭遇したのか、あなたは知らない』と言われた。私はもはや何と言っていいか分からず、誠実なしもべ、イーサーのように『あなたが彼らを罰せられても、誠に彼らはあなたのしもべです。またあなたが彼らをお赦しなされても、本当にあなたこそは偉力並びなく英明であられます』」[9]

聖アブー・バクルは預言者の最初の弟子である。考え方や風格などが実に預言者に似ている人であった。この類似はここでの捕虜の処遇問題でも明らかである。

預言者は聖ウマルのほうに向き直られ、彼を他の預言者に似せて言われた。

「ウマルよ、あなたはヌーフのようだ。彼はこう言ったのだ。『主よ、不信心な居住者を誰一人として地上に残さないでください』(ヌーフ章71/26) そしてあなたはムーサーにも似ている。彼もこういっていた。 『主よ、彼らの富を滅びされ、彼らの心を頑固にしてください。それ故痛ましい罰が下るまで、彼らは信じないでしょう』(ユーヌス章10/88)」[10]

この二人の預言者はどちらも自分の一族や民族、そしてその他のアッラーの敵たちがもたらす激しい弾圧や暴行に耐えてきた。しかし日が経つにつれて彼らの頑固さや意地が増していっていること、留まることを知らないことを見て、このような祈りをしたのであった。この偉大な二人の体現者が、アッラーの偉大な顕示が与えられたこの集団のために、残る者にも死んでいく者にも害をなす信仰への憎悪に満ちた父親たちの滅亡を願い、残されたその子孫をアッラーが顕示された教えにふさわしい形で導くという考えでこのようにお祈りしたのなら、それは善い行いであった。そのためアッラーは以前から与えられていた懲罰の判決を執行され、預言者の祈りと願いによって彼らを滅亡させたのであった。

結果として預言者は偉大な徳からもたらされる寛容さと赦しの精神によって心を決められた。これは同時に聖アブー・バクルの考えに賛成するということであった。「この者たちを殺さないように。イスラームを知り、真実の命を得ることができるように」と決められたのである。

ここで、この出来事のこれ以降の部分を聖ウマルの言葉から引用しよう。

「決定がなされた。私はやることがあってその場から離れた。仕事を終えて戻ると、アッラーの使徒とアブー・バクルが声を上げて泣いているのを見た。私はなぜ泣いているのか尋ねた。彼らは答えるどころではないようだった。泣き続けていた。私はしつこく続けた。『答えてください、私も泣きましょう』そして、そこで戦利品章の67~69節を読まれた。これらの章はこのような形でくだされたものである』」[11]

アッラーは預言者に物事を決定する能力と権限を与えられた。預言者も決定を下し、「よい」ことをなされた。しかしアッラーは「よい」ことはこの最良のしもべに似つかわしくないと見なされたのである。そしてあたかも「あなたにふさわしいのは『最良』のことを選ぶことであった」と言われておられたのだ。最良ではなく、「よい」ことを選んだために注意を与えられたのだ。ここに罪や過ちは存在しない。預言者は常によいことのうちにあられたのだ。そう、この問題をまずこの形で理解する必要がある。そして、この節における表現方法に注意を向けるべきであろう。この表現において、預言者に対していかに優しく振る舞われているかが理解されるはずである。

注意のメッセージとは次のようであった。

「もし前もってアッラーからくだされた規則がなかったら、あなた方はその受け取ったもののために必ず厳しい懲罰が下ったことであろう」(戦利品章8/68)

アラビア語で〔レウラー〕(もし)というのは「何かが起こることによって他の事が起こらないこと」を意味する。それに基づいて、ここではこの節の意味に十分な注意を払うべきである。「もし前もってくだされた規則がなかったら」すなわち、前もってこのことは定められていて、それに従ってあなた方は捕虜をとり、そこから利益も得る。つまり前もってくだされていたこの定めは、将来に対する観点からのものである。

だからアッラーは戦利品と捕虜(捕虜も戦利品に含まれるものであるが)をその後もハラーム(宗教上禁じられているもの)とされることはなく、ただそれらは試練として出現するのだ。聖アーダムの問題でも明らかなように、後に起こるべき出来事がその時期よりも前に行なわれ、従ってその時期から考慮すると「最良」ではなく「よい」ことが行なわれたこととなったのである。バドルの戦いの後、そもそもそう実現することになっていたのである。他の節で見られる次の決定も、この考え方を支えるものであると私は考える。

「あなた方が不信心な者と戦場でまみえる時は、(彼らの)首を打ち切れ。彼らの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。その後は戦いが終わるまで情けを施すか、または身代金を取るなりせよ。もしアッラーがお望みなら、きっと彼らに報復されよう。だがかれ(アッラー)は、あなた方を互いに試みるために(戦いを命じられる)。およそアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚しいものにされない」(ムハンマド章47/4)

あたかも預言者は、アッラーが後に知らせられるこの決定を感じられたかのようである。しかし、この決定は後にくだされるべきものであるから、それを前もって行なうことは「よい」ことではあるが、決定がくだされるのを待つことが「最良」なのである。つまり、預言者はアッラーがくださる定めを待たずにくだした決定に注意されたのである。

さらに、預言者は、他の者には与えられず、ただ御自身にのみ与えられた五つの事項を数え上げていかれる際、そのうちの一つとして、戦利品が赦されたものとされたということをも述べておられる[12]。バドルの戦いのときまでは赦されておらず、また他の預言者たちにも赦されていなかった戦利品は、その時、もはやムスリムたちにとって赦されたものとなるのである。そしてその直前に、預言者を咎めているようにも見えるこの様な注意がくだされていたのであった。

他に、この決定が預言者が教友たちとした協議で得られた決心の上にくだされたことも注意を向けるべき事項である。このような当たっても当たらなくてもよかった決心において、アッラーの徳によって育ち、アッラーによって教育された預言者は他の形では考えられなかった。なぜならそのお方の徳のあり方は、このような決心を生み出すものであった。結果、後にくだされた決定(ムハンマド章47/4)はそのお方のこの考えの上にくだされたのである。

戦利品が赦されたものとなったことは、イスラーム法に基づく判決によって不動のものとなる。同時に、アッラーに対する誠実さ誠実さ、聖戦をアッラーのために行なうということに対しても、これは妨げにはならない。なるはずがないのである。敵を倒した上で、彼らの持っている財産、それからもたらされる様々な可能性を彼らの手から取り上げることは、敵の力を弱め、ムスリムの力を強めることになるのである。アッラーへの誠実さという面でも、まだそれほどの段階には達していない者にとってはその戦利品は奨励といった意味を持ち、常に戦いを続ける者にとっても、それを目的とすることによって生計を立てることも可能となる。ただし誰であれ、戦利品を受け取ることを強制されてはいない。望む者はアムル・ビン・アスのように振る舞い「私は戦利品を獲得するためにムスリムになったのではありません」[13]と言うことができるのである。ただ、このような自己犠牲は全ての人に要求することはできない。そもそも自己犠牲、献身とは要求するものではなく、自ら行なわれるものである。

このテーマを締めくくるにあたって、聖アーダムが禁じられた果実をとった問題に関して述べた点について、再度思い起こしていただきたい。アッラーは結局、後には許可されることになるこの果実によってアーダムを試された。戦利品についても同じことが行なわれたと言えると私は思う。将来許可されることになっている戦利品は、バドルの戦いの直後試練として用いられ、その後この件における決定が明らかにされたのである。この決定に適した形で行動はなされたのであるから、ここに罪は存在しないのだ。

ただ、人の被創造物としてのあり方と、この世的なものとの関係に注意が向けられたのだ。この世的なものとのこの関係が過度にならないことが望まれているのである。

そもそもここでいわれている事や注意は、全てのムスリムに向けられたものだ。預言者はこの出来事以前も、以後も、この世的なものに関心を持たれたことはなかったのである。この注意は、この世的なものには関心をもたれていない預言者を通して、全ての人を対象に行なわれたのである。教訓として受け取り、かつ傷つかないようにと。ここで、神の教育の方法において、その対象者いかに気をつけた振る舞いがなされているかというしるしを見ることも可能であろう。

タブーク遠征

タブーク遠征は、真剣な戦闘準備体制の下で行なわれ、結局戦争にはならず戻ることになった、ビザンチン帝国に対する威嚇行動であり、戦争に近い軍事行動であった。大きな戦闘になることを予想して出陣したのであった。そのため預言者も、ムスリムたちに広く聖戦への参加を呼びかけられ、総動員という雰囲気の元、出陣した。しかし、中には都合を申し立てて不参加の許可を求める者たちもいた。預言者も許可を与えられた。彼らは許可を得た形で、遠征に参加しないことになった。この際に、一見注意のように見える意味合いを持った節の二つめが預言者にくだされたのであった。

「アッラーはあなた(ムハンマド)を赦した。真実を述べる者があなたにはっきりして、嘘付きたちが分かる前に、なぜあなたは彼ら(がその家に留まること)を赦したのか」(悔悟章9/43)

この最初のアラビア語の文は「アッラーがあなたを赦されるように」という形で見ると罪がそこに存在するかのような印象を与え得るが、これは非常に乱暴で不注意な解釈である。この文はここで示したような形で訳したほうが、預言者に示されている細やかな気遣いややさしさに対して適当であろう。

まず、アッラーがこの呼びかけをこのような文で始められたのは、ひとえに預言者の心を和らげるためである。注意のように見える文は後に残されたのだ。このようにして、やさしさに満ちた形でこの呼びかけが始められたのである。ザマフシャリーからセッカキーに至る全ての偉大な言葉の達人でおられるクルアーン解釈者たちは、この節を預言者への注意ではなく、逆に好意であると解釈している。[14]

慈悲に満ちた父親が、自分の命ほどに愛している子供を褒める目的で、その耳をつかむ時、子供の耳を痛めつけないように注意深く振る舞う。さらに、子供が怒られていると感じないようにとほほ笑みをも向ける。これと同じで、神の慈悲の微笑みの下に一見、注意のように見える好意が感じられるのである。この呼びかけでは預言者への叱責などは存在しないのだ。

この節では、預言者に以下のようなことを気づかせようとされたのであろう。

あなたの元にやって来た者は、許可を得て去った。あなたは何も言わなかった。許可を得た者の中には、内面と外面が一致しない偽信者もいたことをあなたは知っている。彼らは外見上ムスリムのように見えるが、反乱や破壊の機会をうかがっているのである。彼らになぜ許可を与えたのか? あなたに真実を述べる者たちと、あなたに嘘や偽りを述べる偽信者たちがはっきり区別されるべきだった。あなたも偽信者たちを完全に把握するべきであった。あなたはもともと「話す時に偽り、約束する時それを守らず、信頼される時、裏切る」[15]という偽信者のしるしによって彼らに大まかな区別を与えた。今、一人一人彼らについて知るべきであったのだ。あなたは結局彼らのことを知るのであるが、あなたの優しさと寛容さがそれを少し遅らせたのであった。

このように、この呼びかけではただ気づかせようとされているのであり、決して叱責はない。叱責でないだけでなく、そのうちには評価や賞賛も感じられる。ここでも預言者には最良が示されているのである。なぜなら預言者ムハンマドには「良い」ことではなく「最良」がふさわしいからである。

ザマフシャリーは「赦しに付いて語られているところでは、罪が存在する」と語っている[16]。しかし、ファフラッディーン・ラーズはこれを強く否定する。「おそらく私たちに関して、赦しについて触れられたところでは罪の存在があり得る。しかし預言者に関しては、赦しは評価を示している」と述べている[17]。その場合、この節は最初から終わりまで預言者に対する評価に満ちているのである。

先にも述べたように、預言者は特に優れた知能の持ち主であられた。何がどうなるか、その仕事をどうなされるか御存知であられた。ここでも、この預言者としての頭脳にふさわしい選択が求められている。すなわち、偽信者たちがムスリムたちと区別される時まで、彼らに許可を与えるべきではなかった。偽信者たちに、赦しをもらって去るというような立場を与えるべきではなかった。なぜなら、彼らは赦しを得られなくても去って行ったであろうからである。そしてその時、彼らが偽信者であることは、はっきりと明らかになるはずであった。神が望まれていたのもこれであった。預言者から求められていたのもこのようなことだったのである。とは言っても、事実神は預言者に偽信者たちを知らされており、その使徒に全てを伝えられた。ただ、それを確定し、しっかりと把握することもできたのである。

聖クルアーンによると、預言者は許可を与えることによってこのような機会を逃してしまわれたのであった。

そもそもこの振る舞いは、預言者ムハンマドから求められ、またこのお方に見られるその広い徳の心の顕示である。このお方は人生においてどの時期にも、人の罪を明らかにする行動をとられることはなかった。人の罪について、その本人に直接告げることはされなかった。誰のことであるかは明らかにされないままに、皆の前で、本人には分かるような形で注意を与えられたのであった。多くの場合、このお方はこのように振る舞われた。このようにして過ちは正され、本人も傷つくことはないのであった。これが預言者の徳である。皆それぞれの性格に基づいて行動するように、預言者ムハンマドもこの偉大な性格に基づいて行動されていた。一人の預言者が、人の罪を暴いて彼を滅亡へと導くことは決してないのだ。預言者は、たとえ知っておられたとしても、それを本人に告げて彼を傷つけようということは考えられないお方であった。例えば、預言者は偽信者について一人一人御存知であられ、また彼らの長である者についても知っておられた。しかし決してそれを明らかにされることはなかった。明らかにされないだけではなく、彼らに対しても、他の信者たちに振る舞われるのと同じように振る舞われていた。

ある時、偽信者の一人が来て、後悔していることを告げた。彼の心にあった憎しみは完全に消え去り、純粋なムスリムになったのであった。彼は悔悟の後、預言者に言った。「預言者よ!私のような立場にあるたくさんの人がいるのです。彼らを呼んで、彼らもきちんと信じるようにできないでしょうか。」預言者はここでも原則に基づいて行動された。「決してそういうことはしないように。私が彼らのことを知っていることを、彼らは知るべきではないのです。ただあなた自身が、彼らに必要なことを語ってやりなさい」と言われたのである。

そう、預言者ムハンマドは人の罪を明らかにして彼らに決まりの悪い思いをさせられることはなかった。アブドゥッラー・ビン・ウバイ・ビン・サルルは預言者にとって敵であったが、常にムスリムのように見せかけていた。預言者も、彼をその見掛けのままに見ることを望まれておられた。最後まで希望を失われることはなかった。ただ、アッラーは彼の入信を定めておられなかった。結局偽信者のままで死ぬことになっていたのである。死の床で、偽信者という容疑を晴らそうと考え、預言者に自分の息子を送った。そして預言者ムハンマドからシャツを求めた。人々に「もし彼が偽信者であったのなら、預言者はシャツをお与えにはならなかっただろう」と言わせたいがためであった。そして預言者もそのことを誰よりもよく知っておられた。それでも、それを明らかにされず、預言者はシャツを与えられたのであった[18]。葬儀の礼拝にも加わられた[19]。なぜなら彼の息子と娘はそれぞれよいムスリムであったからである。預言者は彼らのために、彼が行った全てのことに耐えられたのである。

この件について明らかにするために、もう一つ小さな例を示したいと思う。教友の一人が所有している奴隷を売ることを望んでいた。しかし同時に保護権を持ち続けることをも望んでいた。イスラームによれば、保護権は奴隷を解放した者に与えられるものである。教えがこのように示しているのに、この人がそれに逆らうことを望むのは過ちであった。おそらくこの教友はこの件に関する法についてまだ知らなかったためにこのようなことを言ったのであろう。この出来事は預言者にも伝えられた。預言者はこの教友を標的にはされなかった。説教台へ上がられ、すべての聴衆に対して教えにおける法を説明されたのだ。そして「保護権は奴隷を解放する者にある」と言われた。[20]

これ以外にも、似たような何百もの例を示して、預言者の気高い道徳は決して罪を犯した本人の顔を傷つけることなく、また誰かをその罪によって決まり悪い思いをさせられることもなかったということを我々は、示すことができる。

このように、ここでの許可の問題についても、預言者ムハンマドの徳がなしたことであると言えよう。このお方は罪を暴かないために、許可を求めてきた者たちに本当のところを言い当てたりはなさらず、皆に許可を与えられたのであった。そのお方の心は実に広いものであった。

「われは、あなたの胸を広げなかったか」(胸を広げる者章94/1)と呼びかけられた偉大な預言者なのである。偽信者たちが彼らの本性を明らかにして嘘をついた時、預言者は彼らの嘘を覆いで覆われ、彼らに預言者の徳を示されたのである[21]。このお方は実に素晴らしい預言者であられ、クルアーンや新旧の聖書はまるで競い合うようにそのお方の偉大さを宣言しているのである。

眉をひそめて章

眉をひそめて章も、一見預言者に注意を与え、叱責しているかのように見える。

「(彼は[22])眉をひそめ、顔を背けた。一人の盲人がやって来(て話が中断され)たためである。あなたにどうして分ろうか、彼は清められるかも知れないことが。または訓戒を受け入れて、その教えは彼を益するかもしれないことが。だが何の助けもいらない者(財産家)には、(関心をもって)応待する。しかも彼が自ら清めなくても、あなたに責任はない。だが熱心に(信仰を)求めてあなたの許に来た者で、畏敬の念を抱いている者を、あなたは軽視した。断じてそうであるべきではない。本当にこれ(クルアーン)は訓戒である」(眉をひそめて章80/1~11)

我々は詳細に入る前に、皆によく知られている形でこの章がくだされた背景を説明しよう。その後で、この章が示している意味について注意深く見ていき、預言者の高潔さに影を落としているかのようなこのテーマにおいても、そのお方の高潔さがやはり太陽のように明らかであることを示したいと思う。

預言者は、ウツベやアブー・ジャヒールのようなクライシュ族の有力者たちと共に座り、彼らに教えを説いておられた。彼がちょうど熱を込めて彼らに説明をされておられる時、目が見えないアブドゥッラー・イブン・ウンム・マクトゥームが入ってきて、預言者に「預言者よ、私を正しい道を導いてください」と言った。彼がこの言葉を数回繰り返したので、預言者は顔をしかめられ、彼に背を向けられた。そして、中断したところから話を続けられたのである。一般的によく知られているのはこうである。

この問題を、今のような解釈に基づいた形で考える場合、もしこのやって来た人物が目の見えない人でなかったとしたら、預言者の振る舞いは決して神の注意を受けるようなものではなかった。目が見えない人であったが故に、預言者も彼に対して寛容にふるまわれる必要があった。だからこそ、顔をしかめて背を向けたことが注意の対象となったのである。これは表面的な観点から到達される判断である。もう少し深く、細かく見ていくなら、この事実の別の一面を見ることができ、ここでの判断が早まったものであったことが理解されるであろう。

まず、人の前に出るということにおいてそれぞれにふさわしい形がある。預言者の前には、普通の人の前に出るような感じで出てはいけないのである。普通の人のそばにいるような感じでそのお方のおそばにいてもいけない。実際、クルアーンは多くの節でこれをムスリムたちに示しているのである。預言者の元にはいつ伺うべきか、どれほどおそばにいるべきか、(部族連合章33/53、御光章24/58)声はどのようであるべきか、(部屋章49/2~3)これらは皆、信者たちにアッラーから教えられているものである。

このことはアッラーについても当てはまる。礼拝している人の前を通らないことが、そのよい例である。信者がアッラーの御前で礼拝している時、他の者がそれを妨げる形で彼の前を通ろうとすればハナフィー派によればその者は叱責される。マーリキー派によれば争われることになる[23]。もし人が前を通ろうと繰り返し主張しているようであれば、その胸にこぶしを食らうことであろう。[24]

なぜなら礼拝している者は王の御前にいるのであり、王と話しているからだ。普通の人でさえ、二人で話している時にその間を通ることは不道徳なことだと認められているのであるから、このことがいかに不道徳かは明らかであろう。預言者が「もし、礼拝する人の前を横切る人が自分が犯した罪について気づいてさえいれば、四十年待ったとしても人の前を横切ることはしなかったであろう[25]」と言われたのはこのためである。アッラーの御前に立つために、それにふさわしいあり方があるように、預言者の御前に立つためにもそれにふさわしいあり方があるのである。

預言者はその時、何をされておられたのか? 頑なな心を持つ二人の者のために、その心にある感覚を分け与えようとされておられたのである。彼は人が正しい道へ導かれることに非常に熱心であられた。クルアーンもこのことについて「もし彼らがこの消息(クルアーン)を信じないならば、恐らくあなた「ムハンマド」は彼らの所行のために苦悩して、自分の身を滅ぼすであろう」(洞窟章18/6、さらに詩人たち章26/3を参照)という表現を用いている。

そう、預言者ムハンマドは信じようとしない人をご覧になると、御自身を滅ぼしかねないほどに悲しまれ、苦悩されるのであった。この時、ちょうどこのお方はそういう雰囲気の中で話をしておられた。そこへ人が入って来て話を中断させ、雰囲気を壊したのである。ただ、入って来た者にも認められる事情はあった。すなわち彼は目が見えない人だったのだ。しかし、預言者がもし仮定として顔をしかめられ、背を向けられたとしても、それについても十分に認められる多くの理由があったのである。だから、預言者のこのような振る舞いを過ちと見なすことは(預言者を辱めようとしている人たちについて言っているのだが)それ自体、過ちそのものである。

もしこの出来事が実際このような形で起こったのであれば、それに対する答えは以上のようである。ただ、ブハーリー、ムスリム、イブン・マージャ、アブー・ダーヴード、ティルミーズィー、ナサーイ、アフマド・ビン・ハンバリーのムスナッド、ハキームのムスタッドラクといった信頼のおける立派なハディースの本の内どれ一つにおいても、このような解釈では書かれていないのである。ここでの解釈では、登場する二人のうち一人は預言者で、もう一人はイブン・ウンム・マクトゥームであり、そのそばにもアブー・ジャヒールとウツバがいたとされている。しかし、研究者たちはこの来訪者について多くの名前を出している。さらに、この人は目が見えない人であったか、そうではなかったのか、という点もはっきりしていない。だからここでは検証の範囲を広く持つことが必要であろう。

この出来事に関して、イブン・ウンム・マクトゥームの他に七人の名前が挙げられており、計八人となる。そしてイブン・ウンム・マクトゥームが他を差し置いて選ばれるべき理由は特になく、彼がそこに据え置かれるべき理由もないのである。またこの幸運な教友はイスラームに最初に入信した人々のうちの一人であり、預言者はこの教友を二回、御自身の代わりにマディーナの代表者とされたのである。その後、かなりの可能性としてカーディシイェで殉教したとされる[26]。そもそも彼は預言者ムハンマドの最初の奥様カディージャの縁で預言者にも近い人であった。そう、この教友は聖カディージャの従兄弟なのである。従って、預言者のところに入った時に、知らない人だと見なされて冷たく振る舞われるはずがないのである。目が見えないのにも関らず預言者は彼を代表にされたのであるから、それ相当の人であったはずである。だからこの人は、この八人のうち最も最後に数えられるべきなのだ。

もしかするとやって来たこの人は偽信者だったのかもしれない。そして預言者も彼が偽信者であることを知っておられた。教えの伝達において誠実でなく、またそこで行なわれていた教えの伝達の妨げをしたことから預言者も顔をしかめられ、背を向けられたのかもしれない。もちろん我々はこれらを自分たちの眼で見ているわけではないので、こうであったはずだと主張しているのではない。しかし、イブン・ウンム・マクトゥームが来たのだと主張する者たちにおいても、これは同様である。従ってこの二つとも、考えとしては対等な位置において見ることが必要である。

ここで注意を向けるべきもう一つのポイントがある。

一部の解釈者はこの章の一番めの節にある「眉をひそめた」と「顔を背けた」の動詞が、預言者ではなくウェリド・ビン・ムギラを主語とするものだとしている。「眉をひそめた」の動詞はクルアーンで二度使われている。一つはこの章で使われているものであり、もう一つは包る者章74/22で使われている。包る者章ではこの動詞は不信心者に対して使われている。その人物はウェリド・ビン・ムギラかもしれないし、違うかもしれない。[27]

「眉をひそめる」という表現を、クルアーンはある場所では不信心者のために使い、別の場所ではアッラーの使徒のために使うということがあり得るだろうか? このお方はアッラーの使徒なのであり、常に穏やかな笑顔を保たれるお方なのである。

「顔を背ける」の動詞についても同じことが言える。クルアーンはこの表現をファラオのために(ターハー章20/60)使っている。この動詞は唯一ファラオのためだけに使われるわけではない。しかしクルアーンでは多くの場合、ファラオについて使われているのである。(雌牛章2/25、ターハー章20/48、星章53/33、階段章70/17、夜章92/16、凝血章96/13)

クルアーンが、二度も続けざまにこのような二つの動詞によって預言者を語ることがあり得ようか? 不信心者に用いた表現を預言者に用いることがあり得るだろうか。

こうした考えを主張する人達の観点をも認める必要があるのではないだろうか。それによれば、この二つの動詞は預言者ではなく、その目が色々な事実に関して閉ざされた不信心者を主語としているのである。眼の見えない人のようにそこへ現れて、預言者に対して顔をしかめ、去って行ったのである。預言者たちは罪から遠い存在であるという観点から見ても、このことを「あり得る」ということはできるであろう。そして、伝承という面からしても、この仮定を否定するような伝承を私は思い出すことができないのである。前後関係から見ても不適切ではない。だから、この主張の可能性を否定するものは何もないのである。

サキフ族たちの提案

預言者に対する注意のように見えるもう一つの節が次のものである。

「彼らは、われがあなたに啓示したものからあなたを扇動して背かせようとし、別のものをわれに対して捏造しようとしている。そのとおりにした場合、彼らはあなたを仲間にしたであろう。もしわれがあなたをしっかりさせていなかったならば、先にあなたは彼らに少し傾きかけていた。その場合われはあなたの(この世の)生活で2倍、また死んでから(来世で)2倍の懲罰を味あわせ、あなたはわれに対し援助者を見出せないであろう」(夜の旅章17/73~75)

サキフ族は、預言者からイスラームの教えにおいて特権を求めていた。彼らは預言者に申し出て、いくつかの命令から自らを自由にしてもらえるよう要求した。もし他の者たちがこのような特権を求めてやって来たら、その単純で子供じみた要求に対して預言者は「アッラーは私にこのように命じられたのです」とおっしゃられるであろう[28]。この章では彼らの様子と彼らに対する預言者の振る舞いが明らかにされている。ここで何度でも主張したいことは、この章においても預言者の高潔さや罪なきことに関して影を落とすような表現も、ポイントもないということである。

彼らは預言者を、追い払うべき思想・困難と見なしてこのような子供じみた冒険に出たのである。神意、そして預言者であるということがどういうことなのか理解しないこの無知な者たちは、彼らが勝手に作り出した想像の結果のシナリオで、これほど、人々が真実に導かれイスラームへ入ることを望まれている人なのだから、我々がイスラームに入ることに関して、この条件にも「駄目だ」とは言わないだろう、我々が入信することに免じて、一部の責任から逃れることくらいは認めるだろうという妄想に取りつかれてしまったのである。

これは彼らが期待したことであり、預言者にとってはこのようなことは全く頭に思い浮かんだことすらなかったのであった。思い浮かぶはずもないことでもある。教えというのは完全体であり、それを分け、ばらばらにしてしまったらもはやそれを教えと呼ぶことはできないのだ。預言者は、預言者になられた最初の日に語られたのと同じことを、最後の日にも語られた。このお方は一つの方向性を持ったお方であり、イスラームも人々をある方向へ導くためにくだされたものである。そこにおいて対立する存在は考えられない。このような考えは、知識や論理からかけ離れたものである。

このような提案は預言者のみならず、聖アブー・バクルでさえ承認しなかった。教えから逸脱して、礼拝はするが喜捨はしないといった人々に、戦いを宣告したのである[29]。つまりこの章では預言者の過ちについて語られているところはなく、この章で語られているのは、自らをわきまえない一部の人々の考え、妄想であり、預言者とは関係のないことである。

二つめの節ではこのように述べられている。「もしわれがあなたをしっかりさせていなかったならば、先にあなたは少し傾きかけていた」(夜の旅章17/74)あの山々のように、真実のうちにこれほどしっかりと埋め込まれていなかったならば、少し傾くところであった。

仮定の範囲で語られているこの言葉は、本来預言者の価値を示すものとしての観点から受け止められるべきである。すなわち、預言者はしっかりした信仰の上にあられたのであり、そのお方がおられるところの地が崩れるということは不可能である。

もしそのお方が仮定として、預言者という名誉を与えられていない、ただの支配者や活動家であったとしたら、彼らのこのような要求をも彼らを自分に引き寄せる目的で受け入れていたかもしれない。なぜならば人間だれにもこのような欠点がある。しかしそのお方はあらゆる欠点から守られている預言者である。人々を自分に引き寄せるのではなく、アッラーの教えに引きつけようとされているのである。教えを認めない人が教えに従っているということはあり得ないのであるから、預言者が彼らに特権を認め、彼らのために教えの規則を変えるということがどうしてあり得ようか。しかも預言者はただ、アッラーの御命令と禁止事項を伝える使徒なのである。決まりを与えられ、命令や禁止事項を定められるのはアッラーなのだ。

「あなたは少し傾きかけていた」という表現を、次のように理解することが可能である。

もしわれがあなたをしっかりさせていなかったならば、全ての行動を神意のコントロールの下においていなければ、あなたも他の者たちのように布教において知恵や論理にこだわって進んでいっていれば、あなたも次のように考える可能性はあったのだ。すなわち、私は彼らをこの形で認めよう、そのうちだんだん慣れてきたら、それから完全なムスリムになれるようにしよう、と。

そう、あなたの頭にはこのような考えは決して浮かばなかった。ただ、あなたがこのような考えに傾かなかったのは、私があなたをしっかりさせていたからである。私はあなたを一瞬たりとも独りにしては置かなかった。だからあなたがこのような考えに傾くはずはないのだ。

他の意味に理解することもできよう。すなわち、あなたは彼らの入信にとても熱心なように創造された。彼らが信じないからと言って今にも自らを破滅させんばかりになっている。あなたは心が皆に開かれた人であり、彼らにも心を開こうと望むのはあなたのこの広い慈悲がなすことである。あなたにこのような心、このような慈悲があるのだから、彼らが入信の条件として訴えてきた要求を認めて、彼らを入信という扉から追い払うことがあなたにはできなかった。しかし私はあなたの全ての感情に方向性と基準を与えた。このようにしてあなたを行き過ぎや不十分さから守ったのだ。過度の慈悲はあなたを彼らの考えに傾けたであろう。しかし私が守ったためにあなたは傾かなかった。なぜならあなたの慈悲は適切なものであったからである。「誰に、いつ、どのような慈悲をもって振る舞うべきか」、これをあなたはとてもよく理解しているのだ。だからあなたは、あなたの慈悲を神の慈悲より前に持ち出して、この愚かな考えを認めるようなことはしないのだ。

メブラーナ(哲学者1207~1293)の次のような言葉があると言われている。

「来なさい、来なさい、あなたが何であれ、来なさい!」

この言葉は意味としては正しく、本来預言者の行動から感じ取ることのできるものである。預言者は一人の人でさえも区別せず、全ての人を真実に導かれることを望まれ、そのような心の持ち主であられた。地上における全ての人がムスリムとなり、それでもただ二、三人の人が神のメッセージに閉ざされたまま残っておれば、預言者はやはり彼らのために行動され、彼らに教えを説くためにはどれほどの献身をも惜しまれないであろう。そう、このお方はそのような心の持ち主であられ、天空のように広げられたこの心は、神がそのお方をしっかりさせられ、守られていなければ、おそらく「アッラーの他に神はなし」としか言わないような人でさえも認め、その翼の下に入れられようとされたかもしれない。しかしアッラーはそのお方の感情や感覚にバランスと規準を与えられ、守られたのである。だから、預言者ムハンマドには決して過ちは起こらなかったのだ。

「傾きかけていた」というのは、傾いたという意味ではない。可能性を示す出来事が存在しないのに、預言者においてこのような欠点を探そうとすることは思慮の欠如に違いない。

アッラーは前もってこのお方をしっかりと確定され、守られたのである。預言者も決して誤った行動をとられることはなかった。なぜならこのお方の存在は神の真実と一体化し、行動は神意によって支えられており、またその心もアッラーの承認を得ることに満たされていたのだ。このような王の中の王がこの天空の玉座に座っておられるのに、その足元が泥に汚れる可能性を持ち出すことは、泥が何であるか、また天空の玉座が何であるかを理解していないということである。

この後に続く節は、預言者が決して彼らに傾かれてはいないことを明らかに示すものである。節はこのように述べている。

「彼らはあなたをこの地(マッカ)から追放しようとして、ほとんど居佳に耐えられないようにしている。だがそうなれば、あなたの後彼らも、暫時のほか(そこに)留まれないであろう」(夜の旅章17/76)

貧者に対する態度

一見注意のようであるが実は好意の表現である別の節は、クライシュ族とのこのやり取りの結果もたらされたものである。クライシュ族は預言者を訪れ「あなたのそばには貧者、弱者、奴隷たちが座っている。我々は彼らと同じ礼拝所にいたくはない。我々に特別な日を設けるか、我々が来た時に彼らを追い払うかしてほしい」[30]

それに対して、この節がくだされたのである。

「主のお喜びを求めて、朝夕、かれに祈る者を追放してはならない。彼らの(善悪の)清算は、少しもあなたの任ではなく、あなたの清算は、少しも彼らの任ではない。それで、あなたが彼らを追放するならば、あなたは不義の徒となるであろう」(家畜章6/52)

さらに、他の章にも、同じことを述べている節がある。

「朝な夕な、主の慈顔を求めてかれに祈る者と共に、あなた自身を堅く守りなさい。また現世の生活の栄華を望んで、彼らからあなたの目をそらせてはならない。またわれが、その心にわれを念じることを忽せにさせた者、また私欲に従って、自分の事に、法を越えた者に付き従ってはならない」(洞窟章18/28)

預言者が布教の任務を始められて以来、そのお方に従い、結びつけられた多くの人々がいたが、彼らは貧しい者たちであった。当時の無知な考えによると貧しさは恥であり、一つの欠点のように見なされていた。しかし預言者がもたらされた教えとはそのようなものではなかった。人が優れているかどうかはただアッラーへの畏れによって量られることである[31]。その教えによれば、金持ちであることは貧者であることに対して何の優位性もないのだ。

預言者は「天国は四人の人を特に待っている」[32]とおっしゃられている。この四人は全て貧者である。アンマルにしろ、サルマンにしろ、ミクダッドにしろ、聖アリーにしろ、貧しい人々であった。この人々は皆天国を熱望し、天国もまた彼らを待っているのである。あたかも、彼らが早く来るようにと糸で時間を引っ張っているかのようであった。彼らはその心がアッラーへの敬意に満たされた人々であり、常にアッラーの御前にいるかのように生きていた。その彼らを預言者が遠ざけられるようなことがなぜあり得ようか。

ビラールに「黒い女の息子よ」と言ったアブー・ザッルに、預言者は「あなたにはいまだに無知の時代の名残がある[33]」と言われ、叱責され、次の不滅の名言によって彼に忠告を与えられたのだ。

「あなたの命令の下で働く者たちはあなたの兄弟である。あなたが食べているものを彼らにも食べさせなさい。あなたが着ているものを彼らにも着せなさい。彼らに力以上のものを負わせてはいけない。もし負わせたのであれば、あなたが彼らを手伝いなさい」[34]

預言者はその謙虚な翼を地上にまでくだされた。人々はこのお方のおそばに許可を伺うことなくやって来ることができた。そもそも預言者の教えの精神にもこの基本がある。信者たちは金持ちであれ貧者であれ、奴隷であれ上流階級の者であれ、雇い主であれ召使いであれ、皆同じ礼拝所で、同じ列で、アッラーへのしもべとなっているのではないだろうか? そうである以上、この教えの偉大な体現者である預言者がどうしてただ貧しいという理由で人々を彼の元から追い払うことができようか。

「アッラーよ、私を貧しい者として生かしてください。貧しい者として死なせてください。死後の世界でも貧しい者と共にいさせてください[35]」とおっしゃったのは預言者ムハンマド御自身ではなかっただろうか? この言葉をおっしゃられたお方が、貧しい親友たちを彼のそばから追い払うことは考えられるであろうか? 決してあり得ないことである。預言者は決して、一人の貧者でさえもそのそばから追い払われたりはしなかった。礼拝所から追い出したこともなかった。そのようなことが頭の片隅に浮かぶことすらなかったのである。

それと共に、このお方は預言者であられたのだ。全ての人がイスラームへ導かれることを均等に求められていた。あるハディースでは、聖ウマルがイスラームに入信するよう次のようにお祈りされていたことが伝えられている。「アッラーよ、この教えをウマル・ビン・ハッターブと共に、力強くしてください[36]」。さらに、いくつかの伝承によればアブー・ジャヒールもこのお祈りに加えられたという[37]。おそらくアッラーはその使徒に、将来起こるであろう多くの真実を示されのと同様、ウマルが行なうであろう数々の制覇をも示されたのであろう。預言者もこのことを知られたため、彼が一刻も早くイスラームに入信することを望まれ、お祈りされた。あるいは預言者は、その特有の知能でウマルがイスラームに開かれた存在であることを読み取られ、そのためにお祈りされたのだ。

クライシュ族の有力者が入信することは預言者の最大の望みであった。彼らを何度も家に招かれ、食事を振る舞われ、彼らの心の中に入って行こうと努められていた。ただ、その度に彼らからは否定の返事がもたらされた。クライシュ族の人々の頭の上を、この幸運の鳥が何度飛んだことか。しかしこの不運な人々はそれに興味を示さなかったのである。

預言者は今、彼らに会見を申し込まれていた。彼らは預言者に「あなたと会いたい」と申し入れたのであった。彼らに入信の意志はあったのだろうか? これはわからないことである。ただ、1パーセントでも可能性があれば、預言者は希望を持たれるのであった。彼は聖ウマルの入信のために熱意を示され、ウマルの入信によって起こった出来事は、預言者の決心が正しかったことを証明した。もしこのクライシュ族の人々もイスラームへ入っていたなら、イスラームの発展のために大きな変化をもたらすはずだっただろう。

しかし、彼らが携えてきた要求は、イスラームの精神に反するものであった。預言者は彼らのこのような要求に、彼らのために悲しまれた。なぜならこういった要求は彼以前の全ての預言者たちにももたらされたものだったのである。預言者たちが皆こういった要求を断ったように、預言者ムハンマドも断らなければならなかった。そのお方は悲しまずにはおられなかった。扉の前まで来た入信の機会を、この人々はつまらないうぬぼれのために追い返してしまったのであった[38]。預言者は彼らのこの損失を悲しまれた。だからこの節では預言者を慰め「彼らの審判の日の勘定にあなたの責任はない」と言っているのである。

預言者が決められていたことは、貧しい者をお側から遠ざけないことであった。他の者たちの入信のためにも方法を探られていたのだ。彼はこの決定において妥当であっただろうか? それに対してすぐに節がくだされ、預言者ムハンマドがその決定において妥当であったことが伝えられているのだ。そのお方は親友たちを追い払わないという決定をしたのである。クルアーンにおいても預言者ムハンマドに、貧者を追い払わないようにと命じている。

再考して頂きたい一言

ここで、もう一つの事柄にも注意を向けてもらいたい。

クルアーンには、預言者や信者たちに対してくだされた多くの命令がある。くだされた命令や禁止事項は決まりを伝えるものであり、命令に従わなかったことを伝えるものではない。例えばクルアーンは預言者に「礼拝しなさい、断食をしなさい、喜捨をしなさい」と命じているが、これらはそれぞれが命令を伝えるものである。すなわちこれらを、預言者がこれらの行為を行なっていないから警告としてくだされたものだと見ることは誤りである。これと同様、クルアーンは預言者に「貧しい者をあなたのそばから追い払ってはいけない」と述べているが、これは「なぜ貧しい者を追い払ったのか、追い払うのか」と言っているのではない。だから預言者の高潔さや罪無きことに影響を与えるものではないのである。預言者はここでくだされた命令に反することを行なわれてはいないのだ。これは預言者の決定が正しかったことを評価するものであり、預言者の知性や高潔さを語り、全ての者に示しているのである。

私たちが言おうとしていることは、洞窟章にある節においてさらによく示されている。アッラーはこの節で、預言者に「朝な夕な主の慈顔を求めてかれに祈る者と共に、あなた自身を堅く守りなさい」と言われている。〔サブル〕(堅く守る)とは状態を変えないという意味である。少しでも状態を変えることがあり得る場合は、〔サブル〕という表現は使われない。例えば人は崇拝行為において自らの状態を変えず、そこから離れることなく、基準のうちにそれを継続するのである。人はまた、災難に対して自らを守る。災難は彼の状態を何も変化させず、その人はあたかも何事もなかったかのように振る舞う。罪に対して堅く守るということも同じ意味になる。罪に陥らないためには、元の状態を保ち続けることが必要となる。従って、預言者に「堅く守りなさい」と言われた場合、それは「今の状態を保ち、決定したとおりに続けなさい」ということである。このことも、預言者の元々の振る舞いが、アッラーの承認を得る上でふさわしいものであることを示している。堅く守るとは、あり方を変えることではなく、そのあり方を続けるという意味であるからである。ここでもまた、預言者に対する賞賛が存在する。預言者が行なったことがアッラーによって素晴らしいと見なされているのであり「現世的なものに結びつけられてはいけない。そもそもあなたはそういうものには結びつけられない。そういうものに結びつけられることはあなたの視界を暗くする。しかしあなたはそういったものからはかけ離れている。あなたの視界には一つのちりすらない」という吉報がもたらされているのである。

預言者は、このようであられた。常に、このようであり続けられた。そしてアッラーの御前にもその高潔さのままで行かれたのである。そのお方は罪に対して自らを守られ、生まれた日の清らかさを最後の瞬間まで保たれたのであった。

預言者ムハンマドの聖ザイナブとの結婚

新旧の宗教的対立者たちは、預言者がザイナブと結婚されたことについて取り上げ、それによってこのお方に泥を投げつけようとしてきた。しかし彼らが投げた泥は全て、自分の顔に跳ね返ってきたのである。

この出来事は、聖クルアーンでは以下のように言及されている。

「アッラーの恩恵を授かり、またあなたが親切を尽くした者に、こう言った時を思え。『妻をあなたの許に留め、アッラーを畏れなさい。』だがあなたは、アッラーが暴露されようとされた、自分の胸の中に隠していたこと(養子の妻との結婚が人の口の端に上がること)を恐れていた。寧ろあなたは、アッラーを畏れるのが本当であった。それでザイドが、かの女について必要なことを済ませ(離別し)たので、われはあなたをかの女と結婚させた。(これからは)信者が、必要な離婚手続きを完了した時は、自分の養子の妻でも、(結婚にも)差し支えないことにした」(部族連合章33/37)

預言者ムハンマドは、ザイドを非常に愛されていた。ただ彼のみを、養子とされたのである。ザイドも預言者に近い存在だと認識されており、皆あたかも彼が預言者ムハンマドの実子であるかのように見なしていた。彼は自らを預言者の道のために捧げた。預言者も彼に、愛情と言う扉を開け放たれていたのである。

ザイドは解放奴隷だった。預言者が彼を解放され、養子とされたのである。当時の風習では、ザイドから彼が解放奴隷であるという事実を消し去ることは不可能であった。これは当時の人々の間に見られた慢性的な病のようであった。解放されたにも関らず、格が下の人間と見なされていたのである。

こういた考えを払拭し、人々をこの慢性的な病気から救う必要があった。預言者ムハンマドを深く悩ませていたこの問題にも、解決策が要求されていたのである。

ただし、ここでもたらされるべき解決策は、まず実践によって受け入れられることが必要だった。そのためこのお方は、奴隷の印を持つこの人々に、全く新しい形で接触されたのである。

自由であるということはそれ自体重要であったが、何よりも重要な点を逃さず、獲得することはなお重要であった。奴隷は自由を獲得したとしても、普通の人のようには生活できなかったのである。アメリカで奴隷解放が行なわれた際にも、この問題は起こり、真に解決されるのには長い年月が必要とされた。自由の空気になじむことができず、手にした自由を放棄して、また元の主人のところに戻る者もいたのである。なぜなら当時の状況はそういった存在を受け入れる準備ができていなかったのである。人も社会も、受け入れ態勢ができてはいなかった。だから、解放させるという努力は、期待とおりの成果をもたらすことができていなかったのである。

預言者ムハンマドは、一方で彼らを精神的な自由や自由な振る舞いに慣れさせられ、また一方で社会をそれに備えさせられた。そして、解放奴隷たちを社会の一部とされようと努められたのである。昨日まで彼らは家財道具のようであったが、今日からは皆社会の一員となったのである。

預言者ムハンマドは、社会に根づいていた古い意識に打撃を与えるべく、機会を探っておられた。非常に難しい仕事ではあったが、預言者は容易にそれを成し遂げられるはずであった。

預言者ムハンマドは常に、最も困難な状況を御自分に近いところから実践していかれたが、今回も同じ手段をとられようとされていた。御自身のおばの娘であり、アブドゥッラー・ビン・ジャフシュの妹であるザイナブを、解放奴隷ザイドと結婚させられたのであった。 

預言者はこのおばの家にいつも出入りされていた。この家族は、何年も前から、預言者のある提案を待ち続けていた。預言者の妻の一人となることはどの女の人にとっても理想であり、そしてこれはいたって当然のことであった。

預言者ムハンマドが聖サウダとの離縁を望まれた時、この偉大な女性は預言者に懇願した。決められた訪問の日は妻アーイシャに譲ること、唯一の望みは預言者の妻として世を去ることであることを述べた。預言者との婚姻のためにこれらを犠牲とすることができたのである。[39]

聖ウマルは、生涯を通して預言者との血縁関係を望み続けた。彼は聖ファーティマに求婚していた。しかし預言者ムハンマドはファーティマをアリーと結婚させられた。ウマルには、アリーの娘ウンム・ギュルスムを待つことだけが残されていた。この偉大な女性はウマルと結婚した時、まだ子供だった。しかしそれはウマルにとっては、預言者の血縁者になるという夢そのものだった。彼はそれのみを望んだのである。[40]

おばとして、甥に自分の娘を嫁がせることを望むこと、そしてこの点においてのこの期待は当然のものであった。しかもザイナブは、どの点をとっても預言者ムハンマドの妻になるのにふさわしい女性であった。おそらく彼女自身も預言者を望んでいた。

預言者ムハンマドはおばの家に行かれた。「ザイナブへの求婚です」と言われた。家の人々は喜びで宙を舞いそうであった。何年も待ち続けた瞬間が来たのである。預言者がザイナブに求婚されたのだ。預言者は、誤解が生じたことにすぐに気づかれた。そして言われた。「私はザイナブを、ザイドのために求めているのです。」皆、硬直してしまった。預言者が言われたのでなければ、このような提案は即座に拒否するところであった。しかし預言者に逆らうことはできなかったのである。

この婚姻は、ひとえに預言者のご命令だということで承認された。望まれないうちに新しい家庭が作られた。しかしこれによって、社会のために実現されなければならなかった案件が、実現されたのである。

聖ザイナブは生まれがよく、家柄もよかった。育てられ方もそれに応じたものだった。ザイドは、預言者に深く愛されていたとは言え、当時の解釈によるなら、後から自由を手に入れた奴隷であった。普通の家の出でもあった。だから、なじむことは困難に思えた。もっと的確に言うなら、精神世界への鋭い理解力を持つザイドは、自らが彼女と釣り合いが取れた人だとは思えずにいたのであった。ザイナブには全く異なる心があり、思いがあり、意志があった。預言者のご家族の候補となるような、ダイヤのようであった。

ザイドはこの件に関して預言者に何度も訴え、妻と別れることを望んでいると伝えた。預言者もその度毎に「妻として維持しなさい。アッラーを畏れなさい」と言われ、彼を遠ざけられた。

預言者はこの結婚によって、無明時代の名残の古い思想を根本的にぬぐい去ることのみを考えておられた。この考えによってこの結婚を進められたのである。しかし、日が経つにつれて、不和は程度を増していき、もはや終末を迎えることとなった。

離婚ということになったとは言え、預言者は実際に、奴隷と由緒ある家柄の娘が結婚できるということを示されたのであった。預言者ムハンマドは使者であられた。使者はまず、自らが語ることについて自らにおいて、あるいは近親の者たちの中で実践しなければならなかった。それはアッラーのお赦しと支援によって実現した。

預言者はアッラーからの啓示によって、いつか御自分がザイナブと結婚することになられるということをもご存知であられた。それを明らかにするようにというご命令はなかったので、それを秘められていた。そもそも妻アーイシャの語るところによると、もし預言者ムハンマドが、くだされた啓示のうちどれかを隠したとしたら、この結婚に関わる節を隠されていたとのことであう。[41]

そう、この結婚は預言者ムハンマドにとって非常に困難に感じられるものであった。しかし、あらかじめ定められたこの婚姻を変更することが誰にできたであろうか。アッラーが「彼女をあなたに娶らせた」とおっしゃられているのである。この婚姻はアッラーによって定められたものである。天使たちがその証人なのだ。

この代償の非常に高い婚姻において、アッラーは更なる法を教えられておられる。「養子は、実子と同じではない!」子にあたるものが妻を離縁すれば、父にあたる立場の人でも彼女と婚姻することは法的である。無明時代、養子と実子はこの点において同じであった。死亡した場合、あるいは離縁になった場合、父にあたる人はその妻だった人と婚姻することはできなかった。この考えは改められる必要があり、そして改められたのである。しかしその重荷は、ただ預言者の肩にのみ負わされたのであった。

この厳しい試練にはいくつかの要素がある。信者たちの母ザイナブは、その二回の結婚においていずれの場合においても無明時代の因習を破る契機となられたのであった。彼女にはどれほどの運が与えられていたことか。

一部の解釈書では、でっち上げられた出来事が伝えられている。それによると、預言者ムハンマドはある日、ザイナブをご覧になったという。まだ婚姻が続いている時である。彼女の美しさに預言者は「人の心を自在にされるアッラーに讃えあれ」と言われたという。それをザイナブも聴いたという。イスラエルの民の書物に見られるこのような表現や思想は、残念ながら、一部の信者たちにも影響を与えたようである。

そのうちの一人、名をここでは挙げることを慎むとするが、その解釈者は「ザイドが家に入るとその光景が目に飛び込んできた」というような表現を使ってさえいる。このような考えは教えに敵対する人がでっちあげたものである。私はその解釈者への敬意から、彼に「黙れ」とは言わない。しかしこのような言葉をあえて用いる者は誰であれ、黙るべきである。

まず、預言者はザイナブをその時初めてご覧になったわけではない。ザイナブは預言者が見守られる中、成長したのである。

次に、もし預言者がザイナブにわずかでも気を魅かれておられたとしたら、彼女をどうしてザイドと結婚させられたというのであろうか。御自分のために求婚されればすむのである。

それから、家族の者は皆、ザイナブが預言者と結婚することを望んでいたのは先に述べたとおりである。ここにおいて、預言者とザイナブとの婚姻にどのような差しさわりがあって彼女をザイドと結婚させたというのであろうか。

要するに、預言者ムハンマドがザイナブと結婚されたのはひとえにそのように命じられたからなのである。アッラーがそれを命じられ、預言者もそれに従われたのだ。でっち上げられたシナリオは嘘と偽りであり、それ以外に何の意味もない。

預言者ムハンマドがこのようなお方であられ、ザイナブやザイドもそれぞれこのようなお方であられる以上、彼らが言うような出来事が起こることはあり得るだろうか。これは何と恐ろしい偽りであり、何と恐ろしい無知であり、いかに恐ろしい教えへの敵対であろうか。

悲しいことであるが、今日こういった材料は、彼らに心を奪われた私たちの仲間であるべき人々までに利用されているのである。完全に嘲り、侮蔑する心が彼らにそのようなことをさせ、そのようなことを語らせているのであろう。

導きはアッラーのなされる業である。私たちに何を言うことができようか。どうかアッラーが彼らをも導かれますよう。

結論

このテーマは「預言者たちは皆、けがれなく罪を持たない人々である。預言者ムハンマドはその際たる者である」というところから始まった。そしていくつかの例で、預言者の罪のなさ、けがれなきことを示そうと努めてきた。しかしこのことを付け加えておきたい。預言者ムハンマドにおける罪のなさ、けがれのなさというものは、我々が把握できる範囲を超えたものである。我々はこのことを、ただ自分たちの次元において理解しようとしているに過ぎない。

そう、預言者ムハンマドは特別な人であられた。アッラーとそのお方との間には、特別な形の対話があった。アッラーは神意をくだされ、預言者もこの神からのメッセージを受け取り、それを広められたのである。預言者のこの特殊性、重要性、高潔さをアッラーは常に守られた。我々も、義務として、真実として、少なくとも誠実さへの約束として、それを守らなければならない。我々がここで示したこの熱意の最大の理由はこれである。この最高に価値のあるお方を、普通の人のように評価し、批判の対象にしようとする多くの人々が内外にいるのである。隠れてやっている者もいれば、堂々とやっている者もおり、正体がよくわからない者も多い。

預言者ムハンマドの高潔さ、純潔さを、我々自身の名誉よりもずっと重要なものであると認め、それが守られるべきだと我々は信じているのである。

ただ、我々の力が限られたものであることも我々は知っている。今日、預言者の周囲で混乱を起こそうとしている全ての敵たちに対して、また意図的に、あるいは無意識に彼らの手先になっている人たちに対して、それら全てを相手に戦うことは我々の力を超えている。なぜなら彼らがやっていることは破壊であり、私たちはその修理をしているからだ。それだけではなく、彼らはメディアの恐ろしいほどの力を使っているが、我々はこうしたささやかな出版という手段を使っているのである。ただ、知識や知恵の面でどの時代でも結局は彼らが敗北してきたように、これからも彼らは同じ運命をたどり続けるであろう。なぜなら彼らがやっていることは太陽を粘土で塗り隠そうとすることとかわりないからである。我々は彼らの問いの一つ一つに答えることはできない。しかしこれもそもそも絶対にしなくてはならないことではないのである。先人たちはこのような状況をとても素晴らしい格言にしている。すなわち「吠えるもの全てに石を投げていたら、地上に石は残らない」。私たちもここでそれを繰り返そう。

ここで重要な事項をもう一つ取り上げたい。この事項も灯台のようであり、磁石の針のように預言者ムハンマドを示している。

預言者が未知のことについて、また未来のことについて述べられたことは、あたかも我々のこの時代をご覧になって語られているかのようである。このお方はおっしゃられている。「審判の日が近づくとある煙が出現する。この煙は不信心者たちを破滅させ、信者たちにも風邪をひかせるであろう」[42]

真実を認めない物質的な学問は、不信心者たちを論理的に破滅させた。しかし同じように信者たちにも疑いや戸惑いをもたらしたのである。今日、手にしたちり紙で鼻を拭いている者たちの状況はまさにこのとおりである。

アラビア語を知らないため、また言葉の細かいところを知らないため、その無知を何かで覆い隠そうとする者たち「意味がわかれば十分だ、ハディースにどんな重要性がある」と言う者たち、この人々の様子をこれ以上見事に描写することは可能だろうか。この問題は見かけほど単純でもない。アブー・ジャヒールやウツベ、シャイバによって始まり、西洋人の東洋研究家などによって続けられ、ゴールドジハー(Goldziher、1850~1921、東洋学者)などによって学問とされ、ヴォルター(Volter東洋学者)などによってドラマとされたこの教えへの憎悪というシナリオは、他の世界で準備され、道を歩いている我々の仲間に端役を演じさせているのだ。無知か、名声か、という考え方、あるいはその手に握らせたわずかな金で彼らに「姿を見せてくださいよ」と誘い、彼らもそれに従うためにそのひどいシナリオを演じているのだ。「私たちにはクルアーンで十分だ。翻訳されているのだからアラビア語を知る必要がどこにある。人はその意味を知るだけでもクルアーンの解釈をすることができる」といったような言葉は、用意されているさらに大きなシナリオのワンシーンに過ぎず、またそこでは一人二人の端役にこれを語らせているだけに過ぎない。しかし当然、このかげで巨大な憎悪の世界は都合のよい土地を探しているのであり、都合のよいところが見つかればー見つけることができませんように、インシャッラー(神がお望みならば)、そのとき彼らが語ることは今日語っている程度のものでは済まないであろう。

だから、教友たちが預言者に示していた敬意を蘇らせることが、私たちには他のどの時代よりもなお必要となっているのである。このことを意識として、我々から切り離せないものにするためにも、預言者の高潔さや重要性をよく知り、ほんのわずかでもそれを否定することを認めないようにすることが必要なのである。

教友は言っている。「我々は預言者の話を聞く際には、頭の上に鳥がいてそれを逃さないようにしているというくらい、注意深く聞いた」[43]

聖アブー・バクルと聖ウマルが預言者の御前で話をしたのは非常に限られている。なぜなら彼らは神意によって力を与えられた預言者の御前にいるということを意識していたからである。そのお方の話を聞くということは、アッラーの話を聞くようなことである。なぜならもたらされる神意が、預言者のきれいな魂と満たされた心から、もたらされたままの新鮮さで伝えられているのである。だから預言者を知る者はそのお方の前でただ黙り、そのお方の話を聞いたのであった。この、言葉の王の前で話される言葉は、それが誰の言葉であれ苦痛を与えるものである。我々も教友たちの理解に到達すれば、同じことをし、ただそのお方の言葉を聞き、我々のこの世紀の問題の解決方法をそこに求めようとするだろう。

預言者ムハンマドの言葉に対する敬意の欠如やスンナ(預言者の慣行)の否定は、教えへの憎悪につながる橋である。その橋の上でうろうろすることを習慣づけた人たち、そこに居続ける人たちは、遅かれ早かれ預言者ムハンマドの道から離れ、アブー・ジャヒールたちに加わることになるだろう。

 こういった形での考え方は非常に危ういものである。この危うさを克服する手段は、全面的にアッラーの使徒を知り、理解することとなる。そのお方の最も重要な側面の一つが、その潔白さなのだ。イスラームの教えは、あたかもその潔白さと一体化しているようである。そこに亀裂を生じさせようとすることは、教えの破壊を意味するものである。だから、このテーマにおいては注意が払われるべきだと我々は感じるのだ。

 


[1] Buhari, Tayammum 1; Muslim, Masajid 3
[2] これとこのような訴えのためにIbn Hisham, Sirah 1/289-290; Ibn Kathir, al-Bidayah 3/78 を参照
[3] Bukhari, Tabir 3-4; Muslim, Ruya 6-9; Abu Dawud, Adab 88; Tirmidhi, Ruya 1
[4] 訳者注意 不信者のマッカ軍とイスラームのマディーナ軍の最初の戦い
[5] Muslim, Musafirin 139; Abu Dawud, Tasavvu 26
[6] Ibn Hisham, Sirah 4/55; Ibn Kathir, al-Bidayah 4/344
[7] Muslim, Jihad 58; Musnad 1/31-32
[8] Kurtubi 8/31; Musnad 1/383
[9] Bukhari, Tafsir 21-2; Muslim, Taharah 37, Salat 53; Tirmizi, Qiyamah 3; Ibn Maja, Manasiq 40, 76
[10] Kurtubi, 8/31; Musnad 1/383
[11] Muslim, Jihad 58; Musnad 1/31-32
[12] Bukhari, Tayammum 1; Salat 56; Muslim, Masacid 3
[13] Musnad, 4/197
[14] 参照Kurtubi 8/98-99
[15] Bukhari, Iman24; Muslim, Iman 107; Tirmidhi, Iman 20; Musnad 2/2, 291, 357
[16] Zamakhshari, Kasshaf 2/153-154
[17] Razi, Mafatihu'l-Gayb
[18] Bukhari, Jana'iz 23; Libas 8; Musnad 2/18
[19] Bukhari, Jana'iz 23
[20] Bukhari, Kaffarah 9
[21] Bukhari, Tafsir (21), 2,5,14; Muslim, Taharah 17; Salah 53; Tirmidhi, Qiyamah 3
[22] 訳者注意 ここでは主語がはっきりとされていない。主語が預言者ムハンマドだとしている学者がいれば違う人だとしている学者もいる。
[23] 訳者注意 スンニー派の中の四つの正派の中の一つ。他の派はハナフィー、シャーフィー、ハンバィー派である。
[24] 参照 Jaziri, Mazahib 1/272-273
[25] Bukhari, Salah 101; Muslim Salah 261; Abu Dawud, Salah 108
[26] Ibn Hajar, Isabah 2/523-24
[27] アッカド氏は、この章で触れられている不信心者はウェリドではないであろうと述べている。なぜならこの章ではその人物に対して家柄のない、という表現をしているが、本人は不信心者とはいえ家柄のよい人であったからである。ここで触れられているのがウェリドであると示す確実な根拠はない。
[28] Ibn Hisham, Sirah 4/184; Ibn Sa'd, Tabakah 1/312-313
[29] Bukhari, I'tisam 2; Muslim, Iman 32; Abu Dawud, Zakah 1
[30] Ibn Kathir, al-Bidayah 3/129
[31] 聖クルアーン部屋章49/13より「アッラーの御許で最も貴い者は,あなた方の中最も主を畏れる者である」
[32] Majma' al-Zawa'id 9/307; Abu Nuaym, Khilyah 1/142; Suyuti al-Fathu'l-Kabir 1/297-298
[33] Bukhari, Iman 22; Adab 44; Muslim, Iman 38
[34] Bukhari, Iman 22; 15; Muslim, Iman 40
[35] Tirmidhi, Zuhd 37; Ibn Maja, Zuhd 7
[36] Mustadrak 3/83
[37] Tirmidhi, Manakib 18
[38] Ibn Kathir, al-Bidayah 3/83; Kanz al-'Ummal 14/39-40
[39] Muslim, Radaa, 47
[40] Ibn Sa'd, Tabaqaat 7/463-64; Ibn Hajar, al-Isabah 4/492
[41] Buhari, Tawhid 22; Muslim, Iman 288; Musnad 2/5
[42] Muslim, Munafiqun 39; Musnad 3/178
[43] Bukhari, Jihad 37; Abu Dawud, Tibb 1; Nasa'i, Jana'iz 81; Ibn Maja Jana'iz 37; Musnad 4/287-288

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